第93話 姫様はゴキブリプレイがお好き?

 だが、瞬間、テコイの剣が止まった。

 そして、それを見つめていたヒイロの時間もピタリと止まっていた。

 ――えっなんで?

 今のヒイロには、この言葉を思い浮かべるのが精いっぱい。


 止まったテコイの剣先が、振り向くアリエーヌの横顔に一本の影を落としていた。

「やるならワラワをやるのじゃ!」

 長いまつげが小刻みに震え光を散らす。

 気絶するマーカスたんをその身で守るかのように覆いかぶさるアリエーヌ。

 中等部の頃より一回り大きく成長した胸がマーカスたんの頬に強く押し付けられていた。


 そう、テコイの剣が振り下ろされた瞬間、咄嗟にアリエーヌが飛び込んだのだ。

 白きコスチュームをまとった体がマーカスたんを瞬時に覆う。

 だが、その朱雀のコスチュームはヒイロと離れて幾久しい。

 今や弱りきった力では、刺客のたかが剣すら防げない。

 そんなアリエーヌが、テコイの一撃を受ければ当然、命はないだろう。

 そんなことはアリエーヌ自身が一番よく分かっていた。

 その証拠にマーカスたんを抱きかかえる細き指先は、その肩に固く食い込み小刻みに震え続けているのである。


 だが、体が反射的に動いてしまったのだ。

 愛する人のためならば自分の命など惜しくはない。

 いや、そんな事すら考える時間はなかったかもしれない。

 ただただ、マーカスを守りたい。

 その一心のみの行動であった。


 剣の下で震えながらもテコイを睨み上げるアリエーヌの瞳は凛として美しい。

 そこには、自分の命を投げ出してでも絶対にマーカスを守るという信念。

 いや、もはや果てる時は伴に行こうという意気込みすら感じられた。


 このアリエーヌの行動はヒイロの心に直撃した。

 それはまるで上空から降り注ぐ貫通魚雷。

 軽薄さという外壁装甲をいとも簡単に貫通し、数ある心理隔壁をも打ち抜いた。

 そして、それは最深部へと落ちていく。

 今や、男ならだれしも有している提灯庫ちょうチンコへと到達しようとしていた。

 警報を鳴らすヒイロの脳内で赤色光に照らし出された女性オペレータが泣き叫ぶ。

「直撃きます!」

「うぬぬぬぅぅ……」

 苦虫をつぶす艦長の頭上で赤提灯が揺れていた。

 って、ココは居酒屋か!


 ――アリエーヌ……そこまで……

 先ほどまでヒイロの中にそそり立っていた希望の砲台が、その一撃で消し飛んだ。

 よほどの精神的ダメージ……

 既にHPは0になろうとしていた。

 ズボンの中で膨らんでいたはずの小さな大砲も完全に沈黙。

 ……いや、もうすでに煙を吐いた後だったかな?

 その証拠に口からは白き体液を吐き出して力なくうなだれていた。

 白き体液ってヨダレの事? しらねぇよ!

 まざまざと見せつけられる自己犠牲の愛。


 ――やっぱりアリエーヌはマーカスのことが好きだったのか……

 悔しいがこの姿を見れば受け入れざるを得ない。

 ヒイロは、魔王討伐の時でさえアリエーヌに一度もかばってもらったことがないのである。

 だが、そんなアリエーヌがマーカスたんを必死にかばっているのだ。


 ――あんな変態野郎なのに……あんな変態野郎なのに……アリエーヌは変態野郎が好きなのか……

 口惜しさと敗北感がこみあげる。


 ――アイツはきっと、ゴキブリプレイが好みだったんだ……

 心のざわめきを納得させるための言い訳を、いろいろ必死で考える。

 アリエーヌの事を口汚く罵ってみるが、このヒリヒリとした痛さは落ち着かない。


 ――だが、アリエーヌが好きと言うのであれば……


 テコイの目の前にいるのは仮にも第七王女である。

 振り下ろす剣が止まるのも無理からぬこと。

 だが、テコイは再度剣を振り上げた。

 既に自分の体は人間とは程遠い姿をしている。

 今更、キサラ王国の王女が権威を振りかざしたところで、自分には関係のないことだ。

 なら、目の前にいる女はただの障害でしかない。

「邪魔だ! お前もろともマーカスを切る!」

 テコイは、渾身の力を込めて剣を振り下ろした。


 その様子を指の間からのぞいていたドグスは再び悲鳴を上げた。

「きゃぁぁぁぁ! マーカスたん!」

 アリエーヌの存在を前にして、一瞬止まったテコイの剣。

 もしかしたら助かったのではとも思いもした。

 だが、再び剣が振り下ろされる。

 しかも、先ほどよりも勢いを込めて。

 ――もう……あかん!

 どうやら今度は本当に目をつぶったようである。


 アリエーヌもまた、目をつぶった。

 マーカスたんを抱く手に力がこもる。

 ――マーカスのためならこの命など惜しくなんかないのじゃ!

 愛するマーカスと伴に逝くのであれば、それは本望。

 だが、迫りくる死。

 いくら覚悟していたとしても、その恐怖は別物である。

 固くかみしめた唇が震えた。


 バキン!


 激しい音共にアリエーヌの体に衝撃が走った。

 直後、転がるアリエーヌ。

 その顔に生暖かいものが降り注ぐ。

 鼻につく鉄の嫌な臭い。

 その正体が血であることは、目を閉じていてもはっきりと分かった。


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