第8話 位階
早暁、ロネは火を入れる。炎は光を成した。赤々と燃える。
煮炊きや暖を取るため、薪を燃やす場所には、石が環状にならべてあった。暖炉とかまどを兼ねるもの。炉の上部には、風の流れのある穴があった。どこに空気が流れていくのかわからないが、洞窟に派生する自然の穴の一つである。湯気や、煙で、位置を察知されないために都合がよかった。遠目には、まずわからない。
一日の労働を終えると、炎を前にいろいろ語り合った。
「明日は出掛けようと思います。狩りではありません」
ロネが言うと、イシュタルーナは訊いた、「どこへ行く」
「私の住んでいた小屋から、五キロメートルほど山を降りると、ファルコ・アルハンドロという地主がいます。元は流れ者ですが、なかなかの漢です。
私は生活必需品などを買い求める際、麓の村まではあまりに遠過ぎるので、ファルコのところで対価を支払って、と言うか、現金収入がないので、狩りで得た獲物などと交換していました。
もしかしたら、事情を話せば、我々に協力してくれるかもしれません。彼はエミイシの一族にも、王にも従わない。古代からの誇りある山の民と、ともに暮らす男です」
イシュタルーナは言った。
「山の民や、海の民はまつろわぬ者たちばかりだ。敢えてその仲間となったというか。ふ。
ファルコなら、知っている。彼はイノーグ族のことも嫌っている。この一帯の領主であった我らイノーグの命にも従ってはいなかった。元はどこか別の土地にいたとも聞くが」
「そうですね。彼は自由です。それだけですよ。山賊ではありません。ありませんが、山賊らも彼を襲いません。山賊皇ユーグルも、海賊皇リュウさえも、彼には一目置きます。或る意味、男気で結ばれた、仲間のようなものです。ファルコは盗みも狼藉もしませんが。
野に潜む士ですね、良く言えば。臥龍、又斧を振るう賢者とも言えます。名もなき英雄とも言えるでしょう。
春夏秋は羊を追い、木を伐ります。チーズやハムを作り、羊毛を売って、生業としています。生計はまっとうな人間です」
「短期間だが、ともに過ごし、あたしはおまえを信頼した。おまえの友をも信じよう。
彼とその眷属が遵うならば、彼らは最初のいゐりゃぬ神の兵だ。黄金の兵としよう。ファルコは神兵軍団長だ」
神将の配下である。
そう宣言してから、後の判断はロネに任せると決めたふうで、イシュタルーナはもう敢えて訊ねずに、ただ、問い、
「おまえの武器は弓だな」
ロネは大きな弓を握った。
「はい、武器と言うよりは、生きる手段そのものです。狩りが生業ですから。これがすべてです。私のすべてです。
自分が何者か知らず、いずこへ赴くかも定められず、生きる理由は知らなくとも、辛うじて、実存的に生きてはいけます」
イシュタルーナは何かに大いに感じ入って、
「ふむ。さもありなん。
では、弓を聖化しよう。
聖化は人の思惟や思議を超える。魔訶不可思議だ。
魂を清めることで、それは成る。神への祈りで、心を清めよ。
跪け、ロネ。聖咒を唱えよ、青き海の、白き塩のように、清めよ。聖なる、いゐりゃぬ神の御力よ、ここへ来たれ」
イシュタルーナが手を触れると、弓は神々しい白銀に輝いた。自然と装飾も精妙で、眩いものへと変ずる。ロネは敬虔の念に打たれて跪いた。神聖な弓に触れるだけで、爽やかな力が湧く。
「月の弓と呼ぶがよい。皓々たる白銀の三日月のようであるがゆえ。美しく絡む不規則な曲線文様は命の象徴で、逝にしへの聖なる御徴(みしるし)だ。その力は自然の猛威よりも恐ろしいものだ。
位階は未だ空(ゼロ)(零、シューニャ)だが。
おまえは位階を知るまい。
位階について、説明しておこう。
位階の最初は空である。その上が素(もと)。その後は粒(つぶ)、水、土、木、石、鉄、銅、青銅、銀、黄金、金剛、そういう順に上がっていく。十二の位階があると知れ。十三の要素があるが、空は〇で、素が一だから位階は十二なのである。
位階は永い年月と経験を重ねることに因って上がっていくのが通常ではあるが、おまえの武具の成長は恐らく迅速に進むであろう。
ちなみに、金剛の上に超越的な位階、〝シン(神、又は真)〟があるが、これはまったく人間の領域ではなく、人間の知性で上位だの下位だのと言えるようなものではなく、無記(記別せざるもの)と言うべきものである。
理解し難いものではあろうが、さように理解せよ。
とにもかくにも、大いに励め。それしかないと知れ。今この瞬間から、おまえには、大義がある」
巫女騎士はそう言った。
「聖なる使命を果たします、巫女騎士イシュタルーナ様」
清(すが)き心は明(あか)く、とてもかろらかである。動けなかった。永くも感じたが、実際は、数秒のことであったであろう。
立ち上がると、普段の態度に戻り、丁寧に辞儀をした。
「では。しばらくの間、お待ちください。出掛けます」
ロネが毛皮を被り、支度を始める。ラフポワは不安を訴えた。
「ここの守りは、僕とイシュタルーナだけで大丈夫かなあ」
ロネは思わず声を上げて笑ってしまう。
「恐らくは、世界最強と言っていい。最も神聖なる巫女騎士と神将だ」
「女の子と、男のこどもだよ」
「だから、もしかしたら、最強なのかもしれない。
たとえ、神聖シルヴィエ帝国の正規軍団が来ても、あなたたちには勝てない。勝てるものか、奴らは。
私は何も心配しないけれども」
だが、イシュタルーナは自惚れも謙遜もなく、冷淡に、
「思い上がる者は必ず滅ぶ。
あたしは十分だとは思わない。
だが、ラフポワよ、心配はいらない。間もなく守衛たちが来るであろう、このような時のために。
黄金の兵たちのことではない。銀の兵たちのことだ」
「え、どういう意味なの、イシュタルーナ」
「どういう意味でしょうか、イシュタルーナ様」
巫女騎士は何も応えなかった。だからといって、さように記別しないことに、意味がある訳でもなかった。
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