第4話 苦行の時代

 イシュタルーナもラフポワも、一日一粒で、七日間を過ごした。まるで、苦行時代の釈迦牟尼仏陀のように。

 毎日三回、洞窟から出て、祠(雪の塀壁に過ぎないが)の前で跪いて雪の上に額突き、一日一粒、その日の最初の礼拝の際に、木の実を捧げた。三回という回数は、イノーグ家に古くから伝わるもので、それに疑念を挟むことはない。


 かつては、あった。もっと頑是なき頃のある時期。

 しかし、聖咒を唱え、印契を結び、観想を練る歳月のうちに、頭でする思惟など把握の手段の一部でしかないことに、体は気がつき始め、論理を用いた検証も、さらにその一部でしかないことに気がつく頃には、自然に、理や言語ではなく、直截の真理を、いや、何かわからぬ何かを観ずる方法を、五里霧中で模索し始めていた。

 巫女の正統な、超越的な在り方である。


 古来、人はその本能で生き延びた。イシュタルーナはその伝統・歴史をひしひしと感じ始めると、もはや、疑念は虚しく、実践で練られた本物である感覚、真実性を魂魄で晰かに悟ることこそが真実であると知る。

 三回という数字も、常に神の傍に侍り、供養する者がいなければならないという規定も、無為ではない。


 それゆえ、現状のやり方は、イシュタルーナの体得した真の理法からは、遠くかけ離れており、大いに不満であった。

 しかしながら、凍死してしまっては、務めをなせない。彼女としては苦渋の、究極的な選択として、祠に駐留せず、このように洞窟から通う礼拝をしていた。


 もっとも、洞窟はわずか二、三十メートル離れているだけなので、問題はない。彼女の真を極めんとする性格が赦さなかったというのが実際で、ラフポワは犠牲者のようなものであった。


 七日経っても、吹雪は止まず、 イシュタルーナは遂に言う、

「供物が要る。狩人を探せ」

「お腹が空いて動けないよ、手も足も凍えて冷たくて、もう永遠に体温を失ってしまったみたいだよ。しかも、夕方だよ、たぶん」

 吹雪が朝夕を分別させなかった。ラフポワはめそめそ涙零す。

 泣き言は当然であった。生きているのが不思議なくらいだ。しかし、死なないだけであって、辛さは同じだった。つまり、死んだ方が楽だったのである。

 イシュタルーナの強靭な意志すらも挫けそうであったが、魂に死力を呼び戻して袋からつかんで差し出す。

「これを食せ」

 掌に、数個の木の実が載っていた。ラフポワの眼が輝く。

「ぅわあ、いいの」


「最後の最初の糧だ。今、唯一の糧だ。

 早く食べよ、希望を持て。狩人のいる方角を占おう。

 心を清ませて。

 本来、心はすべてを知っている。心が全宇宙だ、ありとしあらゆる一切だ。すべてを網羅した状態にて、常にある。

 心がすべての現実である。

 光が瞳孔の水晶体を透って網膜を刺激(受)し、感覚(想)が生じ、解釈学によって象が構築(行)されるならば、現実が直截そのままに映じて意識(知覚・識)が起こるものではない。

 先天的(ア・プリオリ)な、蜥蜴や魚類の脳幹にもあるような、先祖伝来の〝企画〟が投じられ、構築されたもので、言わば、捏造物だ。企画の由来や仕様は誰も知らない。根拠は知り得ない。

 それゆえ、理解は理解ではなく、無理解は無理解ではない。又は理解は無理解だし、無理解は理解なのだ」

「いただきまーす! あむ、んー、んもぐもぐ、んぐんぐ、ごくっ、う、うまーい!

 もぐもぐ。ごっくん。

 で、さあ、食べながらで、失礼なんだけど、イシュタルーナ。

 僕には、まったくわからないんだけど。つまり、心を清ませば、その狩人のいる場所に行き当たるってこと?」

「いや。心は誤謬をも網羅する。おまえが歩いて確かめよ。それしかない。他に現実があるか? 

 右に逝けば、逝くは右。左手に握れば、左手が握る」

「いや、ないと思うよ。もぐもぐ、んぐんぐ、ないね、ないよ、うーん、おいしい」

 その美味しさを、彼は生涯忘れられなかった。

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