第13話 イノーグ駐留軍全滅して九十九の青銅の兵となり祠を社へ改築する
エミイシの将が九十九人の武装兵を率いていた。
イシュタルーナを探しに来た訳ではない。村人からのさまざまな怪情報(怪しい光が見えた、など)が寄せられるようになったので、統治者として、一応様子を見に来たのである。
兵を率いる将はイノーグの奇襲遠征軍を任されたマハルコ・エミイシ。ソシン・エミイシの弟だ。
イルカの町からイノーグ村までの二十数キロメートルをわずか四十分で、野を越え、山を越えて駈け(予め、支度はしてあった)、奇襲を成功させた早駈けの英雄である。
然れども、その彼とても、斥候と調査を兼ねた隊が撃退されたなどとは夢にも思っていなかった。
帰還のないことを不思議とは思っていたが、それを気にする余裕はない。名誉も忠誠心もない、最下位の傭兵である。もし、逃亡したなら、いずれ懲罰するとしても、今は兵たちに知られない方がよい。マハルコの想いも、その程度でしかなかった。
現在の彼の中心的な仕事は奇襲当時とは変わっている。
戦の直後は、廃墟となったイノーグ族の館を中心とするイノーグ村周辺の残党狩りや物資の略奪であったが、治安回復の布告以後は、兵士の賞罰、難民の慰撫、戦後統治へと移行していた。
イノーグの村に住んでいた者たちは、平民の女こどもまでも殺戮したが、その周辺の領地の農民らには、手を出していない。彼らは相変わらず、村の周辺のあちこちに散在し、エミイシの軍の様子を見ながら、しぶとく生きている。
農民を安堵させ、吸収し、新たな統治下に置くことが、奇襲軍の新たな仕事となっていたのであった。
暫時の法を布き、懲罰を明らかにして治安を維持、これからこの征服した土地の者たちを領民としなければならない。戦後の展開まで見込んだ上で、討伐将軍に選任され、派遣されたマハルコであった。
麓の村人の案内で、最近、異様な動きがあるというアヌグイ山を登るのも、そんな仕事の一つである。
「不思議な神光りがありまして……」
「ふむ」
無知蒙昧な民たちめ、マハルコはそう思いながらも、派手な帽子を斜めに気取ってかぶり、太った大きな体を揺すぶって、たっぷりある髭を捻り、不機嫌そうにうなずくのであった。
ところが、山頂近く。
「何だ、これは」
塔を、無意味な門柱にも似たそれを見上げて、呆れた。
「イノーグの連中か? こんな者を作る人数はいないはずだが。古老ヴォーンの末娘、高名な巫女騎士イシュタルーナが残るばかりのはず」
護衛の騎士も訝しがり、
「しかし、イシュタルーナは外国に逃亡したのではなかったのでしょうか。よもや、イノーグの者たちがこんな無意味なことをするとは思えませんが」
だが、そこには粗末な襤褸切れ同然ながらも、いゐりゃぬ神の御徴の旗と、イノーグの紋の旗が風にはためいていた。
「我らの知らぬ残党をかき集めたのか……」
よく見ると、門柱の十数メートル奥に、自然な樹木のままの塀がある。塀の正面は開いていて奇妙な樹木の工作物を垣間見ることができた。
さらに、呆れたのは、小さな少年が独りで、とことこと歩いてきたことだ。これもイノーグの眷属? だとしたら、降参を言いに来たのか?
「小僧、何だ、おまえは」
来た少年は言う、
「ラフポワだよ。ねえ、降参しておくれよ」
驚きと笑いで軍団はどよめいた。
「あははは、こりゃ、ぶったまげたあ、いや、あははは、物凄い勇者だ」
ラフポワは困った顔で立っている。
「勇者なんてとんでもない、僕は全然、強くないよ。ただの神将だよ」
困惑したラフポワを見て腹を抱えて笑う兵士が指差しながら、
「あはは、こりゃあ、ぶっ魂消た、神将様だとよ!」
その様子を東西の塔にこもった二十五人の銀兵は固唾を呑んで見守っていた。
また、ファルコは洞窟の前を守護するように立つ。
すべてイシュタルーナに命ぜられて、そうしていた。歩むラフポワも、である。
神将少年はさらにとことこと進み出でて、
「あ、あのー、止めた方がいいと思うよ。これ、いゐりゃぬ神の双眸の光輝を浴びた剣で、雷霆神剣っていうものなんだけど」
「ふざけるな、図に乗りおって、こどもとて容赦するな、者ども、ぶちのめせ」
「そんなあ」
ラフポワは仕方なく剣を抜いた。
霹靂が轟き、八岐大蛇のように八つの岐に分かれた複数の雷霆となって、九十七名の兵を巻き込み、焼き尽くす。
生き残ったマハルコと二人の兵たちは恥も外聞もなく平伏し、
「うわわ、命ばかりはお助けを」
「じゃ、皆さん、いゐりゃぬ神に仕えてください」
「皆、死にました」
「そうですか、いや、そうでしたよね、それでも、たぶん、彼らもお仕えできそうな気がします」
「え」
そう言った途端、九十七人は生き返った。
