第11話 傭兵が二十五人の銀の兵士に

 純白の山脈、紺碧の空。

 早朝の狩りを終えて、獲物を調理場に、

「おい、よろしくな」

 とぞんざいに投げ渡すと、ロネは斜面を登り、鍛冶場に寄った。

「おーい、スミス、いるか?」

 融けた砂鉄を冷え固まり切らぬうちに金槌で打つ、鉄へと鍛える。一瞬も気を許せない。集中していた。音が激しいせいもあり、ロネの声も聞こえないらしい。

 ジョン・スミスは鎧兜や剣や楯の製作に余念がなかった。今は、農場に一人を残すのみで、工房ごとこちらへ移動している。鍛冶屋の家屋は最初、洞窟で行っていたが、音が響くので、すぐに粗末な小屋を高い位置に建てた。上に昇る煙が他の者たちを燻さないようにするためである。

 なおかつ、急傾斜を登るようなかたちで、雪洞を作って煙突をとしていたが、この煙突を複数に分岐させることによって煙を分散し、人煙があることに気がつかせない工夫もした。

 できた武具や防具はイシュタルーナの下に運ばれ、神の御魂込めが行われる。魂が込められた武具や武具は次々と、神の剣、神の鎧兜、神の楯となっていった。

 イシュタルーナも来る。

「そろそろ、来るぞ」

 皆一様に驚いた。

「え、何者がですか」

 遠望するが、見えない。

「前にも言った。銀の兵だ。我らの衛兵だ」

 そう言って笑う。ようやく微かに見え始めた。イシュタルーナはどうして知っていたのだろう。神のお告げか。

「あ、見えてきました、あれは」

 急斜面を大羚羊に乗った騎兵隊十数騎が歩兵を率いて駈け上がって来ていた。ロネが眼窩に手を翳して遠望し、

「どうやら、エミイシ族の正規軍ではないようですね。彼らは最下層の傭兵です。傭兵でも、王の軍よりも勇名を馳せらせるゲ・クラン殿の兵のような鋼鐵の兵もいますが、彼らは山賊上がりのような連中ですよ。

 面倒臭い仕事や、名誉に関係のない仕事をしています。恐らく、斥候、又は残党狩りの調査隊でしょう。あの、道案内をしているのは、ムソルグ村の者のようですね」

 イシュタルーナは言った。

「ムソルグ村は我が領地の一村だった……是非もない、弱き者たちは。

 さあ、いゐりゃぬ神の臣にして、月の弓を持つ黄金の聖戦士よ、矢の力を試せ」

 月の弓を使うのは、初めてだった。狩りでは普通の梓弓を使う。ロネは驚いた顔をしたが、頷いて弓と矢筒を受け取った(イシュタルーナが用意していた)。

 矢を筒から抜く。

「え」

 鏃は神々しくも、恐るべき殺戮の光をギラギラと輝かせた。精妙な文様の金具で聖妙に装飾されている。矢羽は青鸞の羽で鮮やかであった。重い。いつ、こんなものができていたのか。ロネは息を呑んだ。うまく飛ぶだろうか。

 イシュタルーナは強く命じた。

「射よ」

「しかし、敵との距離は、まだ一キロメートル以上も距離があります。いや、二キロメートル近い」

「射よ」

 ロネは有無もなく月の弓を構える。太い弦は軽々と引けた。

「はい」

 弦から手を離す。重い矢は雷の速さで飛ぶ。光を散らして燃え、彗星のようであった。風を切る唸りの凄まじさ。重さを感じさせぬ。しかも、途方もない飛距離だ。

「ぅわああああああ」

 ミサイルのような矢が兵五人を射殺す。一人を貫通して、二人目の左を剥ぎ取り、三人目の右を剥ぎ取り、四人目を貫通、五人目も貫通した。五人目は貫通というよりは、八つに裂けてしまった。斥候騎兵らは止まって、震え上がった。

