第33話 死闘  黄金の黄昏

 嘆きをよそに、イシュタルーナは淡々と、

「では、行くぞ。ぐずぐずするな」


 ロネが、

「しかし、いずこへ」


「西へ」

「西? 敵が西から来るというのに」

「死中に活あり。艱難辛苦に遭っては敢えて渦中へ。あたしが太陽の剣で、列の剣尖となって逝く。

 ファルコとジョン・スミスがその後ろに遵え。

 その後ろはレオヴィンチ、ミハアンジェロ、ガルニエ、アーキだ。

 次はユリアスと銀の聖闘士五人、次は銀八人、次は十人、次は銀と青銅の将を合わせて十二、かように四十に達するまでは二人ずつ増やし、四十人に達したならば、それ以降は四十人がならぶ横列を二十まで成せ。錐の尖のごときを陣形とし、敵を剣の尖端のごとく貫徹する」


 ファルコが〝水〟の位階に達した海の大鉞を手に取って、大海のごとき威風を持つ刃をしみじみ眺め、

「了解。ちなみに、いゐりゃぬ神の力が得られなくとも、鉞の神威力は有効ですか」

「やれば、わかる。いや、確信がある。渡り鳥が時節も行き先も違わずに数千キロメートルを飛ぶがごとく。明瞭な確信が。

 皆、大地の楯は逝き渡っているな。砲弾が来る。頭上にこれを翳せ。災厄を免れるであろう。

 途中、山賊皇ユーグルと合流する」


 聖都から脱出行が始まる。総勢一千二百二十一人の騎兵隊を編成する。一般市民を究竟の奥義のごとく洞窟の奥の奥に秘匿し。

「逝くも地獄よ、いゐりゃぬ神の加護あらば加護がある」

 民を隠し、戦闘員のみが強行突破を試みるかたちだ。

「為すべきを為す。いずれ近いと希求する奪還の日のために。しかし、心は静かなる湖面のごとくせよ、きよらさやかに、今を生きよ、未来を希うという時間性の中に」


 準備はたちまち整えられた。兵士たちの鼓動が聞こえる。ロネさえも死を覚悟し、体が強張った。ラフポワが意外とぼんやりした表情である。ロネは苦笑した。

「俺もまだまださ。俺が死んだって世界は何もかわりゃしない。安心しろよ、ロネ・ストリントベリイ。さあ、何を恋々とするか。俺は随分前に死んだはずじゃなかったのか。ふふ」

 一向に動じないイシュタルーナは見廻し、確認すると、

「真向正面から直截に行く」


 ごくり、兵士たちが息を呑む無音の音がする。しかし、それだけであった。反対者はいない。


 早暁、装甲した龍馬や大羚羊で一気に下山した。装甲も聖別され、神光に赫く。

「いぇいやああ」

 聖句の金の刺青を青白く燃え上がらせるイシュタルーナが叫び、原蛇と聖なる御徴の刃紋の泛ぶ太陽の剣を振り翳した。敵軍は予想外のことに眼を剝く。


 アヌグイの山の麓に集結していた帝国軍は未だ少なかった。とは言え、数万もの数である。だが、天降(あも)リ給う神のごとくに熾え赫く火の玉を見て畏れぬ者はいなかった。


 太陽の剣は既に〝土〟の位階に達している。


 その一振りは光焔の龍のごとく実在の力で数千人を薙ぎ倒し、焼き滅ぼし、機装甲された砲台附自走式戦闘車輛を真っ二つにした。

 バズーカ砲や移動式連射砲、自動装填連射銃などが襲うも、楯が撥ね返し、太陽の剣に感化された脛当てが脚の動きを神速に変え、旋風のように走らせ、軽々と高く飛び、何人もこれを阻めない。

 紅海を渡るごとく、怒涛が裂け、太陽の前に道は開かれた。


「あたしに続け、錐の切り尖のごとく、差し込み捻じ込み切り裂き貫き刺し徹せ」

 ファルコの海の大鉞はハリケーンの日の太洋の怒涛、イヴァンの天空戟はジェット気流のごとく、ジョン・スミスの大山脈の双頭両刃の大戦斧は存在の大威壓で、兵器を粉砕する。いずれも一撃で数十人を裂き砕き斃す。


