ロックの日


 ~ 六月九日(水) ロックの日 ~

 ※首鼠両端しゅそりょうたん

  様子をうかがって、

  心を決めかねてること。




「ろけんろーる!!!」


 秋乃を救うに至る。

 三つの条件。


 そのうち二つは。

 本日最後の特訓具合を見る限り。


 運に頼らざるを得ないという、実にちゃらんぽらんなことになったんだが。


 最後の一つは。

 なんとかできる。


 いや、誤解の無いように言うと。


 成功率一パーセントくらいのくじを。

 引くこと自体はできるって話。


 だが。


 動かなけりゃゼロパーセント。


 覚悟をようやく決めた俺は。

 やけくそになって走り出す。


「思い立ったが吉日って口の中で唱えながら今まで勇気が出なかったとかほんと情けねえ!」


 美しく磨き上げて来たダイアモンド。

 そう評すべき、一人の女子の尊厳。


 俺は、それを粉々に打ち砕くために。


 前照灯ぐらいじゃ不安で仕方ない。

 真っ暗な道を自転車で突き進む。



 木々のせいか、土のせいか。

 六月の湿気がハンパねえ。


 まるで水中を進んでいるかのよう。

 たっぷりの水蒸気が俺の体にまとわりつく。


 そんな粒子がハンドルの端で乱気流を生んで。

 飛行機雲を引いているかのような錯覚を起こすほどの猛ダッシュ。


 東京じゃ知らなかった、月の眩しさも。

 厚い雲に覆われた空に頼ることのできない世界。


 たまにすれ違う車が本気で怖いけど。

 でも、そんな事より。


 あいつを、本気で怒らせるかもしれねえって不安の方がはるかに上だから。


 俺は、知ってる限り一番激しい曲を大声で歌い続けて。


 自分の心を誤魔化した。



「ここか!」



 急ブレーキに。

 停止したタイヤが砂利を掻き分けながら滑って、車体を左に倒す。


 そんな自転車の制御ももどかしく。

 飛び降りた足でたたらを踏んで。


 二階の窓に一つだけ明かりをともした。

 深夜の一軒家へ向けて、大声をあげた。



「夏木! 話がある!」



 叫んだ後、いつまで待ってみても。

 耳に届くのは、自分の激しい呼吸音ばかり。


 改めて両手を頬にあててメガホンにして。

 息を大きく吸い込んだその瞬間。


 明かりの点いていた窓が慎重に開いて。

 シルエットでもそれと分かる顔がひょっこり飛び出した。


「…………保坂ちゃん?」

「そう! 俺だ!」

「こんな時間に何しに来たの? 夜這い?」

「違う! 俺じゃねえ!」


 よく見りゃ携帯持ってやがる。

 どこに通報する気だてめえ。


「てことは、保坂ちゃんにすげえ似てる、夜這いに来た不審者?」

「ああもう、悪かった。俺は、一度誤魔化したらどんどん悪化するってことを身をもって体験したばかりの保坂だ」

「なんだ。やっぱ保坂ちゃんじゃない」

「すまんが、明日のことでちょっと相談がある。下りて来てくれねえか?」


 深夜に突然の訪問。


 とんだ暴挙だが。

 そこはきけ子。


 寝巻にぶかぶかのサマーセーター羽織って。

 サンダルつっかけて出て来てくれた。


「どうしたのよ、こんな遅くに。びっくりでドキドキよ?」

「そうは見えねえほどあっけらかんと出て来たくせに何を言う」

「ほんとほんと! しかも、そこに転がってる自転車飛ばしてきたんでしょ? 汗びっしょりかいて」

「まあ、そうなるな。さすが女子、よく見てるな」

「でも、気持ちは嬉しいけどあたしには優太がいるから」

「どうしてそうなる。さすが夏木、脳が節穴だな」


 俺の突っ込みを聞きもしねえで。

 ほんとごめんとか。

 すげえ真剣に頭下げられても。


「勘違いだ勘違い。付き合ってくれって話じゃねえ」

「でもメッセージじゃなくて、ちょくで来たってことは……」

「ああ。真面目な話だ」

「したらば、ぷろぽーず!?」

「まずは落ち着け。そんで次に、お前が顔赤くするたんびに銃口がこっちに向くのが怖えから、後ろのを何とかしろ」


 さすがはきけ子。

 後ろの騒ぎが耳に入ってねえなんて。


 俺が指差す先へきけ子が振り向くと。

 猟銃持った親父さんを。

 お袋さんが必死に止めてる姿にようやく気付いてくれた。


「まずこれを何とかしてくれ。話をする前に消されたりしたら、俺は無念の余りここの地縛霊になっちまう」

「なんとかすればいいの?」

「早くしろって」

「ママ。保坂ちゃんが、パパを放してって」

「逆だ逆!」


 娘も娘なら親も親。

 お袋さんが、あっさり両手を放したもんだから。


 親父さんの猟銃が俺の方を向いて……。



 ぱんっ!!!



