虎と魔女

 待たせたね、お客さんってのはあんたかい?…ふうん、珍しいね。

 どこがって聞かれてもね…。まあそもそも、そう客が来る場所じゃないんだ。辿り着くまで手間かかったろう。

 タバコは?いらない?…まあそうだろうね。あたしは失礼して吸わせてもらうよ。

 ラジーヌの紹介だって?元気かいあの婆さんは?いや聞くまでもなかったね。

 ほんとは面倒なことはお断りなんだけどね、ラジーヌのツテじゃ無下むげにもできない。怖いんだよあの婆さんは…あんたらにゃ優しかったかもしれないけど、こっちの世界じゃ、ね。

 さて…何の話だったっけ?ああそうそう、マルタのことだね。

 随分久しぶりに思い出すねえ。かなり昔の話さ。

 あの頃、あたしはまだ駆け出しの魔法使いでね。師匠の言いつけで修行の旅に出てたんだ。いろんな国々を回ってね。ああ一人旅さ。

 マルタとはその道中で知り合った。酒場の片隅に白いケープをまとっておとなしそうに座ってたんだ。あたしが魔法使いだって言ったら妙に興味を示してね。話してるうちにウマがあった。

 マルタは妖精みたいにか弱い子でね。白い肌に柔らかい髪、どこかの深窓のお嬢さんって感じだった。スプーンの扱いがヘタだったり、イスやテーブルによくぶつかったり、何だか自分の体に慣れていないような印象だったね。

 こんな子がよく一人で旅できるもんだと思ったけど、その訳はすぐにわかった。

 その酒場は盗賊の隠し宿でね、知らない間にしびれ薬を盛られてたんだよ。何だい、あたしにだって若いときのしくじりくらいあるさ。気がつくと縛りあげられちまっててね。盗賊どもがニヤニヤしながらあたしらの荷物をもてあそんでた。まだ体はしびれてるし、どうしようかと思案してると、隣りでマルタが言ったんだ。

「大丈夫、もうすぐ来るわ」

 何が、って聞く間もなく窓が割れた。何か大きなものが風のように飛び込んできた。稲妻が走ったようだったよ。盗賊どもは次々に打ち倒されていく。自分が何にやられているのかもわからなかったんじゃないかね。それぐらい速い動きだった。

 最後の一人が声も出さずに倒れたとき、部屋の真ん中には大きな虎がいた。驚いたってなもんじゃないよ。大きな大きな金色の虎だ。あっけにとられていると、虎はマルタを縛っていた縄を食いちぎってクンクンと鼻をすりよせた。

「ディノっていうの。あたしの相棒よ」

 あたしの縄を解きながらマルタが言った。彼女は虎使いだったんだよ。

 ああ珍しかったね。使い魔とかそういう使役しえきの魔法ってのはかなり器用じゃないとこなせない。魔法使いの間でもなかなかお目にかかれないもんさ。言っちゃ悪いがあんなぶきっちょなマルタが虎使いだったなんて、正直意外だったね。

 それからしばらく、マルタとの旅が続いた。危ないことは何もなかったね。むしろあんな安全な旅は初めてだったよ。何しろ虎の護衛がついてるんだから。盗賊だろうが猛獣だろうがディノが全部蹴散らしてくれた。

 ディノはでかい図体をどこに隠してたのか、マルタが呼ばない限り姿を見せなかったね。何を置いてもマルタを守ろうとしているようだった。マルタもディノを心から信頼してて、まるで姫様とナイトのようだったよ。

 マルタは人喰い虎を探してた。もちろんディノのことじゃないよ、別のヤツさ。

「でもディノと同じくらい大きくて真っ黒なの。そいつはとても邪悪で、今もどこかで人や町を襲っているはず。あたしとディノはそいつを追ってるの」

 ドジでおとなしいマルタがそんな恐ろしいものを探してるなんて、よっぽどの訳があるんだろうと思ったね。


「魔法を使えなくする魔法ってあるのかしら?」

 あるときマルタが訊いてきた。あるにはあるって答えたら、教えてほしいって言う。おいそれと使えるもんじゃないんだ魔法ってのは。向き不向きもあるしね。そうさとしたけど聞かなかった。どうしても教えてくれって引き下がらない。