 ロネは白銀の月光の弓を構え、前後左右へ自在に矢を放った。神なる矢はまるでミサイルだ。何もかもを貫き、燃え上がらせた。


 ラフポワも雷霆神剣(ソシンの千人の兵を屠るために一時的な〝水〟の位階にあったが、今は正規に昇格し、〝水〟の位階に到達していた)を振い、戦車も人も数千を一緒に電撃と業火で破壊粉砕し、砂塵と化する。


 錐の外側を逝く兵は、龍の鱗のごとく、鎧のごとく、錐を護った。始まってしまえばはや観念し、一心不乱、無我夢中、覚悟して死を決し、一所に命を懸け、背水のごとし、鬼神の勢い。


 どうにか突き抜けて、最初のポイントであるドーリー岳群に入った。槍のような奇岩が林立する場所で、大軍は入ることができない。海底が隆起してできた巨岩山が数千万年の間に浸蝕されて、堅い部分だけが牙のように残ってできた奇観であった。


 イシュタルーナは〝人数を確認しろ〟と命ず。暫時休め、とも言い添えた。


「奇跡だ」

 兵士たちは生きていることに感無量であるが、巫女騎士はさようなことを気にする暇もなく、聖鎧で装甲した龍馬を駈け上がらせて、尖った巌山の一つの頂上に立ってその高台から遠望する。ロネも来た。

「敵は追ってきませんね」

「一つは怖れをなしたからだが、それも今だけだ。

 未だ『屍の軍団』が来ていない。奴らなら、怖れはしない」

「半島内には確実に上陸して来ているはずです。いつもとても迅速ですから」

「うむ。じきに追い込まれるな」

「仰せのとおりと思料いたします。

 我らはどちらへ行くのでしょうか、イシュタルーナ様」


「ユーリー王の都だ。彼は忠誠心あふれるあまり今頃抵抗しているだろう。降伏を勧めに行く」

「今は寄り道の余裕はありません。戦う道を選んで、彼が滅ぶなら、それも彼らの主権です」


「それに、もしイシュタルーナ様が彼らを慮ってわざわざ危険を冒し、ユーリーの王都へ立ち寄るならば、余計に忠誠心を煽られ、逆効果です」

「では、敢えて見ぬふりをして通過しろと。うむ、忍び難いが、そうすれば、裏切られたと思い、我らを恨んで降伏を選ぶであろうな。

 なるほど、それもよかろう」


「で、どちらへ進みましょう」

 ユリアスが問うた。

 イシュタルーナは瞑目したが、

「龍角島へ」


「え、まさに敵の懐かも」

 ロネが反対し、

「危険です。西の海にあって、北西へ延びる島は、我らが半島を龍の顔とした時、額から立つ角に喩えられますが、見方を変えれば、北大陸へ向かって伸びるかのようにも見えます」


