第24話 イシュクンディナヴィア半島の統一

 さて、野蛮な武者たちの剣や斧や鉄槌は聖化され、神々しい真理の紋の入った武器となっていく。 

 

 碧き海原、潮風の甲板では、髪を嬲らせる二人の男が語り合っていた。

 リュウとネプチュルスは旧知の中である。


「よろしくな、海賊野郎」

「あゝ、わかってるさ、守銭奴。貴様がいると聞いて、俺も腹を決めたんだ」

「そんな小さい夢じゃあるまい。先祖の霊を慰めてやれよ」

「まあな」

 いゐりゃぬ国に、山賊一万と海賊一万が加わった。


 人口七万の国家となる。イシュクンディナヴィア半島の中では、中規模の国家であった。剣を挙げて、巫女騎士が大号令する。

「我が下へ集え。世界を革めよ」

 大衆は歓呼した。


 各国の王たちは動揺する。

「何と言うべきことか」

「あまりにも早し」

 だが、驚嘆し、慄然としつつも、周辺国家の群れは、いゐりゃぬ国の発展を、ただ漫然と眺めていただけではない。強い国々はいゐりゃぬ国に対抗するために連合した。


 ミラネ王国、ベネチャーノ王国、ナポロ王国はいずれも人口二十万以上を誇る強国であり、三国連合軍は他国にも檄を飛ばし、八万の大軍団を編成し、イヰリャヌグラードのあるピース大平原に侵入する。


 対峙したのは、イシュタルーナ唯一人であった。


 誰もが驚愕したのは、巫女騎士が独り草原に立っていたからだけではない。

 燦然たる聖句の鎧兜の姿の神々しさに皆、崇高と畏怖とに打たれたためであった。永遠の蒼穹のような、響き渡る鐘の音が聞こえる気すらする。


 イシュタルーナの刺青が燃え上がった。金が青白く燦めき烑(かがや)く。

 繁縟なる荘厳のなされた鞘から抜く太陽の剣は、この世のものとは思えぬ精巧な原蛇と聖なる御徴とを刃紋として浮かび上がっていた。


「愚かな者ども、我が太陽の剣は既に、〝水〟の位階に達した。この聖化された先祖伝来の楯を見よ。精巧に彫られた蜥蜴の紋を」


 剣と楯が眩く燃え赫く。燃え立つ炎のようであった。ほとんど神に等しく見える。人々の心は根源的な畏怖に心底震え上がった。


「逝くぞっ、覚悟せよ!」

 響き渡る巫女騎士の大音声に八万の兵は竦む。


 イシュタルーナは走った。脛当ては楯の持つ神性に感化され、同様の神威力を帯びる。その影響で、走る速さは龍馬にも劣らなかった。眼に留まらぬとは、このことか。


「いゐゑぇいゐぃいふーっ!」

 剣の燦裂が時空を超越し、一振りで十数人が斬られ、数十人が巻き起こった風に切られ、百数十人が風壓に昏倒し、斃れた。


「速いっ、旋風みたいだ、見えない」

 一振りコンマ一秒、すなわち、一秒で二千人が斃れる。五秒後に一万、連合軍は十秒後には戦意を喪い、十五秒後には兵卒は将校の制止の叫びも聞かず、悪鬼に追われる童のように逃げ始めた。

 怒涛のような数万人の潰走、収拾がつかない。


「逃げるな、引くな」

「斬るぞ」

「将軍、無理です。あまりに凄過ぎます」

「危ない、退避してください」

 既に将校たちですらも、我先に逃げ出している。当然であろう、緬羊の群れに凶暴な狼が入ったようなものである。


 いや、眼に見えない猛烈なウイルスに襲われている感覚である。何もわからないうちに、千人単位で人間が次々と斃れ、どこに逃げてよいのかもわからない。


 昼夜を問わず死力を尽くして走り抜き、命辛々、それぞれ自国に還って、身を潜め、震えて守りを固めた。


 戦争は終わる。平原には、ただ、静寂のみがあった。巫女騎士はつぶやく。

「新たな地平が現れる。それは稀有であったり、どこにもない場所だったり、どこにでもあったりするのですらもない。領域ではない、非領域」


 イシュタルーナの双眸は冷厳であった。

「真実は勝つ。真実は空疎であってはならない。真実は実在である。実存は真実である。言語ではない、論理ではない。それだけのものではないということでもある。理・論であってもよい。躬でもあり、情でもあり、感覚でもあり、すなわち、現実である。