 封じの魔法は人にかける魔法だから、伝える者が少ないんだ。悪用されちゃ世界がめちゃくちゃになっちまうからね。

 あたしはマルタに理由を尋ねた。最初は口渋ってたけど、言わなきゃ教えられないって強く言うと、ようやく納得して話しだしたよ。

「あたしたちが人喰い虎を追ってるって話はしたわよね。あいつの名前はケスラ。元々は人間なの。それも魔法使い。残酷な女でね、東の果ての荒野に住んでたんだけど、魔法を好き勝手に使って辺りの村を随分苦しめてたわ。使役しえきの魔法が得意で、人でも獣でも自分の思うように操ることができたの。あたしとディノもそうよ。ケスラに魔法をかけられてしもべになってた。あるとき、ケスラはどこかで換身かんしんの魔法を覚えてきたの。知ってるかしら、体の中身を入れ替える魔法のこと。男と女を入れ替えたり、大人と子供を入れ替えたり、そんなことができるの。あいつはそれを使ってますます人々をいたぶろうとしてたのね。魔法を使うための儀式を済ませたあいつは、試しにあたしとディノの中身を入れ替えようとした。そのとき、慣れてないせいで手違いが起こったの。失敗したのよ。魔法の力をうまく制御できなくなった。ケスラはあわててたわ。あなたが言った通り、魔法には向き不向きがあるってことなのね。暴走した魔法は結果、あたしとケスラの中身を入れ替えた。ケスラは虎の姿に、あたしは今のこの姿になったわ」

 そこまで言うとマルタは思い切るように一息ついて、まっすぐあたしの目を見つめた。

「そう、あたしは虎なの。ディノはあたしの夫。あたしたちはケスラから体を取り戻すために旅を続けてるの」

 あたしが何て答えたかって?何にも。ただびっくりして口をあんぐりと開けてただけさ。


 ケスラを見つけるのにそれから数年かかったね。

 ある町で人喰い虎の噂を聞いたんだ。それも真っ黒な虎。凶暴で退治に行った者が次々返り討ちにあってるっていうじゃないか。

「間違いない、あいつよ。ようやく見つけたわ」

 マルタの体は震えてた。恐怖だったのか興奮だったのか。

 朝早く、あたしとマルタは用意を整えて、虎が出るって山道に向かった。

「向こうから見つけるはずよ。あいつだって自分の体を取り戻したがってるんだから」

 マルタの言葉通り、いくらも行かない内に目の前に真っ黒な虎が現れたよ。ギラギラと目が燃えて、大きく開いた口からは炎のような舌がのぞいてた。

「何ていい日だろうね!自分に再会できるなんて!久しぶりだマルタ。あたしの体に傷なんてつけちゃいないだろうね?」

 ケスラの体からは禍々しい力があふれだしてたよ。黒い毛皮よりももっとドス黒い中身を想像してあたしは身構えた。

「体を返してもらうわ、ケスラ」

「ご主人様に何て口の利き方だい?それにそれはあたしのセリフだよ。四本足なんてわずらわしくってしょうがない。口元の血をぬぐうのにも苦労するんだから。狩りだけはうまくなったけどね!」

 言うや、ケスラはあたし目がけて飛びかかってきた。あわてて身をかわしたけど間一髪、服の端が切り裂かれたよ。

「何だいこいつは?助っ人を連れてきたね?もしかして、あたしを倒そうとでも思ってるのかい?」

「お前をこれ以上放っておくわけにはいかない」

「虎だった頃よりバカになっているとはね。使役の魔法を忘れたのかい?お前はあたしの僕なんだよ。歯向かうことなんてできやしない。魔法がかかっている限りあたしを傷つけることなんてできないんだよ!」

 山道の真ん中で戦いが始まった。あたしたちはまずケスラの動きを止めようって作戦だったんだ。実はマルタは封じの魔法をようやく覚えたばかりでね。たった一回だけ、それも至近距離の相手に使うのが精一杯だった。

 ケスラは自分の体を傷つけたくはないからね、マルタには手加減して、その分あたしを襲った。恐ろしいもんだね、虎に襲われるってのは。思い出してもゾッとするよ。あの大きな口!鋭い牙!今のあたしなら炎で焼いたり姿を消したり何とでもできるけど、あんときはさすがに余裕がなかったね。よけるだけで必死さ。

 でも実はそれが作戦だった。ケスラはあたしらが手出しできないと思ったろうけど、あたしらは最初から攻めるつもりじゃなかった。何しろ傷つけられないことはわかってたんだから。気づかれないようにこっそりと誘導してたんだよ。あたしがそっちに逃げて、マルタがまとわりついて。わからないよう、焦らず、できるだけ自然に、落とし穴の方へ。

