時の記念日


 ~ 六月十日(木) 時の記念日 ~

 ※肝胆相照かんたんそうしょう

  心の底まで分かり合ってる付き合い。

  多分、それを。

  友達って呼ぶんだろう。




 お袋には。

 感謝してる。


 自分で何とかしろとか。

 俺に丸投げしたようなこと言ってやがったが。


 その丸投げのおかげで。

 昨日、ギリギリにはなったが布石を打つに至ったわけだし。


 しかも、お袋が家庭訪問して以来。


 みんなを包む空気感が。

 ギスギスしたものじゃなく。


 爽やかながらも激しい特訓。

 そんなイメージにがらりと変わった。


 中でも。

 一番変わったのが。


 王子くんとの絆を念入りに結ぶ。

 舞浜まいはま秋乃あきの


 小雨が降り始めた薄暗いグラウンドにも拘らず。

 ただ一人、輝くほどの髪をなびかせて。


 今、颯爽と立ち上がる。


「が、頑張るから……。どんな結果になっても、後悔しないように……」

「そうよん! 難しく考えて後悔する結果になるより、思う存分全力出して後悔する方が何倍もマシ!」

「ど、どっちも後悔するんだ……」

「勝っても負けてもね! でもあたしは、そんな世界で戦ってるから……」


 佐倉さんが、紐を結び終えて立ち上がるその隣で。


 きけ子は、いつものように口端をにかっと上げると。


「こーんな感じで、いっつも笑っていられるのよん!」


 堂々と胸を張って。

 甲斐がべたぼれするきっかけになった。


 惚れ惚れするほどの笑顔を見せた。



 ……さて。



 こんな状況になったことに関して。

 俺は、お袋に感謝している。


 でも、あいつの言っていた事についちゃ、納得できねえ。


 タイム・イズ・マネーって言った後。

 時間は、金じゃ買えないって言ってたが。


 イコールなのか。

 金に換えがたいのか。


 どっちやねん。


「さて……。何秒差つけて勝とうかね?」

「そしてお前は一秒の重みを分かってねえのな」

「お? 一年たち、練習より速い」

「誤魔化すな」


 俺の突っ込みに耳も貸さず。

 晴れやかな笑いを浮かべて甲斐が見つめる先。


 どこにでもある、ごく普通の二人三脚。

 その最後のレースが。


 今、火薬鉄砲の音と共に。

 その幕を閉じた。


「……お。あいつら、二位になった」

「頑張った……! あとで、いっぱい褒めてあげよう……、ね?」

「もちろん」


 そんな俺たちのやり取りが聞こえるはずもねえってのに。


 真っ先に、こっちに手を振る元気なにょ。


 その横で。


 嬉しさからか。

 悔しさのせいか。


 涙を誤魔化すために。

 しゃがんじまってるのは、丹弥にやだった。



 ……待機席では。

 にょも、タオルに顔をうずめてる。


 やれやれ。

 お前も泣けっての、にょ。



 会場の至る所から。

 なんで二人三脚で負けたくらいで泣き出したのかと失笑が耳に届くが。


 それを掻き消すほどの温かい拍手が。

 一年トリオを包み込む。



 まあ、笑わせておけ。


 俺たち六人が。

 ちゃんと見ていてやったから。


 お前らが、この一ヶ月ですげえ成長したってこと。

 分かってるからさ。



『では、最後に。二年生による、エキシビジョンマッチを行います』



 そんな放送に。

 観客席の一部から歓声が上がる。


 なるほど。

 知ってる人は、ごくわずかってことか。



 よし、見てろよ?

 さっきから、生あったかく笑い声上げて。

 あれほど頑張った三人を、相対的にしか見てねえお前らを。



 無様に黙らせてやるからな!!!



「ハンデ、十メートルだっけ?」

「十五メートルだ。……作戦通りに頼むぜ、甲斐」

「任せとけ。目にもの見せてくれる」


 不敵に笑う相棒だが。

 お前、ほんと頼むぜ?