「こんなことができるなんて、信じられない、いゐりゃぬ神とは! 知らなかった! いゐりゃぬ神か、あゝ、俺たちは何という愚かなことをしてしまったのか、いゐりゃぬ神に楯突くなんて、すぐにも兄を諫めよう」
イシュタルーナは悪鬼羅刹すらも泣くほどの、容赦のない怖ろしい形相でにらむ。
「おまえは直截的な殺戮者ではあった。現場で虐殺を行ったのは、おまえだ。
だが、あたしはソシンを憎悪する。おまえは手足に過ぎない。ソシンを第一に裁く。
いつの時代も、庶民である兵隊に罪はない。そもそも、我が父と諍うソシンに因縁があった。
それゆえ、逝くなら、逝くがよい。直ちに逝け」
マハルコは兵をその場に置き、大羚羊を駈って、急ぎ帰った。まずは占領軍本部に行くと、ざっと概略を話し、しっかり見張れ、統治せよ、と言い遺してから、エミイシの町イルカへ早駈ける、疾風のごとく。
さて、アヌグイの山上に残され、茫然自失の兵たち九十九人に、イシュタルーナは命じた。
「さて、おまえたちは青銅の兵だ。その誇りを持て、その尊厳を。
大いなる黎明よ。銀の兵たちの下で働け。銀の兵と合わせて五人組を作れ。それが伍(五人一組、軍隊の最小単位)だ。
五人のうち銀の兵が隊長となれ。それが伍長だ。青銅の兵は四人ずつ、銀の兵に従え。
すなわち、一つの伍には必ず一人の銀兵がいるようにせよ。二十五隊の伍ができるはずだ。
そして、五つの伍隊を一人の黄金の聖戦士が率いる。そういう組織となす。
おっと、マハルコがいないから、一組だけ青銅兵三人の組ができるが、そこはしばし待て。いずれ、帰って来る。
いずれにせよ、組織は大いに拡大した。
真究竟真実義を讃えよ、真理は理解するものではない。供物を集めよ。いゐりゃぬ神に仕える者たちよ。
汝らの居所を洞窟内に築き、狩猟採取し、供物とおのれの食糧を収集せよ。
伍長たる銀の兵たちの言葉に従え。よいか、真なる声に聴従せよ」
異を言う青銅兵がいようはずもない。
「はい、直ちに、只今!」
命懸けとはこれを言うのか、と思うほど、必死の応答であった。
銀の兵たちは初めての部下に戸惑っていたが、まんざらでもない表情である。ゾーイなどは、手慣れた感じで指示を出し、
「皆、どうだ、祠を御社へ格上げさせるんだ。いゐりゃぬ神の御社を構築しよう、これだけ人数がいるんだ。何でもできるぜ。それぞれの伍で、役割分担しよう。
おい、そこのおまえ、何だ? 俺に何か用か?」
「シュウゼイだ、忘れたか、ゾーイ、おまえの村に徴税に行っただろ」
元収税官シュウゼイは、本来なら、バカ野郎、この俺様を忘れたか、と怒鳴るところだが、銀兵の存在の威が壓となって迫り、かくも控えめな言葉で言う次第。
ゾーイは冷厳と睥睨した。
「知っている。よくもこの俺に声を掛けられたな。いい度胸だ。この状況で」
シュウゼイは、あゝ、しまったっ、と思ったが、もう遅い。
「いや、何、その節はいろいろと」
「そうさ、良く知ってるさ、忘れもしない、するものか、この地獄野郎、俺の家は父がいなくて、母が病弱で少し猶予をと頼んだが、おまえは容赦しなかった」
「あゝ、赦してくれ、役目だったんだ、むろん、そんなつもりじゃなかったんだ、皆、やっていたことだ、俺だけじゃない、時代だ、役人の哀しさなんだ」
加害者とは、往々にして自分のしたことを大したこととは思っていなくて、むしろ、自分はまあまあ善人な方だなどと思っていたり、当然のように普通の人間だなどと思っていたりもするから人は滑稽である。
「そうかな。マハルコの占領地政策は懐柔策だった。おまえは自分の成績という、私欲のために、我が家を不幸にした」
「あゝ、赦してくれ、こんなことになるとは思わなかった」
「どういう意味だ。こんなことにならなければ、謝りもしなかったという訳だ。立派な後悔と謝罪だな」
「いや、そういう意味じゃなくて、いや、いや、本当に、そうじゃなくて、口が勝手に、どうか、ゾーイ様」
そんなやり取りがそこかしこで行われていた。横眼で眺めながら、イシュタルーナは愉快を感じる。このような結果は当然であった。戦いの場の先駈者は皆、下っ端で、真打は後から来るものだ。ところが、イシュタルーナの下では、ここへ来た順に上位となる。
逆転が起こるのは必然であった。
ここに来る以前は、威張っていた者たちがかつて踏み躙っていた者たちに今は虐げられる。これを欣快と言わずして、何を欣快と言うべきか。今後も、こういうことが続くであろう。人間は自らの車輪が踏み躙った轍に嵌まるのである。
恨み、復讐、それらは神に仕える身にあっては、狭量な考え方かとも思ったが、こういう考えを無理に絞め殺して来た今までの歳月を想い、こういうことがあってもよいと、巫女騎士は独り言つ。