 テリトリーのギリギリ外に掘っておいたんだよ。朝早くにね。マルタがこれなら大丈夫って万全の注意を払った落とし穴だ。ケスラは気づかなかった。

 振り上げた爪が空を切った。途端に地面が崩れてケスラの体が地上から消えた。穴の中には罠が仕掛けてあってケスラは捕らわれて動けなくなった。

「何だこれは!」

 ケスラが無念の叫びをあげた。あたしゃようやく安心してその場にへたりこんだよ。

 マルタもボロボロになってたけど、もちろんまだ終わっちゃいない。うなり声が続いてる穴の方へ近づいて中をのぞきこんだんだ。すると、

「かかったな!」

 マルタが身を乗り出した瞬間、穴の中で光が炸裂した。ケスラが魔法を使ったのさ。換身の魔法だ。マルタとケスラの中身が入れ替わった。穴をのぞきこんでた白いケープの娘はたちまち邪悪な表情に変わった。

「手こずらせてくれたね。ようやく体を取り戻したよ…ああ、やっぱり馴染むねえ自分の体は。さあ!大魔法使いケスラの復活だよ!ここいらの生き物を全部僕にしてやろうじゃないか!手始めはお前だよ助っ人さん」

 へたりこんでるあたしに向かってケスラが構えた。妙なもんで、見慣れた娘の姿が黒虎よりも凶悪に見えたよ。あたしは動けなかった。

 いや、動かなかったんだ。ここまで作戦通りだったからさ。

 封じの魔法を使うには手間がかかる。対象にはじっとしててもらわなくちゃいけない。油断して背中を向けるくらいの隙が欲しかった。あたしはそのためのエサさ。囮だったんだよ。

 突然、ケスラの体を光が包んだ。光はどんどんまぶしくなる。成功だ。マルタがうまいことやったんだ。封じの魔法がケスラを捕らえた。

「何だこれは?…まさか?」

 ケスラは振り返ったけどもう遅い。光が強く輝いて一瞬何も見えなくなった。

「…?」

 光が収まった。ケスラが恐る恐る自分の体を確かめる。娘のままだ。

「…どうした?何ともないぞ?はははっ、何がしたかったんだ?慣れないことをしやがって。しくじったね!」

「しくじってないわ。封じの魔法は成功した」

 穴の中からマルタが答える。

「成功?どこがさ!あたしはホレ元の通りだよ?お前もさっきとおんなじ罠にかかったままだ。魔法は封じられてなんかない!」

「封じたのよ、使役の魔法をね。これであたしたちは自由になった」

 途端、草むらから雄叫びをあげて虎が飛び出した。ディノ。マルタの夫。金色の稲妻が矢のようにケスラを襲った。二人は、いや二頭というべきかしらね、とにかくマルタとディノはこの瞬間を長い間ずっとずっと待っていたんだ。

 恐ろしい悲鳴が響いて、そしてすぐに途切れた。

 ディノに喉笛を食いちぎられたケスラはもう動かなかった。


 こうしてマルタの旅は終わった。あたしらはそこで別れることにした。

「ありがとう。あなたに出会わなかったら体を取り戻すことはできなかった。この恩はずっと忘れないわ」

 黒虎の姿で言われるのは妙な気分だったね。

 二頭の虎は仲睦まじく寄り添いながら森の奥へ消えてったよ。振り返り振り返り、そのたびあたしも思いっきり手を振った。

 マルタは虎の姿に戻ったけど、人間でいたときの記憶はもちろん残ってるから言葉もしゃべれるし、そして魔法も使えるままだってことにあたしは気づいてた。換身の魔法もね、修行を積めば使えるようになったんじゃないかね?何しろ随分長いことケスラの姿でいたからね。

 風の噂じゃ人間の姿で小さな店を持ったって聞いたけど、さてどんなもんかね。

 これであたしの話はおしまいさ。面白かったって?そりゃよかった。あたしも何だか懐かしい気持ちになったよ。

 おやもう行くのかい。ああ、またお寄り。今度は違う話を思い出しておくよ。

 そうそう、あんたね、立派な冒険者の姿だけど、その魔法は母親がかけてくれたのかい?

 気をおつけ。

 縞模様の尻尾がちらりと見えてるよ。

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