第2話 赤頭 7
『資料室』と名目しているが、正式名称は『十二番資料室』になる。『十二番』とナンバーを打たれてはいるが、ここ以外の構内に番付された資料室は存在しない。つまりこの大学において『十二番資料室』とは、この場所のみを指す。
そもそもこの大学内でこの場所を認知している人間は少ないだろうが……。
資料室は大学の施設でも最南端にある、鬱蒼と葛の葉に覆われた、とびきり古い3階建ての棟の奥にある部屋のことだ。そこは書籍棚が立ち並ぶ図書館のような空間で、ドア側の壁を除く三方が書籍棚で囲まれている。さらに、そこに収まりきらなかった本が床に塔を建てている状態だ。
少し歩けば近くに新設の図書館がある。こちらにしか置いていない資料が必要になることなど、そうはないだろう。つまり、現在この資料室は誰も使わない。そして人が来ないことをいいことに、今は先生の私物と化している。私物化というか、先生がこの部屋で勝手に寝泊まりしている。普通に考えて駄目だろ。
1階の下駄箱で備え付けのスリッパに履き替え、薄暗い廊下を奥へ奥へと進む。
突き当たりの『十二番』と書かれた木製の引き戸をノックし、開ける。
「やあ、来たのか。思いのほか早かったね」
先生は冷房の効いた部屋の奥側にある、書斎兼応接スペースの椅子に腰掛けて煙草を咥えている。
その対面にある黒いソファには月岡さんが腰掛けていた。
「あ、月岡さん。こんにちは」
「や、昨日ぶり」
意外、昨日と同じようにフランクな返事で挨拶を返された。
「おや、そちらは」
先生と月岡さんが、俺の後ろから顔を覗かせている赤城さんに気が付いた。
「お邪魔します。先生、先日はありがとうございました」
そういうと彼女は手に持っていた紙袋を先生に渡した。
「別に礼などよかったのに」
そう言いつつも先生は紙袋を受け取る。
「あ、あなたは陸上部の」
赤城さんが月岡さんを見かけるや、何か知っているような口ぶりで言った。
「月岡さんをご存知なんですか?」
「特別何を存じ上げているわけではないけれど、彼が陸上部の『星』だということは知ってい るわ」
「星だなんて……」
月岡さんが照れ臭そうにいう。『星』ってもしかして『スター』という意味だろうか。
「私は2回生の赤城典子と言います」
赤城さんが丁寧にお辞儀をした。月岡さんもそれに倣ったのか立ち上がり、
「月岡京助です。同じく2回生! 何卒よしなに」
とまるで緊張感を感じさせない洋風なお辞儀をした。
各自の紹介を終えたところで、月岡さんの隣に二人、床に積み重ねられた本に気をつけながらソファに腰を下ろす。古本屋のような匂いがする空間で、先生が冷蔵庫からペットボトルの麦茶を2本出してくれた。俺と赤城さんはそれを受け取り、少し飲んで一息つく。
俺は背もたれのクッションに後頭部を預けながら壁一面の本棚を見回す。『芥川龍之介全集』、『太宰治全集』、『寺山修司詩歌集』など誰でも知っている文豪たちの本から、『神仙術瞑想法』、『妖怪学講義』、『明治期怪異妖怪記事資料集成』など聞いたことのない胡乱な本までもが、バックナンバー順に整理されて並んでいる。赤城さんもその膨大な量の本たちを前に目を見張っていた。
汗も少し引いた頃に、俺は先ほどのことを先生に話した。車の一件のことだ。その話を横で聞く月岡さんは驚いたような、それでいて疑うような、何とも言えない表情をしている。
「ふぅん。なるほどね、そんなことが。まぁ、君の事を知らない人がその力を見たら誰しもそうなるよ。うん。取り敢えずお疲れ様」
先生は書斎机の上の窓を開け、チャッカマンで煙草に火を着ける。いやチャッカマンて。
「そういえば赤城くん、この中身は何かな」
先生は紙袋を指にかけながら訊く。
「ゴディバのチョコレートです。先生と奥様で召し上がってください」
「え!?」
その一言に月岡さんと俺が揃えて驚愕の声を上げた。
「ゴディバだって!?」
「そっちじゃないです」
そう、突っ込むべき箇所はそこじゃない。先生に奥さんが、先生が既婚者だったなんて知らなかった。信じられない。マジ?
「せ、先生って結婚されてたんですか?」
「いや、してないが」
さらりと否定された。えー。
「で、でも先生がとっても色白くて美人な外国人の方と、仲良さそうに一緒に車に乗っているのをたまに学内で見かけますよ?」
赤城さんは尚も食い下がらない。成る程、赤城さん自身が見たことがあるのか。
「ああ、わかった。違う違う、彼女は私の家に住んでいるってだけだよ。彼女も私の研究に参加してもらっていてね。克実くんと同じで」
それでも同棲じゃないですか、とは思ったが、先生の寝床はここだった。
いやそうじゃなくて。先生の最後の言葉に引っかかった。そうか、俺と同じ。ということは–––
「では先生、その方も何か特別な力を?」
俺が問うと、先生は紫煙を吐きながら首を横に振る。
「いや、彼女の場合はそうではないんだ。そうではないが、ある国や地域では尋常ならざる程の特別視をされる人種だ。君とはいずれ会うことになるだろうから、またその時に話してあげるよ」
その口ぶりから察するに、その方もどうやら俺と同じ「人間視されない人間」なのだろう。何となく親近感が湧いた。是非会ってみたい。
先生は書斎机にある銀の灰皿にぐりぐりと煙草を押し付けた。
「あの、先生!」
と赤城さんが挙手する。ついに彼女の疑問が爆発したらしい。
「克実くんのこの力は何なのでしょうか」
「そうだったそれを聞きに来たんだった」
月岡さんも横で遅れて挙手した。それに対して先生は持ち前のもさもさ頭を掻き回し、「うーむ」と唸る。
「そうだな。赤城くん、君は確か文学部だったね」
「はい」
「ならウブメを知っているかな」
ウブメ? どこかで聞いたことがあるな。何だろう。
「えっと、子供を抱かせる女の妖怪だったと記憶してます」
「そうだね。認識としては間違ってはいない。新潟県ではウブ、佐賀県ではウグメなどと地域によって様々な名前で呼ばれている。今は一般的な、小説などで広く知られている呼び名であるウブメで統一しておこう。ウブメ、『産む女』と書く。下半身が血に塗れた女性の姿で描かれることが多い。産女は雨の降る夜に寂しい橋のたもとや四辻に現れ、そこを通過する人々に自分の子供を抱かせる。抱いた後に赤子は段々と重くなり、その荷重に耐えることができればその礼に怪力や宝玉、名刀などが授けられるという」
「あ、聞いたことあるわ」
月岡さんが呟く。彼はスポーツ以外にも何かと詳しいらしい。右横の赤城さんは「ふむふむ」と頷きながら前のめりに話を聞いている。その目はさながら好きな昆虫を見つけた時の少年のように爛々と光っていた。
先生が続ける。
「だが実際に産女などという民間伝承は実在しない。あれは『生きて自分の子供に対面できなかった女の無念』という概念を形にしただけのものだからだ。では何故私が今『産女』について話したかというと、この昔話の『怪力譚』という部分が克実くんの力の事と符号するからだ」
「いよいよ本題」
とても嬉しそうな表情で赤城さんが俺を見る。先生の授業が始まった。
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