第32話 神聖シルヴィエ帝国の大侵攻
神聖シルヴィエ帝国の空前の大侵攻が始まった。
大航空母艦から放たれるジェット・エンジン搭載の戦闘飛行機は高温高圧ガスを噴射して音速(秒速三百四十メートル、時速千二百二十五キロメートル)で飛び、半島を五分もかからず横断し、一時間で縦断する。搭載したミサイルを発射、自動装填式の連射銃で撃ちまくり、数千機で上空を蔽い、太陽を消した。昏い。
絨毯爆撃、大空襲であった。
龍馬に跨るロネが馳せ、月の弓で迎撃するも追いつかない。首都周辺の都市は次々と陥落する。
数千の艇から、一万数千の戦闘車輛が続々上陸した。
村を焼き、町を破壊し、進む。
だが、そのいくつかは、イシュタルーナの太陽の剣やラフポワの雷霆神剣、ロネの月の弓やファルコの海の大鉞に叩きのめされた。
ここで、一代の英雄が現れる。ジヴィーノという北大陸出身の傭兵で、鋼の長槍(長さ五メートル)を十本束ねて鋼を撚った極太弦(弦というよりは太い綱だ)をつけた超弩級の靭力の強い鋼鉄の弓で三キロメートル以上も飛ばし、上空の戦闘機を射落とした。
この男、世界最強の膂力皇帝羅范にも匹敵しようかという超巨漢で、身の丈四メートル、二の腕の太さがサラブレットの胴回りくらい、肩幅も広くて身の丈に近く、胸板も分厚くて身の丈に近く、遠くから見ると前から見ても横から見ても正方形に見える。
魁偉の剛力兵であった。
しかし、これでも空から来る敵には抗し切れない。
いゐりゃぬ神の凄絶なる力を使えば、楽勝なはずであった。
いゐりゃぬ神は瞑目し、何も言わず、金箔の細切れのような照りが揺蕩う黄金色の空気の中で、甚深なる瞑想をしている。
民を襲ったのは、ジェット戦闘機や砲台附戦闘車輛だけではなかった。
「あ、あれは何だ」
「龍だ」
龍族だけではない。迦楼羅も飛翔する。
神聖シルヴィエ帝国は圧倒的な科学兵器を備えているにも係わらず、イシュタルーナの(いゐりゃぬ神の)魔訶不可思議な力を適切に(つまり、必要なだけ)警戒し、科学を超えた魔訶不可思議の力も自軍に加わえようと試み、異界の眷属たちに依頼をし、遺漏なくいゐりゃぬ国に対処しようとしたのであった。
だが、日頃の帝国の科学主義的なパブリック・イメージを鑑みれば、到底、成立しない交渉のはずである。だが、奇蹟的に成立した。
「信じられぬ。稀有だ。あれよあれよと言う間に。まさか、いとも容易くこの日を迎えようとは」
交渉の責任者であった外務省副大臣のアイシュタウゼン自身が驚き、又、違和感を覚えたほどである。むろん、交渉に当たっては、可能な限りの準備をした。各民族の魔術師や召喚士、魔法使い、奥義書博士、神秘研究家、錬金術師、修験者、宗教家、在野の修行者など、日頃まったく顧みていなかった者たちに莫大な謝礼を支払い、仲介を依頼した。だが、それとしても、意外、不思議、あまりにも容易(たやす)過ぎる。
成功感よりも危機感の方が強かった。おのれを超えた力の機らきを感じ、罠ではないかという猜疑の念から、すべてを再検証・再調査したが、危機は発見できない。
「むしろ、その方が怖い。いゐりゃぬ神の企みでは」
彼の懸念は功を急ぐ外務大臣から無視され、軍部への報告は、
「懸念なし」
それを受けた軍事大臣、兵部の卿はさまざまな噂を聞いていたが、気運や打算や彼らの立場上の成り行きなどに追い込まれ、併せて功績と栄誉を欲す心に駈られ、既に準備の整っていた軍にGOサインを出す。
ジェット戦闘機、龍や迦楼羅の次に、半島の北西沖に停泊する軍艦から放たれた舟艇がリアス式海岸のあちこちに着岸し、続々と上陸するは悪鬼よりも怖ろしき、慈悲もなき修羅ども。
これこそが世界が怖れる無敵非情の殺戮集団、『屍の軍団』だ。聖教のために命と生活すべてを捨て、生きながら屍骸同然となった、死を怖れぬ最強の戦士、最精鋭の戦闘集団であった。
