第11話 ヒドラ討伐(6)
「撤退! 撤退だ!」
急いでテコイは叫んだ。
霧の中に入ってまだ数歩である。
ヒドラの洞穴などまだ先の先。
その入り口にもたどり着いていないのだ。
それで、この惨劇。
だが、そんなことは言ってられない。
テコイは、一目散に元居た場所へと駆け戻ろうとした。
そう、マーカスがいた霧の境の向こう側へと。
だが、足が思うように動かない。
先ほどまで歩いていた足が、まるでそこにないかのように感覚を感じない。
動け……動け……動け……
霧の中でもがくテコイの右足が地面から立ち上る蒸気をかき混ぜた。
瞬間、見える森の地面。
その地面を擦る自分の足。
だが、その足は、いたるところがひどく溶け落ちて、赤き血の中にうっすらと骨が見えていた。
だが、怖いほどに痛みはない。
――この足は誰の足だ……
テコイは、恐る恐る動かした。
自分の足へと脳から信号を送ったのだ。
ゆっくりと前に進む足。
やはりそれは、自分の足である。
だが、その足からズルリとすね肉がずり落ちた。
うわぁぁぁぁ!
テコイは叫ぶ。
もはや立つことさえもままならぬテコイの体は四つん這いで抗った。
必死で霧の切れ目を目指して、かつて手足だったものを動かした。
テコイは思う。
おかしい……
おかしい……
俺は不死身だったはず……
ケロべロススケルトンの一撃を食らっても何ともなかった男だぞ……
それが、こんな毒に簡単に……
もしかして、俺は毒耐性がないのか……
いやちがう、ゴブリンの巣を襲撃した時に、さんざんゴブリンどもの毒を浴びたではないか……
ならばどうして……
ヒイロがいた時は、こんなことはなかったというのにどうして……
ヒイロがいなくなったからなのか?
やつの請け負った100戦100勝のあの自信……あれは嘘ではないというのか?
そんなバカな!
やつはスライムの回復しかできない能無しの男だぞ……
それが一体なんの役に立つと言うのだ……
まさか……まさか……
ヒイロが追い出された腹いせに何かしたんじゃないのか……
いや、きっとそうだ……それしか考えれない……
ならば、アイツに責任取らせてやる。
今頃、あいつは勝ち誇った目で笑っているのかもしれない!
くそっ! くそっ! くそっ! くそっ!
アイツの勝ち誇った目を叩きつぶすまで俺は死ねない!
アイツに復讐するまでは、絶対に死なない!
死なない! 死なない! 死なない!
死んでたまるかあぁぁぁぁ!
マーカスのもとにたどり着いたテコイは、地面に転がっていた毒消しの山に顔を突っ込んだ。
それがマーカスの食いくさしなどと言っている余裕はなかった。
テコイは、犬のようにしゃぶりつく。
すでに、ひじから先が溶け落ちていたテコイは、顔を突っ込むしかなかったのだ。
もはやその姿は豚そのものである。
遅れてムツキとボヤヤンも霧の中から駆け出してきた。
「どけっ!」
ムツキはテコイを押しのけると毒消しを奪った。
すでに手足が欠損しているテコイはダルマのように簡単に転がる。
「てめぇ! ムツキ何をしやがる!」
みじめに転がるだけのテコイは、頭を上げてムツキを睨んだ。
「テコイ! お前ばっかり独り占めするな! いつもいつも自分ばかり!」
ムツキはムツキで丸坊主。
テコイほど、その状態はひどくはないが頬の肉は溶け落ちて、そこからベロの動く様子がよく見えた。
すでに、左腕がベロンとずり落ちている。
まるで、垂れさがる肉の糸が犬の散歩でもするかのように落ちた腕を引いていた。
ムツキは残った右手を毒消しに伸ばす。
だが、そんなムツキの手から毒消しが消えた。
ボヤヤンの目の前に毒消しがポトリと落ちた。
どうやらボヤヤンの転移魔法のようである。
しかし、毒消しを食らおうにもアゴが溶けて外れたボヤヤンは、その塊を噛み砕くことは不可能だ。
それでも毒消しを拾って口に押し込んで、手で無理やりあごを動かした。
そのたびに白きものが地面に落ちていく。
それはボヤヤンの歯。
ボヤヤンが顎を動かすたびに歯が砕け落ちている。
毒消しを呑み込めないボヤヤンの表情は、ますます焦りの色を見せていく。
だが、そんな表情もすぐに分からなくなった。
今や、顔中いや体中に、ふきでものが無数にでき、その表情を隠していたのだ。
うん? これは、もともとだったかな?
どれが新しいブツブツか今一よく分からない……
「お前は、どうせ食べられんだろうが!」
四つん這いのテコイの頭が、ボヤヤンの腹に突っ込んだ。
テコイの頭がブジュルッといった音を立てると頭皮の肉がずり落ちる。
まぁ、もとからハゲているため、色さえ気にしなければ頭蓋骨が見えたところであまり違和感はなかった。
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