「し、信じられない……」

 射手すらも震え上がってしまった。

 標的となった人間たちは言うまでもない。

「ひええ、ひええ」

「何だ、こりゃあ、信じられない!」

 ロネ自身も愕然とし、次が撃てなかった。

 イシュタルーナが叱咤する。

「何をしている。早く射よ」

「は、はい」

 二本目の矢は空気との摩擦で引火し、炎で七人を斃した。

「バリスタよりも遙かに凄い」

 ロネは思わず唸った。

 バリスタとは、古代の武器の名称で、大きな弩のような装置を用いて槍を四百メートルも飛ばし、射られた人間がそのまま背後の木に突き刺さるほどの威力を持っている。それを桁違いに凌ぐ凄さであった。

「ダメだ、逃げろ、堪らん」

「ひええ、た、た、助けてくれえ」

 三本目の矢が逃げる兵士たちを風圧で吹き飛ばし、九名を粉砕して肉片とする。

「待ってくれ、降参だ、赦してくれ」

 ハイエナのような傭兵も、逃げられないことを悟った。生き残った傭兵一名と農民三名は平伏する。

 ロネはイシュタルーナを振り向いた。

「降参と言ってます。赦したいのですが、よいですか」

「むろんだ。殺しては守衛にならん」

 その時だ。

 いゐりゃぬ神が言葉を発した。

「さようなことはない」

「え、いゐりゃぬ神よ、それは」

 イシュタルーナは解しかねるという意外の表情をし、神なる射手となったロネは、

「殲滅せよとのことでしょうか」

 人の問いに応えず、碧き双眸が燃える。

 初々しき孅(かよわ)さの、か細い滑らかな四肢が白銀に輝いた。すると、兵の屍が甦る。肉片もそれ自体が蠢いて集合し、人体を構築した。

「おお」

 あまりの奇蹟に、敵も味方も驚愕する。

 甦った二十一人の兵士たちは自分たちの手を見、足を見て、眼を丸くし、喜ぶ余裕さえなく、信じられぬという表情で震え慄いていた。

 イシュタルーナは咳払いし、

「なるほど、そういうことか、ううぬ。いゐりゃぬ神はまさに自由自在、無礙なること、まさに無際限だ」

 歩み寄った。

 距離があるので、兵たちの近くに行くまでには、少々時間がかかったが、彼らはもう逃げることも忘れ、怯え切って身動きすらできなかった。見栄も強欲も失せて、天然自然のまま、慄き怯えている。特に甦った者たちは死の国を見て来たので、日常の価値観などぶっ飛んでいた。

 イシュタルーナは言う、

「おまえたちに、いゐりゃぬ神の守衛を命ずる。もし逆らうなら、大したもんだ、あたしにもできない。世界一の蛮勇者と呼んでやろう。呼ばれたいか?」

 傭兵と村人たちは平伏し、哭くように叫んだ。

「滅相もありません、どうか、どうか、お赦しを」

 イシュタルーナは苦笑した。

「よろしい、おまえたちは実際、幸運を手中にしたのだ。今日から、いゐりゃぬ女神の聖なる兵だ」

「は、は、は、はい」

 ラフポワも言葉を添える。

「そうだよ、僕も一番惨めな兵士だったけれど、ずいぶん、よくなって、今は最高に幸せだよ」

 イシュタルーナはラフポワの言葉など意にも留めず、

「傭兵よ、おまえたちのその薄い革鎧、土に臥して転戦を続け、泥だらけに擦れ、傷だらけだ。不浄な血と汗を聖化しよう。聖なる血と汗に変えようぞ。

 裏切りの村人よ、尊き労働の証である着古し汚れた農作業服をまとう者たちよ、それもまた、聖化しようぞ。弱き者たち、小さき者たちは裏切る。やむなし。

 だが、喜べ。生存の不安は消えた。もはや、飢えることもなく、凍えることも、蔑まれることもない」

 聖咒を誦す。

 鎧兜は銀に輝き、チュニックや外套も同じく赫く。人々の表情も、自信と尊厳と誇りに満ち、何百万年もサバンナの王者であった獅子のごとくであった。

 あゝ、獅子の鷹揚に比べれば、わずか数万年、大地の勝者となったばかりの人間の、何と不安に満ちて生きていることか。燦然たる勝利者の意気が遺伝子に刻まれるには、何百万年もの歳月が必要なのである。