 我々は懐疑の極北を超え、論理の果てまで来た。もはや、ロジックは超越されるべきものでしかない。言語による理解も説明も体系も。

 現実を動かすものが真実だ。現実を変えるものが真実だ。真実は実在する。すなわち、現実だ。

 現実というものに到達しなければ、真実ではない。真実は現実であるがゆえ、現実を変えられるのだ。

 慮れ。鑑みよ。

 論理や言語は現実の前に無力だった。

 武器は現実を変えない。暴力も現実を変えない。喪ったものを取り戻せない。死を超えない。正義も栄光も来ない。顧みよ、武力を振るうことによって、真の勝利を得た者はいない。

 金貨紙幣は、なおさら。言うまでもなし。

 心で解し、感覚で解し、言語で解し、体で解し、体験で解し、行動で解するもの、それが真実だ。身口意密もそれを言う」


 瞑目し、両の手で印契を組み、真咒を誦す。


「身躯が理解で、感覚が解釈、感情が分析で、行動が思考、体験が論理で、天翔け詠うが知性。

 毛の長いヤクの背に乗った女仙が幽玄に叡智を臍下丹田へと運ぶ。

 新しい思考様式、新しい知性のかたち、領域ではない場所、非領域。それは現実それ自体であり、それゆえ、現実的である。現実を動かし、現実を革めることも可。

 そうでなければ、どうして独りで、八万に勝てるだろうか」


 死した者たちは皆、甦って、鉄の兵となる。いゐりゃぬ国の人口は、十五万に膨れ上がった。


 イシュクンディナヴィア半島の趨勢は決定した。戦おうとする国はない。静観、観察、陰謀、そんな中で、和睦・同盟を申し出る国が現れる。

「早い方がましな地位に就ける。遅れれば、鉄以下にされるに違いない」

 そのとおりであった。


 しかし、遂に東大陸(オエステ)も動き始める。

 リョンリャンリューゼン(龍梁劉禅、又は大華厳龍國)の帝都、大元汎都からは二十一人のスパイが放たれ、イン=イ・インディス(殷陀羅尼帝国)の帝都、大涅槃城からは九人のスパイが放たれていた。


 又、北大陸(ノルテ)の神聖シルヴィエ帝国からは数百人もの諜報部員が潜入している。


 イシュタルーナはイヰリャヌートの、暗き祠のような、簡素な丸太の部屋に坐し、まさしく巫女としての言葉で、はっきり言った。

「オエステ(東大陸)の数々の大帝国や、ノルテ(北大陸)の超大国がスパイを放っている。

 大いに結構、いゐりゃぬ神はすべてを見ている。このリストの者たちを公開の場に呼び出し、すべてを晒せ。行状はつぶさに、書記官の筆に記させた」

 ロネは書面を受け取って、直ちに行動する。

 

 さて、リョンリャンリューゼンの情報部長官トンテイ(貪彘)は青い顔をして入って来た。参謀長コウ将軍がそれに気がつく。

「どうした、君らしくもない」

「諜報活動は失敗です。情報部員は皆、帰還しました」

「何だと、なぜだ」

「すべてがばれているからです。

 情報部員は広場に、公開の場に二十一人、すなわち、全員が呼び出され、衆の前で、名前と生年月日、住居や家族、入国してからその日までの全行動を公表されました。すべて正確な事実で、一切の間違いがありませんでした。これではシラを切れません」

「何と言うべきことかな、これもいゐりゃぬ神の力か」

「そのようです。全知ですから。

 その上で、このように言われたそうです、『今帰れば、赦すが、帰らなければさらに追及し、裁判なしで刑に処する』と。いゐりゃぬ神は無謬なので裁判は必要ないと」

「そんな無茶な」

「そうではありません。

 神は無謬です。誤った判決も冤罪もない。神の言葉のすべては事実です。正確なる真実です。

 神を騙る者がやるから、今までは無茶だったのです。神の言という詐称であったから、歴史上は暴挙だったのです。

 本当に本物の神が直截やれば、間違いではありません」


 千数百人の各国のスパイが逮捕された。半島の各国の者たちだけではない。リョンリャンリューゼン以外の東大陸の国や、神聖シルヴィエ帝国を含む北大陸の国々の者たちもいた。


「いゐりゃぬ神に隠れて、ものを思うことはできない。心に想ったことは、すべて知られている。謀反叛逆を胸に抱く者は既にバレている。

 時折、対象者にダイレクト・メールで教えてやろう、その者がいつどこで何を考えたかを、詳細に、緻密に。

 だが、即刻に罰することはない。すべては神の御心のままである。背教も異教徒もない。

 全知全能とは、そういうことであり、他はない」


 すべての王侯貴族はあきらめた。もはや、闘い方がない。

 かくして、イシュクンディナヴィア半島は統一された。

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