ニキビの日
~ 五月二十一日(金) ニキビの日 ~
※
可愛らしい子供も老いる事から
時の流れの無常を表す。
青春。
そんな言葉から、大人はずいぶんキラキラしたものを想像するようだが。
あんたら、もう忘れちまったのか?
青春時代、自分が毎日どんなこと考えてたのか。
例えば、そうだな。
こいつを例にとろうか。
今日、甲斐の思考の九割九分を占めるのは……。
「ニキビいじると痕になるって聞くぞ?」
「おお、助かったぜ立哉。無意識でいじってた」
大概。
この程度のこと考えてるうちに。
一日が終わる。
それが青春。
……赤くなった頬を気にする頭カチン。
甲斐との距離はほんのちょい。
つまり、俺の左足はこいつと合体してるわけで。
「ほんとに、帰ってから休まず勉強しろよ?」
「お前は母ちゃんか」
「お前らもだぞ!」
「だいじょぶだいじょぶ!」
「だ、だいじょうぶ……」
「大丈夫じゃねえから言ってんだ」
試験前の金曜日。
誰もが家路を急ぐ小雨の中。
今日も今日とて、きけ子と一緒に。
泥だらけになってるこいつは。
艶やかな飴色のサラサラストレート髪も。
どろでべっとりコーティングされて。
プラスチックの人形みてえになってやがる。
「秋乃ちゃん! 全力出して! 青春よ! 爆発よ!」
「は、はい!」
でも、そんな見た目もお構いなし。
二人の美人さんは、熱い情熱だけを胸にスタート地点に立つ。
……なんか、恥ずかしいな。
俺、今日はどういう訳か他人の視線が気になって。
寝ぐせでも付いてるんじゃねえかって。
髪をいじりっ放しだったのに。
輝きとは。
美しさとは。
きっとそんな些細なことじゃなくて。
内面からあふれ出すものなんだろう。
俺は、美しい二人が。
今日何度目かの盛大な泥飛沫を巻き上げる姿を見つめながら。
自分の小ささを今更ながら実感していた。
「だから! 全力出してって!」
「ご、ごめんなさい……。今日はニキビが気になって……」
「褒めた矢先になんてちいせえ言い訳!!!」
「ああ、それ、分かるわあ」
「分かるの!?」
これだから女子はよく分からん。
でも、お前も分からん。
こんだけ注意してやってんのに。
またボリボリ掻いてやがる。
「もう、今後は指摘しねえ」
「そうは言ってもな。気になるんだよ」
「気になるんだったらなおさら掻くなよ」
「先輩。気になるのはしょうがないと思いますよ?」
そんな俺たちに声をかけて来たのは。
いつものように、やる気満載のにゅとにょを見つめるにゃ。
高校最初のテストを前に。
ほんとは範を示すべきとは思うんだが。
「この件に関しては俺たちを反面教師にしろ」
「テスト勉強しろってこと? でも、私達、成績いいよ?」
「そう胡坐かいて転げ落ちるやつを何人も知ってる」
「お堅いなあ、先輩は」
いつも通りと言えばいつも通り。
熱のこもっていない、にゃの言葉。
でも今日は言葉の端々に。
寂しさが見て取れる。
「…………結局、まだ決まってないのか?」
「私は、あの二人が走ればいいって思ってるんだけどね」
「ウソつけ。一緒に走りたいんだろ? 隠れてそんなに練習して」
俺は、甲斐に断ってタオルを外しながら。
膝の擦り傷を慌てて隠したにゃへ、努めて優しく話しかけた。
「……みんな必死なのに、走れるのは二人だけ。なんか、悲しいな」
「うん。……だから、私はあの二人が走ればいいって思ってるんだ」
やれやれ、ようやく本心が出たな。
波長というか、価値観というか。
考え方が俺と一緒だったから。
気付いてあげられたのかもしれない。
「そうやって、ずっと身を引いてると癖になるぞ?」
「それは、経験則?」
「ひでえこと言いやがるな。合ってるけど」
「ごめんなさい。……そうだね、もうちょっと考えてみるよ」
「考えるだけじゃダメだからな。がむしゃらに行動するのも大切だから」
「…………やっぱり、経験則?」
「そうだよ」
気付けば、甲斐も同意しながらにゃを見下ろして。
今日は考える日、今日は考えない日って決めると良いぞなんて。
先輩らしいことを言ってあげてるが。
にゃは、丁寧にお礼を言った後。
首を横に振りながら。
甲斐に苦笑いを向けた。
「でも、さ。今日は無理」
「どうしてだい?」
「ニキビが気になって」
「そりゃ分かる」
「お前もかよ何なんだよ!!!」
どいつもこいつも。
二言目にはニキビニキビって。
「そんなに気になるのかよニキビ! ちきしょう俺だけか異常なのは!?」
呆れて大声をあげてみれば。
全員の視線が俺に集まった。
……ん?