 転んだら、転んだ位置から走り直しになるんだ。

 スタートでこけたりしたらシャレにならん。


「うんうん! 秋乃ちゃん、気合入ってるようだけど、勝つのはあたしよ?」

「あっは! 言わせておけばいいさ! ボクも限界超えてみせるからね!」


 佐倉さんも王子くんも。

 気合十分。


 約束はひとまず置いておいて。

 一ヶ月に亘る努力の成果を。


 思う存分発揮しようとしているようだ。



 ……でも。

 俺には分かる。


 元気に頷く秋乃の頭の片隅には。

 しっかりと、約束のことが根付いてる。


 夏木が約束したのは。

 もし夏木より先に秋乃がテープを切れなかったら、口きかなくするってこと。


 佐倉さんが約束したのは。

 自分たちが負けたらアイドルのパートナー辞めるってこと。


 そして、俺が甲斐と約束したのは。

 最初に俺たちがゴールライン越えなかったら。



 俺が秋乃と友達辞めるってこと。



「…………たとえどんな手を使ってでも勝つ!」

「おお。今は、それだけ考えとけよ」


 甲斐もまた、スポーツマン。

 誰にどんな理由があろうとも。

 勝者は一人って世界で生きている。


 だからだろうな。

 こいつは、最大限優しい言葉を絞り出してくれたようだが。


 あいにくだったな。


 さっきも言った通り。

 俺は。



 どんな汚い手を使ってでも、真の勝利を手に入れるぜ?



『それでは、位置について』


 もう、いっそ。

 このままずっと特訓を続ける生活が続けば。

 みんな笑っていられるのに。


 誰もが一瞬。

 胸にわだかまりを抱きながら。

 終わりへの扉を開く。


『よーい』


 会場からは笑い声。

 そりゃそうだ。

 どこの世界に、クラウチングスタートしようとする二人三脚がある。



 パンッ!!!



 乾いた破裂音。

 この一瞬を成功させるために。

 俺たちは、どれほど泥を舐め続けたことだろう。


 でも、どれだけ特訓したところで。

 百パーセントになるはずはない。


 俺と甲斐。

 きけ子と佐倉さん。


 二組が練習通りのスタートを切る中。


 どたばたと、リズムも悪く。

 あわや転倒と思えるほど体を前に倒して走り出したのは秋乃と王子くん。


 だが、それは。

 狙いだった。


 こいつらは、百パーセントじゃなく。

 百二十パーセントの奇跡にベットして。

 そして見事に引き当てた。



 秋乃は、手を抜かずに自分なりのスタートを切ると。

 王子くんが、必死に追いついて。


 ようやくリズムが合ったその時には。

 きけ子たちを、見事に引き離していた。


 だが、地力ではやはりきけ子たちが上。

 コーナーに入る手前で。

 なんとか秋乃たちに並んだんだが。


 一瞬、追い越したものの。

 先行する二人にインコースを奪われていたせいで。


 長いコーナーを走る間に。

 また引き離される。



 ……短距離走と何ら変わらぬスタートを見て。

 水を打ったかのように静まり返っていた会場が。


 気付けば大歓声で満たされる。


 そんなものを耳に出来る余裕は。

 コーナーの間だけ。


 直線に出たところで。


「アップ!」

「おう!」


 大外から。

 一気に出力全開だ!



 女子どもが練習してたコースは。

 たかだか百メートル。


 こっそりと、本番同様の三百メートルの練習をし続けてきた俺たちに。


 ペース配分で勝てるとでも思ってんのか?


 ぐんぐんと差を縮め。

 中央を走る、きけ子たちをとうとう追い抜くと。


「くっ!」


 驚いたことに。

 ペースを上げて必死に追いすがる。


 そして、二組が秋乃たちに並んだところで。

 こいつらもスパートをかけて来た。



 最後の百メートル。


 呼吸なんかしてる間もないデッドヒート。


 誰がいつ前に出たのか。

 まるで把握できないほど目まぐるしくトップが入れ替わる。


 そんな状況で。

 ふと、感じたこの手ごたえ。


 甲斐の野郎がへばってきやがった。



 おいおい、ふざけんなよ?

