第95話 三途の川の奪衣婆


 ヒイロの目の前で、大きなゴキブリがまるで尺取り虫のように汚いケツを上げてピクついていた。

 このΩ状の形、普通のゴキブリには絶対に不可能!

 人間とゴキブリの融合体であるテコイだからこそなせる業である。

 さすがはテコイの旦那!


 そして、そのゴキブリの汚いケツに片足を乗っけて偉そうに見下す女王様!

 うん? 女王様?

 うーん、どちらかというとアイドル系?

 いやいやそれは、アリエーヌたちのような白きコスチュームを身にまといし可愛き幼女の姿であった。

 しかし、なぜかその手に握られていたのは銀色に輝くマイクではなく、金属製のはえタタキ。

 バっシーン!

 再度そのハエたたきが大きな音を立てた。

 ピギィぃぃ!

 テコイが悲鳴を上げる。

「このゴキブリ野郎! ヒイロは必ず私が守る!」

 幼女の足で踏みつけられたテコイのケツが激しく揺れた。

 腰に手をやり背筋を伸ばす姿は、幼女のくせにどことなく大人びている。

 そして、また、ニヤリと笑うこの笑顔。

 憎たらしいことこの上なし。

 いっそ、お前の方を叩いてやりたいわ!

 あっ!

 ……もしかして、これがゴキブリプレイというものなのか!


「いややわ。ライムはん! 勝手に言わんとっておくれやすであリンスよ!」

 そんな幼女の横には、3人女子中学生と1人の女子高生。

 ヒイロから流れ出した血だまりの上にいつしか腕を組みながら立っていた。

 その姿は、幼女同様、白きコスチュームを身にまとう。

 ステージ上にさも新たなアイドルグループが、いきなり乱入してきたようである。

「私ではなく、私たちでアリンス! そこ、きっちり訂正してもらわんと困るであリンスよ!」

 なにやら女子高生が、躍起になってライムと呼ばれし幼女の言葉を訂正していた。

 だが、当のライムは腕を組んで知らん顔。

 プイ!

「ちょっとライムはん! その態度はなんでアリンス! センターはアチキであリンスよ!」

 頭にきた女子高生は、ライムの肩をどついていた。


 一方、他の女子中学生たちも寄ってたかって足蹴にする。

 躍起になって踏みつけるさまは、まるで弱いものいじめ……

 ドカドカドカ!

 もう、これでもかと言わんばかりに踏みつける。

 死ねやコラ!

 ドカドカドカ!

 ガニ股になって足を上げるその姿は、アイドルなどといったよそおいからは遠く離れていた。

 ……女の子なんだからさ……踏みつけるのはよそうよ……

 そう、先ほどから女子中学生たちはゴキブリテコイの顔を足蹴にしていたのである。


「僕たちがいる限りヒイロっちには手を出させないワン!」

「ゴキブリ! 超臭いにゃぁ~! ミーニャ、ゴキブリは嫌いだにゃぁ~! あっちに行くにゃぁ~!」

「ウルル……怖いですぅ! 怖いですぅ! ゴキブリ怖いですぅ! オラ! オラ! オラ!!!!」

 見る見るうちにテコイの顔が腫れていく。

 テカテカのワックスが利いたオレンジのような顔が、今や鬼柚子のようのボッコボコ。


 あぁ、シトラスの香りが漂ってくるような。

 そう、見上げればそこは天国。

 いうなれば、女子中学生のスカート内側というの神秘の世界。

 秘密の白き花園が見上げた先には広がっていたはずなのだ。

 だが、残念ながら、テコイの目はすでに白目をむいていた。

 今のテコイには、三途の川で服を脱がす奪衣婆だつえばのパンツが見えていることだろう。

 イヤン♥

 はやり素人にはゴキブリプレイは早すぎたようである……

 もはや無念さ滲ませるテコイの豚鼻は白い鼻水を垂れ流すことしかできなかった。

 ズズズ……


 傷つきうつぶせるヒイロは、かすかな気配を感じた。

 ズズズ……ズズズ……ズズズ……

 何かが引きずられる音がする。

 嫌な気配……

 これは目の前で転がるテコイが鼻水をすする音ではない。

 体の奥底から寒気が込み上げてくるような嫌な音……

 恐る恐る振り返る。

 だが、背中の痛みをこらえるヒイロの目はぎこちない。


 ズズズ……ズズズ……ズズズ……

 傷だらけの女の足。

 その足が、一歩、一歩と近づいてくる。

 「……感じてなんかいない……感じてなんかいないんだ……」

 途端、ヒイロは声を上げた!

 口から血を吐き出しながら懸命に叫び声を上げたのだ。

 まるで残った力をすべて振り絞るかのように。

「ゲホォ! お前たち! 今すぐ逃げろぉぉぉぉ!」


 ズズズ……ズズズ……ズズズ……

「奈落の底で遊惰ゆうだせし

 悠久ゆうきゅう有閑ゆうかんの時を嗟嘆さたんする……」

 それは未練と憎悪が入り混じったかのような、か細き声。

 まるで三途の川で奪衣婆に「この!びりびりに破けた服なドいんらん!」などと、いわれもない罵声を受けて追い返されてきた可哀そうな幽霊のよう。

 そんな寒気を催すような声が、力なく何かを引きずってくるのだ。

 ヒイロの声に反応したライムたちが背後を伺った。

 その瞬間、ライムたちもまた固まった。

 金縛りにでもあったかの如く、その身はピクリとも動かない。

 ――ひぃぃぃぃ……鬼や……鬼がおる……


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