第3話 素焼きの壺 黎明
「なぜ、こんなところに、こんなものが。パピルスが自生するのは、南大陸。遥か海の向こうだ」
イシュタルーナは思い出す。
かつて、南大陸の最古王国コプトエジャで宗教改革が起こった時、迫害を逃れた人たちが龍角島に辿り着いたことがある、と。
だが、ここはイシュクンディナヴィア半島の中央、直線距離で言っても、数十キロメートル離れているし、急峻な山奥である。
ここまで来たという記録はなかった。
改めて、しみじみと眺める。
神聖文字。古代のもので、イシュタルーナも読めなかったが、大文字のものが聖なる天の皇帝神の御名であることが予測できた。古来、こういう類の形式には普遍的なものがある。人間の深奥に、先天的に備わっている本来的なものなのであろうと、イシュタルーナは常々思っていた。
そして、いくつかの神聖文字は聖句であろう、そう考える。
図もあった。
描かれているのは、原蛇の図。角を持った蛇が環を成し、自らの尾を咬んでいた。その円環の中心には、崇高の極み、きよらかにあきらかなる、尊き、至高至聖の、聖の聖なる上にも神聖なる御徴があった。それは、
『 Ⅰ 』
畏敬と神聖なる恍惚の表情を泛べ、イシュタルーナは吐息のようにつぶやく。
「あゝ、これは。この原蛇の図の真中にある、この記号は」
「何なの」
「聖の聖なる真聖の『彝(イ)』の御徴(みしるし)だ。なぜ、こんなところに」
「聞いたことがあるよ。
天の皇帝神たる神彝啊呬厨御(カムいあれずを)の真の真奥たる真髄、肯綮、すべてを網羅して遺漏のない真究竟真実義。龍のごとき肯定」
「意外に学があるな。その歳で傭兵とされては、学問の暇も、学校に行く機会もなかったと思われるが」
「でも、勉強は好きだったよ。傭兵じゃなかったら、勉強する時間があったのにな。あゝ、残念だったな」
そう言って、ラフポワは錆びた短剣をいじった。少女はじっと見る。不憫ではあった。しかし、この世は誤謬と矛盾だらけではないか。どうすることもできないことばかりだ。眼を伏せることしかできない。自分の魂を護るために、だ。そうしなければ、結局、すべてが滅ぶ。
「運命だな。
さあ、ラフポワ、この素焼きの壺は聖なる壺と呼ぶべきものだ。大事に保管しよう。今はここに置くしかないが」
少年は訊く。
「ねえ、イシュタルーナ、蛇はどういう意味」
巫女騎士が厳かに言う、
「自らの尾を咬む原蛇の意味とは、『喰らう蛇は喰らわれるがゆえに喰らえず、喰らわれる蛇は喰らわれぬがゆえに喰らえる(又は喰らう)』だ。わかるか」
「わからないよ。ねえ、お腹が空いた」
「そのとおり。正解だ。
さあ、行動しよう。いゐりゃぬ神が供物を命じているのだ」
見つからない。逆に、いゐりゃぬ神から拝領した最初の糧である木の実を齧って凌ぐしかない日々。
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