 イヴァンも同様に、

「よい選択とは思えません。前衛基地があるかもしれません」

 だが、ユリアスは、

「いや、あの島は海面から切り立った絶壁の島です。岩礁も多く、船を寄せるに適さない」

「詳しいんだね」

 ラフポワが感心する。

「コプトエジャにとって縁ある島です。かつて、宗教改革による迫害を逃れた人たちが紆余曲折の末、遠くあの島に逃れ辿り着いたことがあります。四千年も前のことです」

「わかった。逆に敵の盲点かもしれない」

 ファルコが言うも、

「お忍びで行ければな」

 ロネが苦笑する。


 その時、突如、見慣れぬ騎士団が寄せて来た。問う、

「何者か」

「イシュタルーナ様をお迎えに」

 ロンダーリン王の使いだった。

「大儀であった」

 イシュタルーナは信じ切った顔で皆を促すが、

「念のため、用心しろ」

 ゾーイは配下に命じた。


 王城に着くと、イシュタルーナと数名の主要な将のみが謁見の間に通される。侍従が言った。

「さ、王の御前です。武器を置いてください」

 置いた途端に、荒ぶる精鋭兵たちに囲まれる。

「お命頂戴いたす」


 イシュタルーナはまったく動ぜず、毅然としていた。むしろ、憐みのまなざしで、

「愚かなる王よ」

 一言そう言うのみ。


 すると、謁見の間に渦巻くどす黒い叢雲が起こり、凄まじい雷霆が起こった。 

 王も大臣も将軍も武士たちもたちまち後悔し、震え上がる。平伏し、

「あゝ、気の迷いです、どうかお赦しを」

 だが、既に遅し。王と大臣と将軍は稲妻に裂かれた。生きている城中の兵も家令も、畏怖に凍てつきて蠟人形のように動かない。


 城を出ると、ユーグルが近くまで来ていて、合流する。

「危ないところでした。獣道を数キロ行くと、地元の山の民も知らぬヴアン・ダイスの砦があります。今宵は、どうか、そちらで体をお休めください」

「わかった。心配には及ばぬ、大したことはない。大儀である」


 だが、砦はシルヴィエの『屍の軍団』の夜襲を受けた。怖ろしい無慈悲な死の兵たち、悪鬼羅刹以上に凶悪強力な者たちである。散り散りになって遁れるしかなかった。


 なぜならば、太陽の剣を振るうも、黒雲に太陽が隠されたかのように、普段の威力がない。

「ううぬ、いゐりゃぬ神のご加護が今はないようだ。やむを得ない。

 撤収するぞ。皆に伝えよ」


 龍馬に乗る暇もなかった。巌山を走る、唯(ただ)只管(ひたすら)、走る。

「ふむ、七転び八起きとはこのことか」

「まだ起きてはいませんが」

「むろん、起きるのだ。他はない」

「承り候」


 無我夢中で巌から巌を飛び、急斜面を駈け下り駈け上がるうちに、周囲の者が一人二人と減る。

「あ、イシュタルーナ、気をつけて」

 ラフポワの叫びも虚しく、

「あっ」

 羚羊のごとき巫女騎士があろうことか足を滑らせ、岩から転落した。

「イシュタルーナ!」

 ラフポワが駈け寄る。

「ぅううっ」

 腕と肩と肋を押さえ、うなる。怪我をしていた。

「イシュタルーナ! 大丈夫?」

「ラフポワか、大丈夫だ、大したことはない。他の者たちは無事か」

「わからない、もうバラバラだよ」

「ふ。二人いれば、十分だ。最初に戻っただけだ」

「そうだね」


 正面から木々の間を縫って次々と『屍の軍団』の殺戮兵が迫る。情のない凍てついた、蛇のようなまなざし。


 光燦々たる聖なる太陽の剣を構え、

「目にもの見せてやろうぞ」

 振り被る。血飛沫、血潮撒き散らし、激しい乱戦。息が切れる。

「ゼハア、ハア」


「あ、危ない」

 ラフポワが雷霆神剣を振り被った。イシュタルーナに向かって三方から襲い掛かった鬼神のような兵が肉片と化す。


 それでも、普段の威力はない。

「神は僕らに試練を与えているの?」

「いや、神慮は計り難い」

 危機一髪、凌ぐも一瞬、たちまち群がる敵、非情なる修羅の群れ、次々闇雲に斬るも、傷ついたイシュタルーナとラフポワだけ、埒もない。