「硬直した考え、一向な考え方はよくない。万物は流転する。足場はどこにもない、着地はできない。しかし又、激流に棹を差さずば、筏を彼岸へ渡らせられないことも事実である」
とは言え、現実問題として、いずれは神の御心に適い、聖の聖なる功績ある者が上がり、適わぬ者は下がる。自然淘汰が行われるのである。今、虐げられたとしても、永遠とは限らないということだった。
それは、どうにもならない。弱者に優しくと言っても、限界がある。現実と同じ限界だ。むろん、そうだ。ここは、現実だから。
自らに独り言ちて、
「さあ、さあ、空想を止めよ、瞑想を。
現在に還れ、事象へ。今へと立ち返れ、イシュタルーナの思惟よ。
祠を社へと荘厳する話へと意識を戻せ。それは偉大なる考えだからだ。善哉、善哉、善き哉、良きかな、実に正しい思惟である。
いゐりゃぬ神の御社の建築、おお、そのとおりだ。素晴らしい。いゐりゃぬ神を荘厳せよ。それが為すべきことのすべて。衆よ、為すべきことを話し合え、条理ある話し合いには意味があり、価値がある」
イシュタルーナがかくのごとく価値を肯定し、附与することに因って、兵たちの魂魄は鼓舞される。
イヴァンが言った。
「私めに考えがあります」
「よし、黄金の聖者よ、黄金の聖騎士よ、おまえの考えを聞こう」
説明が終わると、イシュタルーナも、その周囲にいた者らも皆が納得した。
「それがよい。材木を集めよう。森へ行こう。イヤハレ、ハレヤ、オーレ、イェイ、イェイサー」
森に着くと、イシュタルーナが最前線に出て、
「では、早速、祈りを捧げよう」
聖なる咒を聴いて、樹木の元老たちは納得し、受諾した。
伐採する。杉は脆いので、樫を選んだ。この地方にしかない高(こう)山(ざん)斎(いつ)樫(かし)だ。鉄のように硬いが、伐り出しに苦労する。イシュタルーナが、
「斎樫は、そのような錆びついた戦斧では伐れぬ。待て、いゐりゃぬ神の力をお借りしようぞ」
聖咒を誦して後、戦斧にイシュタルーナが息吹を掛けると、たちまちそれは聖なる大斧となった。岩でさえも、常温時のバターのように力せずともよく切れる。頑丈な材木は整然と列した。
イヴァンは言った。
「樹皮を剥かぬ粗野なままでよい。元老たちの心を大事にせよ」
祠と拝殿を囲っていた真円の塀も含めて、全体を蔽うよう、高山斎樫の材木を方形に組んで壁とし、番小屋をその方形の外に移動し、すなわち、社の中に塀に囲まれたあの奇妙な祠がそのままあるように柱、梁、壁、屋根をくみ上げていく。
方形の各面は正確に東西南北に定めた。屋根は三角の破風のある切妻型で、神と人とが自由に交流し合っていた太古の、素朴な御社のふうである。
本来、真円を四角く囲えば、正方形になるところであるが、御社は長方形で、南側部分が長く延びているかたちに作られ、番小屋はその南の外側、数メートル離れたところに置かれた。
寸法は、南北に十二メートル、東西に七メートルである。
延長された部分はスペースとなるので、二つの部屋が作られた。
「ほんとに? これ凄いよ!
何もお願いしてなかったのに、何で? あゝ、でも、とてもうれしいよー」
ラフポワが喜んだのは、その二つの部屋のうちの一つが、彼個人の居室として作られたことがわかったからである。
南面する社の正面の長じた部分、元の祠の塀の南外側に当たる部分に、二畳ほどの、板で仕切っただけの狭い空間、イシュタルーナとラフポワのための部屋が、左右に一つずつ作られたのであった。
洞窟からの引っ越しは日を選んで行われる。
部屋の中は、ベッドと小さな机、簡素な椅子のみで満杯、他には暖房用に熱した石の入った鉄鍋が置かれていた。
イシュタルーナも微笑み、
「さらに、日常が返って来た感じがする。生活とは尊いものだ。
しかし、油断なきように心を引き締めよう。いゐりゃぬ神の御心は知り難い。人の思惟など、いゐりゃぬ神が糸繰り操る絡繰り人形に過ぎないのだから、何を推し測れようか。推し測ったとて、何かは」
ラフポワは難しいことは考えない、喜悦満面、大いに感激していた。椅子に腰かけ、
「生れて初めてだ、自分の部屋なんて。あんなに不幸だったのに、今は幸せだ」
初期の頃と比せば、まるで天国と地獄ほどの差異があった。暖かく、快適で、食糧も十分だ。
そんなところへ、イシュタルーナが、
「勉強を教えてやろう。学びたいな?」
「そうだよ」
「教える。覚えろ。哲学、神学、歴史、宗教、数学、兵法」
ロネは社の東側の傍らに、併設する小屋を自分で作った。洞窟から、彼の道具等をすべて運んだ。
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