第2話 赤頭 8

「産女の怪力譚は日本各地に伝わる。北は秋田から南は長崎と広くね。怪力を与えられた人物は武士や力士と多岐に渡るが、その内容はほとんど同じだ。先ほど話した『預けられた赤子の重さに耐え、大力を与えられた』というもの」

「はい」

「だが一説、それと異なる話がある。島原半島に伝わる話だ。異なる点は2つ。まず、産女に出会って怪力を授かったのが女性である点。そしてもう一つ、大抵の伝説において怪力は授かった当代のみの能力だが、その怪力が女性の代のみに遺伝するという点だ」

 先生は指をピースするように順番に2本立てる。

「私はこの『遺伝する』という点に興味と疑問を持った。もしかするとこの怪力というモノは異能の力ではなく、体質的なものではないかとね」

「つまり科学的に証明できるかもしれない、ということですか?」

 月岡さんが問うと、「そうだ」と先生が頷いた。

「『因伯伝説集』という本にこんな話がある。昔、鳥取県の名和村というところに、赤頭と呼ばれる力自慢の男がいた。米俵を一度に12俵、1俵が60kgだから相当な重さだね、それを梯子の上に乗せて運ぶほどの怪力を持っていたという。ある時その男が観音堂で一休みしていると、どこからともなく4、5歳ぐらいの小僧が現れ、いきなり堂の柱に五寸釘を素手で刺し始めた。そうかと見ているとそれを今度は素手で抜き、再び刺すという遊びを始めた。よく見るとそれを指一本でやってのけている」

「うへぇ、素手で胡桃割るジャッキー・チェンよりすげえな」

 月岡さんが感心したようにいう。それに同調するかのように赤城さんも頷く。なぜ2人ともジャッキー基準なのか。

「赤頭も小僧に負けじと同じことにトライするが、両手で刺すことがやっとな上に、柱から抜くことなど到底できなかった。小僧はこの様子を見て笑いながら何処へか去ってしまった。怪力自慢にさえできないことをやってのける怪しい子供。私はこの子供も島原の伝説と同様に現代科学を持ってすれば説明できるのではと考える」

 長い説明に一息つくと、先生は月岡さんの方に向く。

「ところで月岡くん。君の専攻は何だったかな」

「俺は運動生理学とスポーツ科学ですね。それが、何か?」

「ミオスタチン関連筋肉肥大という病気のことを聞いたことがあるだろうか」

 その言葉を聞くや、月岡さんは「ああ!」と何か合点がいったのか、パズルのピースが繋がったかのような声を上げた。知ってますか?と赤城さんに目配せすると、彼女は首を横に振った。どうやら専門的なものらしい。

 その様子を見ていた彼は「おっほん」とわざとらしく咳払いをし、こちらに向き直る。

「ミオスタチン関連筋肉肥大、ミオスタチン欠乏症ともいうんだけど、これはね、筋肉の発達を抑制するミオスタチンというタンパク質の一種が極端に機能していない体質のことなんだよ。ミオスタチンは骨格筋という、普段俺たちが使っている筋肉の増殖を適度に抑える要素のことで、これによって我々動物は適度な筋肉の成長を保っているんだ」

「むんっ」と月岡さんは力こぶを作り、それを指差して説明する。

「だけど、この要素が働かなくなるとどうなると思う? 江口くん」

「どうなる……そうですね。それが身体にないのなら、ずっと筋肉が成長し続ける……とかではないでしょうか?」

「その通り! ブレーキが効かなくなり、どんどんマッチョになっていくんだよ。そのわかりやすい一例として、ベルギーのナミュレール州という地方では『べルジャンブルー』という、普通の牛より筋肉が2倍も付いている食肉用の牛がいるんだけど」

 月岡さんはそういってスマホを取り出し、何かを検索する。やがて出てきたその画面を俺たちに見せた。先生も気になるのか、画面を覗き込んでいる。

「これは……」

「すごいな」

「ええ……」

 各々が驚嘆の声を出す。

 画面に映し出されたそれは、身体中の筋肉が以上なほど隆々とした、まるでボディビルダーのような牛の写真だった。

「『マッチョ牛』って調べれば出てくるよ。特別な遺伝子組み替えやゲノム編集をしたわけじゃなくて、通常の品種の交配から突然変異した個体が生まれたのがきっかけなんだ。ベルギーで生産されている牛の9割がベルジャンブルーの血統らしい。脂身が少なく赤身肉の量が通常の倍近くあって、柔らかくて美味しいんだってさ!」

 月岡さんが役目を終えたスマホをポケットに直した。いくら美味しいといってもこんな、ある意味グロテスクな姿の牛を見てしまっては食欲が失せてしまう。

「さらに、このミオスタチン欠乏症の特徴として、筋肉の成長が猛スピードなために摂取したカロリーのほとんどが筋肉に費やされるという事がある。代謝が良すぎて体脂肪がほぼ蓄積されないんだ。ベルジャンブルーに余分な脂身が少ないという理由だね」

「それって原因はあるの?」

 赤城さんが問う。

「原因はミオスタチン遺伝子の突然変異と言われているよ」

「突然変異」

 赤城さんが反芻する。

「実は同じ欠乏症でも2つのタイプがある。体内で生成されたミオスタチンを筋細胞が受け付けないタイプと、そもそもミオスタチンの生成が極端に少ないというタイプ。前者の筋肉量は常人の1.5倍、後者は常人の2倍に達するといわれているよ。筋密度も人より高いわけだから、無論、体重も平均よりさらに重くなるね」

「克実くんはどっちだろうね」

 先生が言う。

「どうでしょうね、検査とかしたことないので」

 と俺は肩をすくめた。

「以上がミオスタチン関連筋肉肥大の説明になりますが……」

 月岡さんがそう言いながら俺たちを見回した。俺と赤城さんは「おぉー」と揃って拍手した。正直、月岡さんがここまでの説明をしてくれると思っていなかった。

「なかなかに分かり易い説明ありがとう。やっぱり『星』と言われるだけはあるね」

「その『星』ってなんなんですか?」

 俺は先生に問うた。

「彼は今聞いたように、人体のことなどについて幅広い知識を持っていてね。そしてそれをこの大学の陸上部のコーチングやトレーニングに活かし、記録が伸び悩んでいたチーム全体の成績を大きく伸ばしたうえに全国的な大会にまで導いたんだ。勿論、昨日君が見たように彼自身が優れた選手でもあるから、『期待の星』『新星』『スター』という意味を込めて彼のことを『星』と呼んでいるんだ」

「いやぁ、何度言われても慣れないっすね」

 月岡さんがはにかむ。

「別にチームがどうこう、学校の名声が云々で行動したわけじゃないんです。陸上競技は個人競技ですからね。ただ、高校時代に杜撰な顧問のせいで怪我をして、競技ができなくなった部員がいたことがありまして。そんな経験をもう繰り返したくなかったから部のサポートとマネジメントに徹してみたってだけですよ」

 その高校時代を思い出しているのか、過去を懐かしむような遠い目で彼は言った。

                   

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