ザリガニの日
~ 五月十二日(水) ザリガニの日 ~
※
鈍感。腹黒い。
昨日から始まった。
二人三脚の猛特訓。
まるで機関車のような熱血スポ根コンビに引っ張りまわされて。
俺たち客車は。
現在復旧工事中。
「おい、また剥がれてるぞ?」
「ひ、膝の絆創膏、すぐ剥がれる……」
俺みたいに、ガーゼをテープで止めたら肌がかぶれるからと。
市販の絆創膏を何枚も使って擦り傷をふさぐこいつは。
飴色のさらさらストレート髪を一つ結びにしているのは。
今日も早くから、きけ子と朝練をしていた証拠。
でも。
文句ばかりの俺に対して。
こいつの感想ときたら。
「と、特訓、楽しい……、ね?」
「何度も聞くようだが、本当に本心なんだな?」
「うん」
多分、客観では友達以外のなんでもないほど仲のいい。
きけ子と一緒だからってこともあるだろうが。
ほんと、何でも楽しむヤツだなお前は。
「俺は楽しかねえ。辛いし痛いし、散々だ」
「ご、ごめんね? あたしのせいで……」
おっとっと。
非難したわけじゃねえんだけど。
ここは、別の敵を作って。
ヘイトをそっちへ向けてることにしとこう。
「お前のせいじゃねえ。全部あの厚顔無恥が悪いんだ」
「……先生?」
「なにが自主性だよ、勝手に参加競技決めやがって。どんだけ面の皮厚いんだ」
「あ、厚くないよ?」
「厚い」
「薄い」
「厚い」
「薄いよ……。先生、優しい、よ?」
「ほんとに恨んでねえのか、お前?」
「うん。……でも、体力的にグロッキー気味、かな?」
まあ、そうだろうな。
ふらふらしてるもんな、お前。
長距離走の時。
まるでバテない秋乃の背中を、きけ子はほうほうのていで追ってたから。
スタミナがあるのはこいつの方だと思っていたら大間違い。
短距離走を何度も繰り返しているうちに。
先にバテたのは、秋乃だった。
筋肉の質に、長距離向きと短距離向きがあるってことは聞いたことあるけど。
ここまで違うもんかね。
「……まあ、試合まで頑張れよ」
「うん」
「俺はモチベーション上げてやることくらいしかできんが」
「モチベ?」
「今日のランチは、お前が食べたがってたもん作ってやるから」
おお、現金な奴。
はしゃいで、危うく授業中に大声上げそうになってやがる。
……くっくっく。
罠とも知らずに、いい気なもんだぜ。
「膝、やっぱり絆創膏じゃ無理あるんじゃねえか?」
「うん……。でも、テープだとかぶれるから……」
「一応、かぶれにくいテープってやつ持って来たんだが。試すか?」
「そ、そうしてみようかな……」
そしてシナリオ通り。
秋乃は、ガーゼを膝に当てて。
俺から受け取った肌色のテープを引き延ばす。
「えっと、ハサミ……」
「ほれ」
そんな、すっかり油断していたであろう秋乃の前に。
俺が差し出した赤黒いハサミ。
このハサミの名称、正しくは。
動いてるロブスター。
「…………大きい。捕まえて来たの? 田んぼから」
「ザリガニじゃねえし笑えよお前は」
「ザリガニじゃないの?」
ああもう、このもの知らず!
でもザリガニならザリガニで笑うとこだろ普通!
「食いてえって言ってたから持って来たのに、ロブスター」
「うそ。これじゃない……」
「これだよこれ! じゃあ、お前の知ってるロブスターがどんな生き物なのか言ってみろ!」
「生き物じゃなくて、ひらがなの『つ』みたいな形した、グラタン味のお料理」
「…………こんな形のことか?」
俺が呆れながら。
ロブスターを横向きにしてやると。
「つ!」
ようやくこいつは納得して。
何の躊躇もなく俺の手からロブスターを奪い取ると。
ハサミを封印してた紐を外して。
テープをちょきん。
「うはははははははははははは!!! 驚きの切れ味! 包丁の実演販売か!」
「あらかじめ切っておいた……」
「うはははははははははははは!!! 騙された!」
「こら、保坂。……いや、舞浜か。今、何を背中に隠した」
「ひぅ……、これは……、ません」
「前に出て来い」
ちきしょう、また負けた。
負けた以上、こいつばかりを恥さらしにするわけにゃいかんだろう。
先生からは見えないように。
ロブスターを背中に隠して歩く秋乃。
当然、クラスメイトからは丸見えで。
誰もが腹を抱えて笑いだす。
「……やはり、何か持っているようだな?」
「これは……、その……」
「そしてなぜ貴様まで出て来た」
「ああ。こいつを持って来たのは俺だからな」
俺は秋乃の背中からロブスターを奪い取って。
先生の前に突き出すと。
赤黒いハサミが。
撫でつけた髪の真ん中あたりをざっくり。
てかてかな頭頂部を辛うじて守る最後の砦が。
この一撃で、砦跡と名前を変えた。
爆発したように笑い転げるクラスメイトたちとは対照的に。
凍り付いたまま動けなくなった教卓前。
「す……、すまん! まさかこんなことになるなんて……っ!」
俺は誠心誠意。
これでもかって程深く頭を下げると。
「…………貴様がそんな殊勝なタマか。何を企んでいる」
「いや! いくらなんでも近付け過ぎた! 申し訳ねえ!」
「なんだ? 本気で謝っているのか?」
「この通り!!!」
危うく大怪我させるところだった。
調子に乗ってやべえことしちまった。
でも、これが日ごろの行いってやつか。
心からの謝罪を、こいつは素直に受け取っちゃくれねえ。
「ははあ、分かったぞ? 俺の薄い髪にとどめをさしたとか、そんなことを言って皆を笑わせる気だな?」
「あんた、どんな目で俺を見てるんだ? ほんとにわりいことしたと思ってんのに!」
「…………うむむ」
すると先生は、突然腕を組んで唸りだしたかと思うと。
野太い息を吐きだして。
「確かに。生徒を疑うなど、教師として恥ずべき行為だ」
「……え?」
「貴様らの暴挙は許してやる。だから、俺のことも許してはくれんだろうか」
なんと。
こいつ、俺たちに頭下げて来やがった。
あまりの事態に、返事に窮する俺の腕を。
秋乃が、肘でツンと突く。
「あ、いや……。ほんとに済まねえことしたのは俺なんだ。頭なんか下げねえでくれよ」
「ごめんなさい……」
気持ちが勝手に体を動かす。
俺も秋乃も、下げる頭は先生より遥か下。
そしてお互いに頭をあげると。
どうしてだろう。
なんだか、胸の中に溜まってた澱んだ空気が。
開いた窓から流れ出していく心地になった。
――苦笑いする先生。
思わず照れ臭くなって目を逸らす俺。
そして、秋乃は。
まるで映画のクライマックスのように。
輝くほどの笑顔を俺に向けて。
物語を。
美しく締めた。
「……ね? 薄いでしょ?」
「うはははははははははははは!!!」
こうして俺は。
校庭に、立った姿勢のまま埋められた。
「サッカーグラウンドとか。スリル満点だぜ」
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