第5話 狩人ロネ・ストリントベリイ
狩猟採取時代の始まりである。
ロネ・ストリントベリイという男がいた。狩人である。故郷のキヌグイ(木濡杙)山やアヌグイ(啊濡杙)の山を廻って、大きな弓矢でシカやキジやウサギを獲っていた。粗末な丸太小屋に住んでいる。七日間も猛吹雪で、狩りには行けなかった。弓の手入れをして、暗い日中を過ごす。蓄えの乾し肉を噛んで、今宵も早くに床に就いていた。
ところが、深夜。
扉を、どんどん、どんどん、と叩く音。
「ごめんください。どうか起きて出て来てください」
ロネは鉈と斧を握った。いや、弓にすべきか。部屋は暗い、外も暗いが、それよりも暗い。敵が扉を破っても、瞬時は何も見えない。こちらは暗い吹雪のわずかな雪明りに照らされた敵が微かに見えるであろう。距離を置いて、弓矢で射る方が安全確実だ。
「僕は扉を殴って壊したり、蹴り破ったりはしませんし、できません。でも、このまま開けないと、いゐりゃぬ神の裁きが下りそうですよ。大丈夫ですか」
いゐりゃぬ神の裁きが来て大丈夫はずがない。だが、誰が「ハイ、そうですか」と、信じて扉を開けるだろうか。この弱肉強食の乱世で。
その時である。
強烈な閃光、同時に凄まじい雷鳴が轟き、扉が吹き飛んだ。
「ぅぅぅわあああ」
ロネは吹き飛ばされた。暴風雪が吹き込む。
「やれやれ……。だから、言ったじゃないですか」
ラフポワが入って来た。左手に光る剣を持ち換えて、右手を差し出す。ロネが眼を丸くして剣を見ていることに気がつき、
「あゝ、これですか? これ? 僕には扱えないんです。何だか、勝手に働いてくれているんです。雷霆神剣の一つです。雷霆神剣の中でも、〝空〟っていうランクのものらしいんです。雷霆神剣の中では、一番弱いらしいんです、威力が。
でも、よく使えば、成長するらしいんです。ちなみに、雷霆神剣の中で一番威力が強いのが金剛剣で、次が黄金剣で、銀剣、鉄剣、青銅剣、銅剣、石剣、木剣、土剣、水剣、粒剣、素剣、そして、最後がこの空剣(零剣)って言う、十二段階なんです。
え? 十三じゃないかって? あゝ、空剣はゼロという意味なので、数の内に入らないらしいんです。
えーと、それから、この雷霆神剣は実は元は、ただの棒ッ切れだったんです。いゐりゃぬ神の二つの眼が光り輝いたら、棒が、パッと燃えるように光って、これになっちゃったんです。こんなにも途轍もない剣になっちゃったんです。
ほうら、重くないんですよ。こんなにごついのに。重くない。何でだかわかりません。軽いのに、もの凄い威力なんです。……まあ、さっき、見たと思いますけど。もう、怖くって。
他にも、龍の剣シリーズもあって、それも金剛から空までランクがあるんです。その他にも……あ。
勝手に喋り過ぎてますか?」
ロネは呆然とするしかない、ラフポワを眺めながら。
意外にも、被害は小さく、怪我もなかった。樫の丸太で作った扉が開いただけだ。木製の簡素な蝶番も壊れていなかった。
「不思議だ」
ようやく、ロネはつぶやいた。
ラフポワは悪戯っぽく微笑んで、
「でしょう? 言うことを聞いておいた方が身のためのような気もしなくもないです。あ、脅かしているみたいなんですけど、そうじゃないんですよ。いや、僕もよくわからないんですが」
ロネは是非もなく、鹿革の上着を羽織った。熊の毛皮をその上に着て、キツネの毛皮のフードをかぶった。よく見れば、ラフポワの軽装に呆れた。
「よくそれで寒くないな」
「寒いですよ。僕も人間ですよ。仕方ないんです。僕のような下っ端の傭兵には、ろくなものが支給されません。基本的に自給自足、自前なんです。
でも、大丈夫なんです。きっと、いゐりゃぬ神の御加護なんでしょう」
少年兵だ……ロネは眉を顰めて、悲しそうな顔をした。
でも、今、考えても、どうにもならない。
「そうか。では、行こうか」
歩きながら、自分は何と愚かな行為をしていることかと思った。外は、凍てつく、猛々しい吹雪のさなかだ。
そう思いながらも、風に耐え、ザクザクと雪を踏んで登った。その間、口を利かなかったが、ラフポワはそれに好感を持つ。この少年がふと掛ける言葉から、丁寧語がいつしか抜けていった。無邪気なのか、不幸の翳りがあるのか、わからない少年に、ロネも次第に親しみを覚えていく。
吹き荒れる中、灯りもない嶮しい山登りの一キロメートルは、とても長く感じた。山が人を拒む。烈しく打った。だが、人はそういう場所にこそ聖なる領域を予想する。なぜだろう。人は捉え難きを欲し、禁じられたものを求むからか。
やっと、聖なる石の場所に来た。ロネは暗闇を通し、眺める。
雪が積んである。髙さ一メートル十センチ、直径が四メートルほどの環状。これをもし祠と言うなら、壁があるだけで、天井のない祠だ。
入り口は狭く、身を斜めに傾けながら入らなければならないように見えた。中は暗く、沈んでいる。ただ、猛吹雪のびゅうびょう、ばうぼうという音だけであった。何もいないじゃないか……
何だか怖くなってきた。真っ暗な山、吹雪、奇妙な雪積み、いるはずのない場所に少年がいる、独りぽっちで。気味悪くならない方がおかしい。少年は本当にこの世の者か、生ある者か……
ふうむと唸り、ロネは現実に還ろうとして言う、
「雪を、二人で、これほど積むのは、大変だったろうな」
やはり、この人は、基本いい人なんだと、ラフポワは感じた。
「いや、ほとんど、僕一人だよ」
「無理だ。この息もつけぬ吹雪の中では」
「それが不思議なんだけど、できちゃったんだよ」
「むむ、それもいゐりゃぬ神の力という訳か」
「願わくは、何となく、恐らく、きっと、たぶん、そうだと思います」
そこへイシュタルーナが洞窟からやって来て、傲然と会話を奪い、
「祈りなさい。拝みなさい」
ロネは複雑な表情で、少し安堵しつつ、微妙に、かつ神妙に会釈した。
「わかりました。祈りましょう。何かしなくては、わからない。では、拝観してもよろしいですか」
「むろん。一切を網羅し、異他違逆のない、いゐりゃぬ神だ。断る理由も、断らない意味もない」
「では、神の与え給うままに。儀礼ですから、禊ぎ清めた上で、厳粛に拝ませていただきます」
ロネはいゐりゃぬ神がいるとは信じていなかったが、けじめとしてそうしようと思い、そうした。
針葉樹の葉で祓う。白雪で雪いだ。二礼し、入ろうとする。すると、いゐりゃぬ神は突如、光り輝いた。
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