イシュクンディナヴィア半島のすべての王国はたちまち寝返って、神聖シルヴィエ帝国と和睦を結び、イヰリャヌグラードを攻めるための先陣となった。
首都は包囲され、陥落寸前となる。
敵はさらにアヌグイの山周辺に集結し始める。イノーグ副聖都に迫り、イヰリャヌートを目指す。
その時にも、昏い祠で、イシュタルーナは独りいゐりゃぬ神に対峙し、巫女の務めを淡々と果たしていた。問うこともしない。
しかし、遂に、いゐりゃぬ神の言葉が下された。
「去れ、朕は動かず。汝らは去(い)ね」
「いゐりゃぬ神様、御意のままに」
「神聖シルヴィエ帝国の兵どもが朕を囲繞するであろう。だが、朕を崇め、禱り祀るであろう。
イシュタルーナよ、時は来た。星が廻る。星の運行は常である。天が回転した。天命が革まる。諸行は無常、万物は流転するのである」
巫女騎士が集結していた神将や神臣、諸将や騎士、隊長らにこのことを告げると、一同は絶句する。
「僕らは用なしってことですね」
ラフポワが陽気に言う。
イシュタルーナは戒め、
「愚かなことを。いゐりゃぬ神は見捨てぬ。誰の肩も持たず、味方もせぬ。万物万象である。異叛も背教も違逆もない」
イヴァンが敬虔な面持ちで、尋ねる、
「民は」
「いゐりゃぬ神は現実と同じだ。万民は常にいゐりゃぬ神の下にある。いずれの国の民も民族も」
「神聖シルヴィエの民も?」
ゾーイが疑義を呈す。
「さよう」
「しかし、シルヴィエがいゐりゃぬ神を辱めるのでは」
司祭マグヌスは歎ずる。彼はエミイシの司祭であった。イシュタルーナは冷厳に、
「さようなことができようものか。あらゆる意味に於いて。いゐりゃぬ神はシルヴィエなどいとも容易く滅ぼすし、又神聖帝国が何を為さんとも、違逆も背教も異叛もない」
レオヴィンチ、ミハアンジェロ、アーキ、ガルニエが思わず呻き、
「それでは空気に等しい、ないも同然」
「当然だ。
一つ喩えを言おう。世界とは、時間(一次元)・空間(十次元)を合わせた十一次元時空と、ありとあらゆる事象との一切で構成される何かだ。
では、おまえたちは自分がどこにあると思うか」
「何と仰せられる、今ここに。聖なる都イヰリャヌートに参集しました」
「では、イヰリャヌートは、どこに」
「今ここに、アヌグイの山、イシュクンディナヴィア半島に」
「では、半島は、いずこぞ」
「東大陸(オエステ)に、このイデアス・アース(the ideas earthイデアの大地、又はイデアの地球)に」
「では、地球は。どこにある」
「何と! 大いなる宇宙に」
「宇宙は」
「……せ、世界に」
「世界は、いずこに」
「それは……。
わかりません。それは時空であって、器のようなもので、どこという場所ではなく、いや、その器や時空はどこにあるかとお尋ねになりましょうな。在るとは一定の場所を占有することでしょうから、物理的であると、心理的であるとを問わず。まったくもってわかりません」
「しかし、おまえは困窮したが、何ゆえの、何の困窮か。それが言えるか。そもそも、在る、とは何か。
実在するものも、しないものも、そのそれなりの仕様・意味・かたち・形相・輪郭で実存する。現に実存している。
どれもこれも、かたちで、現実存在だ」
「わかりました。世界・現実はあるとか、ないとかを言うようなものではないのです。未遂不収です。
ただ、行動するしかありません」
「ならば、『人、堂々果敢すべし。人、義しきと以ふ(思う)を爲す善し』の義だ。古来言うとおり」
「あゝ、そうは言うが、癡(おろ)かな自分は嗟嘆せずにいられない」
青銅の兵の一人がそう嘆いた。
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