 だが、銀の兵と呼ばれる彼らは、それを手に入れた。

 イシュタルーナが粛然と言う、

「防衛せよ、真理は勇者によって守られるべきなのだ、おまえたちを銀の兵とする。生き続けることの苦しみのために藻掻いて足掻き、一度は捨ててしまった誇りを取り戻せ。

 いゐりゃぬ神のために自らを崇め、勇士として正義を保持せよ」

 銀の兵となった者たちは見違えるように勇ましかったばかりではない。身体も大きくなったように見えた。銀に燃える剣を挙げ、

「イヤハレ、ハレハレ、イヤー、イェイ、イェイサー」

 歓呼する。

「驚くべきことだ、稀有なこと、奇蹟だ。恐らく時代が変わるのであろう。魂の革命が起こる。新たな地平は崩壊の始まりでもある。春は夏の始まりでもあるが、秋を孕み、冬を予告する。

 因縁生起、万物は流転する。革命よ、星が廻るように。遷移しないものはない。諸行は無常だ」

 ロネは嘆息した。

「ふん」

 イシュタルーナはそんな憂慮と希望の綯い交ぜをつまらぬことと鼻先で笑い、祠の御前に、番小屋を作るように銀の兵たちへ指示したが、兵の一人が、

「巫女騎士様、お言葉ですが、番小屋を作る前に作るべきは塀です」

 他の者も、

「そうです、祠と〝拝殿〟をぐるりと囲む、本当の塀があるべきだと思います。番小屋はその外側に附すべきものですから」 

 銀の兵たちは生れて初めて味わう自由を噛み締め、命を発動して生き生きとし、生まれいずるさまざまな想いを言葉にして発案し、皆が自主的に行動するも、

「棟梁(アルケー)が必要だ。原理(アルケー)なくして、形相(エイドス)はない」

「それは引き受けよう」

 五人の黄金の聖者たちが来る。

「私たちが君たちの意見を聴き、よく導こう。君たちはロゴスの声に聴従すべく心を清ませ」

 拍手喝采。拍手は魂を鼓舞する。

 ロネもうなずき、

「そのとおりだ。私は私で、自らのロゴスに聴従しよう」 

 装い、弓を持って、狩りへと出た。月の弓ではなく、普通の弓を持って。

 銀の兵たちの議論は続いた。

「見張りの塔もなくては。眼の前に敵が来てから動いても遅すぎるぜ。敵への警戒、情報が大事だ、それがあってこそだ」

「物(もの)見(み)櫓(やぐら)を作ってはどうか」

 それを聞き、巫女騎士は、

「善き哉、良きかな、湧きいずる智慧のままにせよ。それこそは、いゐりゃぬ神の授け与えしものゆえ、神より流出(ヌース)せしものゆえに」

 そう言って、彼らの意見を承認する。銀の兵たちは額を寄せた。黄金の聖者たちは見守る。

「さあ、考えろ、考えよ。何をするにも、関連することがたくさんある。関連する諸々の事柄を思い起こせ。仕事は単純ではない。準備が必要だぞ」

「計画、材料、アイテム、記録、飯だな」

 二人が簡略な図面を作成し、材料のリストと材木の加工の指示書をまとめ、作業のための二十一人を連れて森へ入る。

 極寒地での作業には、防寒具が必須だ。毛皮を原料にして衣服を調整する衣服係二名を決めた。

 イシュタルーナは森に入った者たちとともに森に入り、樹木を伐採する前に咒を唱える。銀の兵たちは詠唱の後に伐った。

 次に、それを引き摺り集め、半ば凍った原木で、祠を囲む塀を作る。

 塀には小さな門(入り口)を工作し、その傍らに番小屋を設けた。

 原木はほぼ素材のままで、森林の威厳を維持している。

 黄金の聖者たちが観照し、賛嘆を込めて祝福した。

 翌日、ロネが狩りへ行く前に寄る。番小屋の番兵が出て来て、辞儀をした。銀の鎧が燦めき、王を護る衛兵のようだ。いや、むしろ、将軍のようですらもあった。

「一夜で、さらに生まれ変わったな」

 イシュタルーナも朝の礼拝を終えたのであろう。塀のうちから、颯爽と出て来た。凛たる巫女騎士はロネを見て、軽く頷く。