 俺は、負けるわけにゃいかねえんだ。


 重く感じる右の足。

 俺は、ペースを合わせるどころか。


 強引に。

 甲斐の足を引っ張り上げながらペースを上げた。



「うおおおおおおおおおおお!!!」



 限界の遥か先。

 まるで鉄の扉を何度も全力で蹴り上げ続けるような重たさを感じながら腿を引き上げる。


 あれだけ練習したのに。

 毎日当たり前のように走っているのに。


 体中に。

 未だ使ったことのない筋肉が未だに眠っていたような感覚。


 そのすべてを奮い起こして。

 ただ、四人よりも前に出ることだけを求めて。


 俺は。



 咆えた。



「うおりゃあああああああ!!!」


 

 もはや、甲斐を引っ張りながら強引に突き進む状態で。

 眼球に激痛を感じながら走り続けると。


 ようやく二組に並んだところで。

 すぐ目の前には、物語の終わりを告げる白いテープ。


「今だ!」

「どりゃああああ!!!」


 そして、なにがなんでも勝利を掴む。

 そう考えた俺が編み出した必殺技。


 ヘッドスライディングを綺麗に決めると。

 俺と甲斐が。

 間違いなく最初にゴールラインを通り過ぎた。


 一瞬、という時間は。

 客観よりも、主観がより鮮明だ。


 次にゴールラインを越えて。

 テープを切ったのは佐倉さん。


 秋乃たちは。

 最後にゴールラインを越えたのだった。



 ……必死になった数十秒。

 何分にも。

 何時間にも感じた真剣勝負。


 それが今、終わりを告げると。


 会場中が、天を突くほどの歓声をあげる。


 鳴りやまぬ拍手。

 落ち着くどころか、激しさを増すばかりの声。


 写真判定中のスタッフを横目に。

 女子四人が。

 輪になって、全員でハイタッチ。


「うんうん! 凄い勝負だったね!」

「も、燃えた……!」

「あっは! 悔しいけど、負けたー!」

「やっぱ練習と違って真剣勝負は良いのよん! 燃え尽きたー!」


 地べたから、やっと起き上がった俺と甲斐が見つめる四人は。

 はち切れんばかりの笑顔を浮かべて、お互いに抱きしめ合う。


 その笑顔は眩しくて。

 どんな宝石よりも美しく輝いていた。



 だが。



 大騒ぎしていた会場の空気ががらりと変わる。

 その騒めきも納得だ。


 心から称えていた四人が。

 気付けば、泣きじゃくっているんだからな。


「秋乃ちゃん……。ゴメン……」

「保坂に負けたからね。あたしとの約束も……」

「う……。い、一位じゃないから……。夏木さんとも……」


 三人を見上げて。

 一人、落ち着き払った様子のきけ子も。


 よく見りゃ。

 ぼろぼろ泣きっぱなし。


 三つの約束。

 そのうち一つ。

 俺との仲は今まで通りだけど。


 佐倉さんとは、アイドルコンビ解消。

 そして……。


「いや……。あたし……」

「うん。でも、約束は守らなきゃ」

「いや……。いやぁ…………」


 膝から崩れた秋乃が。

 小さなきけ子に。

 まるですがるようにしがみつくと。


 佐倉さんと王子くんが。

 二人を包むように抱きしめる。



 ……嗚呼。

 神よ。

 スポーツの神よ。


 一番頑張ったのは誰か。

 一番苦しんだのは誰か。


 それが理解できないというのか。



 まあ、それならそれでいい。



 俺は。



 ……はなから、お前なんか当てにしてねえからな。



『写真判定出ました! 一位は! 佐倉、夏木ペア!』



「……え?」

「あれ!? 保坂ちゃんたちは?」

「こ、これ……? どういう……」


 目を丸くさせる三人に。

 苦笑いを向ける、一番の功労者。


 俺は、甲斐と一緒にそいつの頭をぐしゃぐしゃに撫でてやる。


「悪かったな、自分の信念曲げさせて」

「なに言ってるのよ? 何が一番大切なのか、教えてくれたのは保坂ちゃんでしょ?」


 そして、あっけらかんと笑う。

 一点の曇りもない、その顔を。


 いつの間にか、割れていた雲から降り注いだスポットライトが。


 眩しいほどに輝かせたのだった。


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