いや、おかしい。
みんなが見てるのは。
俺の右の頬?
「俺はねえぞニキビなんか。今朝も鏡で見たし」
「お前、二時間目が終わった時、ちょっと仮眠したろ?」
「え? あんな一瞬で出来る!?」
慌てて甲斐を押しのけて。
雑巾と化したタオルで手を拭いて。
木陰に置いておいた鞄から携帯を取り出して。
自撮りモードで頬を確認すると。
画面くっきりはっきりと。
映っていたのは。
ビキニ美女。
「うはははははははははははは!!! ってバカ野郎! 油性マジックで落書きすんな!」
「き、気になって集中できない……」
「お前が描いたんだろが!!!」
「俺も気になって気になって……」
「右に同じ」
「ノーズアートかと思ってた」
「なんの撃墜王なんだ俺は!!!」
道理ですれ違う女子は視線逸らして。
男子は揃って苦笑いしてたわけだ。
こんなネタ仕込みやがって。
ちきしょう、また負けた。
……でも。
お腹を抱える一同の中。
きけ子は黙って、足に結んだタオルをゆっくりほどく。
その表情にベクトルはなく。
無表情といった表現が一番しっくりくる。
「……秋乃ちゃん、集中できない?」
「ううん? 練習は一生懸命やってる……、よ?」
「……ウソつき」
「え?」
いつものきけ子とはまるで別人。
そんな言葉を残したまま。
きけ子は、ふらりと。
シャワー室の方へ行ってしまった。
――さっきまで。
散々、すぐ帰って勉強しろと言い続けておいてなんだが。
急に練習を切り上げたりして。
どうしたんだろう。
「こら。お前が悪ふざけしてるから怒っちまったじゃねえか」
「う、うん……。でも、多分、そうじゃなくて……」
秋乃も、みんなから離れて。
俺の隣で手を拭きながら。
ここしばらく使っていなかった。
微笑の仮面を顔に張り付けて。
「多分、夏木さんがずっと怒ってるのは……」
「お前が手ぇ抜いて、あいつのペースに合わせようとしてるせいってか?」
見てりゃ分かる。
いつも、足の速いお前が遅れて。
きけ子が顔面から倒れてるからな。
……でも。
自信満々に言い放った俺の推理に。
秋乃は、弱々しく首を振って。
ぽつりとつぶやいた。
「…………あたし、手なんか抜いて無いの」
え?
「全力で走ってるのに、夏木さんは分かってくれないの……」
そんなはずはない。
でも、秋乃の言葉は。
ポロリと零れ落ちた涙が。
真実なのだと教えてくれた。
……ならば。
秋乃より足の遅いきけ子が前に倒れるこの矛盾。
一体、何が起きてるんだ?
中間テストなんかより。
難しい問題を叩きつけられたまま。
俺は、雨脚を強めた空を見上げて。
ずっとその場に立ち尽くしていた。
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