 ――熱いものが首筋をかすめ。

 ショックのあまり思考を止めた俺の目に映るもの。


 俺の肩から伸びるそれは。



 猟銃の先端へ向かってぶら下がる万国旗。



「うはははははははははははは!!! どうしてひとまず親父ってやつはおもしれえことやりたがるんだ!?」

「あたしがママ派だから、ひとまずパパは面白キャラになるしか手が無くて」

「ああもう、話が進まねえから! 家ん中に引き取ってもらえ!」


 こんな時間に爆笑させやがって。

 ご近所からの苦情は全部お前が何とかしろよ?


 そして。

 とぼけたお袋さんとひとまず親父を家の中に押し込んだきけ子が。


 ようやく姿を現したのは、その五分後のことだった。


「……随分かかったな」

「そう? すげえ早さで縛りあげれたって思うけど」

「ああ、そりゃ俺の勘違いだ。こんなに早く仕事を済ませてくれてありがとう」


 どうなってんだよお前の家。

 一般家庭に、なぜロープが存在する。


 俺は、親父さんの身を案じながらも。

 心から感謝した。


 あんたのドタバタのせいで。

 なんだかリラックスできたよ。


「……舞浜ちゃんの話?」


 そりゃそう思うよな。


 俺は、返事の代わりに。

 仏頂面を少し緩めてみせる。


「なんか、ややこしいことになっちゃったけど……。あたし、約束はちゃんと果たすわよ?」


 そうだな。

 お前はそういうやつだ。


 きっと約束は果たすだろう。



 ……秋乃との最初の約束。

 一生懸命頑張るという宣言。


 勘違いとは言え。

 きけ子は、秋乃が自分との約束を違えるつもりがないって、最後まで信じてた。


 誰が見ても、不真面目に感じる秋乃の行動についても。

 彼女の気持ちになって考えて。


 みんなと笑いながら練習するのが一番の一生懸命。

 秋乃がそう考えているんだと結論付けて。


 自分の考える一生懸命は違うんだと。

 それを言葉にせず、背中でずっと語り続けて。


 それでも伝わることが無かったから。

 泣く泣く、秋乃の一生懸命を生かしてもらえるように身を引いた。



 ……だから。

 走りたくないと言った秋乃を。


 真剣に怒った。

 真面目に取り組んでもらえるように叱咤した。



 彼女のことが大好きだから。


 ……いや、違うな。



 真剣に怒ることができるのは。


 きっと。



 友達だから。



「そんなお前だからこそ、俺は最後の最後まで言い出せなかったんだよ」

「何の話?」


 こいつは、生粋のスポーツマン。

 無数の敗者の涙を無駄にしないために。

 勝者は気高くあるべきと考えていることだろう。


 そんなきけ子を打ち砕く一縷の希望。

 俺は、こいつの友情に賭けてみた。


「……夏木が約束したのは、もし夏木より先に秋乃がテープを切れなかったら、口きかなくするってこと」

「うん。あたしに勝てなかったら、本気で口きいてあげない」

「佐倉さんが約束したのは、自分たちが負けたらアイドルのパートナー辞めるってこと」

「あはは……。舞浜ちゃん、どっち取る気だろうね?」



 分厚く天蓋を覆い尽くす雲。

 星なんか見えやしねえのに。

 きけ子はじっと空を見上げる。


 真剣に走ってもらいたい。

 そんな想いを伝えるためだけに。


 随分と面倒なことしやがって。



 俺は、きけ子の目に光るものに気付かないふりをしたまま。


 みんなが幸せになる方法を伝えてやった。



「夏木。明日の勝負、お前は……」



 俺の提案に。

 きけ子は、何も言わないまま。


 それきり俺に背を向けた。



 伝わったのか。

 伝わっていないのか。


 家の中に入って行くその背中からは。

 なにも汲み取ることはできなかった。




「…………いや。そこを曲げてちょっと戻って来てくれ」

「ぶつくさ言ってないで。まずは署まで一緒に来なさい」

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