「巫女騎士、神将、ここか、見つけたぞ」

 そう喚くのは『屍の軍団』の中でも特に恐ろしい虐殺者、特殊殺戮部隊アンゴーモンに属する地獄の天使モーグヴの兵たちと、暗黒巨大トロールのパーエル兵たちだった。

 ラフポワは絶望した。

「あゝ、もうだめだ。遂に、死ぬんだ。竟に畢った。とても幸せだったよ、イシュタルーナ」

「死ぬるか。ふ。善き哉、難儀の究竟に究竟の死力を炸裂させようぞ。これぞ人の生の華なるかな。死中に活を」


 聖句の刺青の炎が光を放射し、イシュタルーナは瞑目す。聖なる刃紋の太陽の剣を青眼に構え、聖咒を唱える。刹那の間もせず、飛ぶ。

「ぃやあーっ!」

 怪鳥のごとき奇声とともに、同時に数名の重装機甲兵の怪物らを縦に断裂し、剣は勢いあまって地面をも数キロメートル裂いた。地下は岩盤に達す。凄まじい燃え滾る赫奕、剣は〝土〟の位階に達し、すべてを灰燼とするも、その光燦によって、周辺の皆に居場所が知られてしまった。


「急げ、ラフポワ」

「もう走れないよ」

「弱音を吐くな、諦めるんじゃない」

「でも、イシュタルーナ、囲まれているよ」

「ぬぬ」

 周囲を見た。深い森の陰に、殺戮の眼が数百も光っている。イシュタルーナの髪が逆立ち、全身の毛穴から炎のごとき気が噴き上がる。苦境に陥るほどに、激しさを増すのであった。快ですらある。

「何の、この程度、敵ではない」

「相手は『屍の軍団』だよ。死を怖れない特殊部隊だ。世界最強だよ。無理だよ。絶対、無理だよ」


「望むところ。己を超えてもなお己の頭を踏みつけて超えよ。超越をも凌駕せよ。己を超えた上にも超えて、究極の窮極を究竟しようぞ」

「そんなあ」


「死中こそ活。それが生の営む新陳代謝、脱皮する蛇、死と再生、太陽、超越、破滅と未来、それこそが生命の本義ぞ」 


 究竟の刃紋を泛べる太陽の剣は〝木〟の位階に昇った。その神威は天も超えるほどの驚異である。

「いえええぇいっ!」


 気魄、気合ともに精神一到、魂魄を込めて振り被り、振り下ろす。霹靂のような大轟音とともに、信じられようか、神の御業のごとく、激震が起こって大いなる大地を割り、高い雲をも引き裂いて、その一振りだけで、数千人の『屍の軍団』が滅する。


 ラフポワは腰が抜けて動けなかった。

「こ、怖い。

 凄過ぎるよ、助けて」


 イシュタルーナはかっと睜(みひら)く大眼(おおまなこ)が坐り、強く少年の腕をつかむ。

「さ、、逝くぞ。立て!」

 草臥れ切って朦朧、半ば意識を喪ったラフポワを引き摺るように駈ける。


 その頃、いゐりゃぬの戦士たちは巫女騎士を探し回っていた。

「イシュタルーナ様は、いずこに」

「わからぬ、皆探し回っておる」

「こういう離散時のために、いくつか集合場所があるが、そのいずれかに向かうはず。と思われるが」

「太陽の剣の光を見たという者がいる」

「確かに、二、三十分前、空が明るくなったのを、昏い峡谷の狭隘の底にいても感じた。いずこの方面で」

「西南に四キロメートル、思ったよりも遙かに進んでおられる。集合場所の一つ、アジュールの丘に近い」

「深い樹林と峻厳な岩に囲まれた場所だ」

「急げ」


 黙って従う兵卒数名、それは敵のスパイだった。だが、この大混乱、誰も気がつく余裕がない。互いの姿を顧みるも難しい嶮しい奇岩が林立する土地だ。兵が往こうにも、進捗の難しい地域だ。

 難儀を究めたが、ようやく戦いの雄叫びを聞く。

「おゝ、あれは、いったい」

「戦っている。あそこだ」

「あ、イシュタルーナ様の声がする」

 その時、背後から斬りつけられる。

「うぬ、貴様、何を」

「ふ、案内ご苦労、俺たちが始末するぜ」

「裏切りか、スパイか」

「死ぬる者には関係なかろうよ、ふふ。

 死に際の、最後の最後に聞け、巫女騎士はもうこれで終わりだ」


 だが、その数分後に炙られて死したのは彼らの方であった。

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