第45話 聖都 神彝啊呬厨御 降臨す

 聖なる大都市ヒムロに着いた。


 信じ難い高さと厚さの厳めしい大いなる城壁と、鋼鐵の剛門が聳える。

 何人も破ることができない、城壁と門であった。


 しかし、いかに巨大であろうとも、宇宙や世界に比せば、砂粒ですらない。

 小さな鳥の巣のように、自然の一部でしかない。


 第一の城壁の高さは百メートル、厚さも百メートルであった。扉の高さは八十メートル、厚さは三十メートル(鋼鉄製。機械式でスライドする)である。


 第二の城壁の髙さは二百メートルである。鋼鐵の門の高さも厚さも、第一城壁の倍である。


 第三の城壁は髙さ厚さ扉の高さ厚さも、第一城壁の三倍。

 城壁の間隔は百メートル。


 三つの門を抜けるだけでも、八百メートルを歩かなければならない。


 すべての門扉は音もなく、開く。


「どういうことだ」

「罠か」


 だが、この段階に至っては、誰もさほど訝しくは思っていない。一応の用心くらい。だが、それすらも蔑み、イシュタルーナは一蹴、


「逝くぞ」

 いゐりゃぬ国の聖なる闘士たちは再び勇気を奮い起こし、歩を前へ出した。

 かくして三つの壁の奥の奥なる奥に堅守秘匿されたる奥義なる聖都へと秘儀参入果たす。その荘厳たる都市、巨魁なる建築、神々しきこと筆舌に尽くし難き偉容。


 大行列道路に入る。幅が一キロメートルを超える巨大道路であった。真っ直ぐに進む。門を抜けた瞬間から、眼の前に聳えるかのように見えていた。未だ五十キロメートルほど先に在るのに。


 百キロメートル四方の大都市の中央に建つ、高さ二千一百メートルの尖塔である。槍のようであった。四方を控え壁のように、七百メートルの尖塔が支えている。


 また、東西南北に列柱廊が一キロメートルずつ延び、その行き着く先にも高さ三百メートルの尖塔が建っていた。


 イシュタルーナは急がず、歩む。

 群衆は黙っていた。街は死んだように静まっている。ただ、吹雪のみであった。

 シニクも歯噛みして壮麗な列に囲まれた壇上で凝視している。


 イシュタルーナは天を超えるかに感じられる、荘厳な建築を見上げた。聖イヰの座のある大聖堂であり、聖大神殿(彝啊呬厨御神殿)でもあり、絶対神聖皇帝の宮殿でもある天突の巨大建築のファサードから入った。


 聖者イヰの教えに始まった聖教(シルヴィエ聖教)は何と歪んでしまっていることであろうか。原初の精神を喪ってあまりに久しい。


 イシュタルーナは多くの宗教に見られるこの現象を深く悲しんだ。いや、それは、どのような〝業界〟でも同じことだ。たとえば、政治的イデオロギーもだ。民主主義は本当に民主主義か。議会は民意の反映か。


 共産主義はあからさまに滑稽だ。私有財産の放棄と搾取のない分配は、いつの間にか皇帝の専制以上の独裁と、どこよりも官僚的・形式主義的な欺瞞的な社会を生み出してしまった。この超絶の矛盾は何だ。


 しかし、だからどうしたらよいかという代案はなかった。代案なき反論は戲論である。常々そう思っているだけに忸怩たるものがあった。


 どんなことをしても、結局は私利私欲に飲み込まれてしまう。〝うまいことやる〟連中がいつの時代もいて、調子のよいことを言っては、まるで女を篭絡する男のようにあの手この手で結局、自分の私利私欲に取り込んでしまう。


 あゝ、私利私欲よ、汝、ウイルスのごとく短い期間で次々と変化を繰り返し、生命を責め攻めて来たるかな、汝はあまりにも長きに亘って勝者であり、統治者であった。ウイルスのごとき存在者よ、新陳代謝しない増殖者よ、生命の敵よ、我ら全員が一斉に自らを粛しない限りは、汝を封じ込めること叶わじ。


 虚しきかな、儚きかな、わずかでもウイルスが残れば、人の心が緩む限りに於いて、いつでも蔓延し、パンデミックを起こす。


 ただ、神だけが解決できる。神にしか解決できない。

 だが、神はしなかった。理由はわからない。わからなくて、当然かもしれない。理由など、神が人間に与え給うた戯言に過ぎない。いや、わからない。ただ、そうとしか見えないだけだ。


 だが、幸いなる哉、今、季節は変わった。変わろうとしている。

 イシュタルーナは足を止めた。


 中央部だ。真咒の石を置いた。聖咒を唱える。大地から天に向かって差し込むように、大理石の床から光が上に向かって差し込む。イシュタルーナを聖化する。黄金に体が染まった。聖句の刺青が青白く燃える。金砂の霧が聖咒を光らせながら、帯のように身体を廻った。


 喩えすらもない。複雑精緻、螺鈿のような、霓のような繊細微妙、黄金の光の複雑な燦めき、途轍もなく眩かった。光線が全衆の網膜を刺し射抜く。光の射線が金属のようであった。


「おゝ、あれは」

 民衆が天を指す。

 猛吹雪の空は裂けた。

 崇高なる神聖光が天降り来る。眩い五色の光燦の粒を霧のようにまとう紫麻黄金の雲が現れた。大いなる神が荘厳に屹立し、聳えている。数え切れぬ飛天や菩提薩埵を従えていた。


 真究竟神たる啊(あ)素(す)羅(ら)神族の長、天帝神皇神彝啊呬厨御(カムいあれずを)が天降りて光臨す。眩過ぎた。真究竟真実義の真聖咒を誦す。真究竟真実義の真聖咒は唐突、それゆえに全網羅で龍肯それそのものを具体顕現していた。


 時間が止まる。全宇宙全世界が刹那死す。陰が極まって、陽へと翻る。森羅万象を火炎として熾し、すべての素粒子を光となす一瞬、誰もが、いや、一切が浄化され、清められた。いみじくも宣り給う。

「朕が直截統治する」


 その聖絶なる愴厳の絶大、空前絶後、悲愴なまでの崇高、全宇宙全世界の果てを遙かに凌駕超越し、人には、もはや、抗いの余地なし。絶対の正義、真空のごとく純粋清浄であった。無余依涅槃を究竟する。


 戦争は終わった。一人も死なず。

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