 まさしく大神殿の巫女のようになっていた。着ていた衣も鎧も、いつしか更新され、白く聖なる衣に白き金の鎧兜となっている。

 ロネは祠の前に膝を突いた。神に黙祷する。清々しい気分だ。

 そっと覗くと、祠には、小さな窓が切ってあった。暗く、何も見えない。だが、そこには紛れもなく、いゐりゃぬ神が鎮座していた。

 双眸を感じる。崇高と敬虔と畏怖とが同時に胸を襲った。生命が昂揚し、涵養され、静謐と清浄とを満たす。

 他の人々も動き出した。

 銀の兵たちが洞窟からぞろぞろ出て来る。作業が始まった。木材を積む。何かを組み立て始めた。

 ロネは眺め、またもや堂々たる姿に変わった銀の兵たちに驚く。廉っぽい、最低最下位の傭兵と、平凡な村人であったとは思えない。

 凛々しく誇らしげだった。

 ロネは歩み寄って、銀の兵たちに尋ねた。

「いったい、何を作ろうとしているんだ」

「ヤグラです」

「櫓(やぐら)だと?」

「はい、いずれはここが城門のように、御社の門になります。

 この門を起点として、城壁のようにさらにぐるりと廻らせ、祠を木の塀ごと囲むつもりです。

 そうです。囲みは二重になります。

 妙法は厳重に、二重に囲繞されるという訳です」

 応えたのはゾーイという若者で、ムソルグ村の農夫であった男だ。

 利発そうであるばかりでなく、抜け目のない、狡猾そうな表情ではあるが、後で聞いた話では、春になったら、農作業の手伝いで帰りたい、ついては「イシュタルーナ様が赦してくれるかどうか」を心配しているという、意外に親孝行な者であった。里には老いた父母しかいないという。

 しかし、取り敢えず、今は神々しくて、憂慮も苦慮もしている様子はなかった。そのうち、家族を呼び寄せられるようになるさ、だが、今は未だ言わないでおこう。ロネはそう思った。さて。

 数日後に完成し、銀の兵たちの住居を兼ねた物見櫓となる。祠の塀の入り口から真っ直ぐ十数メートル南の位置にあり、高さは十四メートル。四階建て。

 二つの木製の塔は、いゐりゃぬ神の祠の入り口(小門)から見て、左が東塔と呼ばれ、右が西塔と呼ばれた。

 数日後に、二十五人の銀兵たちがそこに潜み棲む。来る者たちを見張った。

 塀の外側に建つ、大門柱のように見えた。門柱と言っても、壁がないので、象徴的な門でしかなかったが。

 二十五人の銀の兵のうち、狩猟隊四名は鹿やウサギやキツネや山鳥を捕らえる。

 衣服係は生皮を処理した。

 調理人二名は調理して奉献する。

 祭祀係一名がいゐりゃぬ神への献上をした。献上の暫時後は神前から下げ、皆の膳に供する。

 そのために、祭器とともに、食膳のための器や匙などを一名が作る。

 他二名は臨機応変に雑事等々を行った。

 物資は皆無に等しいが、でき得る限りことを行う。

 居住空間である洞窟も改善が図られた。

「聖の聖なる真聖の巫女騎士と、神将に相応しいお住まいを」

 イシュタルーナの坐する場所には雪虎の毛皮が四重に敷かれ、荘厳された。木の匙と石の器でスープを啜る。神将にも同様だ。炉は拡大された。大いに暖かくなった。

 ラフポワの悦びは言うまでもない。

 石を刳り抜いて作られ、イルカや海獣の浮彫の施された湯船が炎で熱され、温泉水を満たされて、運ばれた。

「巫女騎士様、どうか斎戒沐浴にお使いください、一日に何度でも清らかな温泉を運ばせますから」

 イヴァンが言った。

「承知、これが必要と思っていた」

 鎧を外し、衣を脱ぎ、浸かる。霑(しを)り潤(うるお)い涵(した)されるのであった。

 禁欲的な巫女騎士さえも感慨深く、

「ふむ。善き哉。生活が戻り来たるや。天然自然なる地の鹽に幸いあれ」  

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る