承章・さがしもの

「うー、見つからない……」


 下校中、雫は項垂れた。人見知りだというのにクラスメート全員と話しをして、夜の九時まで学校中を探し回ったのだから、疲れもするだろう。上げた瞳はチワワみたいに潤んでいて、街灯の光を不安げに反射していた。前髪を抑える無愛想な鉄のヘアピンは何も反射していないのにその状態だ。綺麗な瞳と褒めるべきか、古びたヘアピンをいつまでも使うと女が廃るぞと叱るべきか、判断に迷う。


 「体育の授業の前に外したのは覚えてるし、落とし物届けも確認したのに……。ねぇ一輝、他に何か、心当たりない?」


「心当たり、ねぇ」


 いわれてふと考えて、考えるまでも無い事を思い出す。俺は今日、わざわざ犯行予告じみた宣言をした人間と話しているのだ。しかし俺はあいつの名前も知らないし、雫が通う学校とは違う制服を着ていたのだって実はコスプレで、本当は同じ学校の生徒でした、という可能性も捨てきれない以上は、なんの参考にもならない。なら、現段階でこれを言うのは、混乱を招くだけだろう。


「無いな」


 そう告げると、雫は「そっか」とすんなり引き下がった。


「じゃあ、警察に相談する、とか」


 意を決したように呟く雫。夜風に煽られた短い癖っ毛が数本、無愛想なヘアピンからはみ出して揺れた。俺は、そのうっとおしい癖っ毛を押さえるように、雫の頭を撫でる。


「やめとけ。あれのために警察が動いてくれるとも、誰かが交番に届けてくれるとも思えない」


「で、でもっ」


 反論しようとした雫はしかし、その続きを言わなかった。きっとこいつも気付いたのだ。自分が失くしたものの、物理的な小ささに。


 雫の宝物は、言ってしまえば小学生のお別れの挨拶でしかない。小さな雫と小さな律の小さなお別れ。その悲しみを緩和するために用意されたものは、小さな律が小さな手で作り上げた小学生のお手製ネックレスであって、ミサンガの要領で編んだ紐に木彫りの飾りを装飾しただけのそれは、思い出という要素を除けば、100円にも満たない価値しかないのだ。


 その事実を思い出して、そして改めて思い知ったのだろう。雫は小さな胸の前で、小さな拳を小さく握った。


「……このまま見つからなかったらどうしよう……」


 このまま見つからなければ自殺でもしてしまいそうな、今にも消え入りそうな口調だった。


 大丈夫だ、と言ってやることは出来ない。言葉はなんの保障にもならないから。


 変わりに浮かんだのは、諦めたらどうだ、という提案だった。


 その提案が浮かんで以降、俺の頭はその考えに埋め尽くされた。だってそうだろう。それが合理的だ。律の事を忘れる、いいきっかけでもあるんじゃないか。


 そんな事を考えてしまった俺は、薄情なのだろうか。




 ――――――――――――――




 雫を部屋の前まで送ってから、俺はしばらく夜道を闊歩して、近くの公園に立ち寄った。昔からよく通った公園だが、随分と様変わりした場所。子供の遊具は全て撤去され、変わりに沢山のベンチが置かれている。地面には天然芝が茂り、砂場があった隅っこにはゲートボール場が設置されていた。


 若者がくつろぐにはあまりにも年寄り向きなその公園に立ち入って、適当なベンチに腰を掛ける。後ろの茂みから虫の声が聞こえてきて、そうか、もうすぐで夏かと思い出す。梅雨にでも入ってくれれば嫌でも思い知るのだろうけれど、残念ながら今年の梅雨は、少し遅いらしい。


「調査、お疲れさま」


 ふと、背後から声がした。つい最近聞いたばかりの、覚えのある女の声だ。


「…………いや、あのな、俺じゃなかったびっくりして心臓飛び出て死んでたぞ。ガチでホラーだからな、それ」


 振り向く事なくため息交じりに文句を言うと、後ろの女はカラカラと笑った。


「はっはっは、間違いない。いずれ挑戦してみたいものだ。雫なんかは、とても面白い反応をしてくれると思わないかい?」


「やめてくれ。雫が恐怖のあまり死んじまう」


 本気で制止しながら振り向くと、そこには予想通り、昼間学校に不法侵入してきた女、自称運命の人が立っていた。ベンチの後ろにある茂みとベンチの間にはあまり隙間は無いため、俺に気付かれないようにそこに立つなんて、普通なら出来なさそうだが。


「つーかよ」


 女の顔を確認して満足した俺は視線を前方へと戻しながら言った。


「調査も何も、俺はお前が犯人だと思ってるんだが」


 その言葉に、その女はやはり、楽しそうに笑う。


「はっはっは。ストレートに言うね。これがミステリーなら犯人に逃げられてしまうストレートさだ」


 愚直とでも言いたいのだろうか。


 まぁあながち間違いではない。俺は探偵では無いし、そもそもこれをミステリーだと思っていない。事件なんてどこにも起きていない。


「逃げる気があるのか、お前」


「逃げるも何も、私は犯人じゃないし、そもそもこの問題に犯人は居ない。なにせこれは事件じゃないのだから。そうだね、ミステリーではなくファンタジーの類かな?」


「ファンタジー? お前が盗んだってだけの話じゃねぇのか」


「盗んでないよ」


「犯人は皆そういうもんだ」


「犯人じゃなくても皆言うさ」


「確かにな」


 やっぱり俺は探偵には向かない。だとしたら、これがミステリーじゃないというのは助かる話だ。


「ミステリーじゃない、犯人が居ない。なら窃盗じゃねぇって事だろう。となると紛失くらいしか思いつかねぇが、だとしたらおかしい。あいつは体育の授業の前にネックレスを外したと言っていた。そんで戻ってきたら無くなっていた。無くなるタイミングなんてどこにも無い。あり得るとしたら、誰かの荷物に紛れ込んだってくらいだが……」


 これも考え難い。なにせ雫は極度の人見知りで、外したネックレスを間違えて他人の荷物に入れてしまうほどの近距離に迫る事は、ありえないからだ。


「残念ながら全部外れかな」


 こともなげにそいつは言う。


「さいですか」


 これでも結構真剣に考えたんだがな。


 「事情を知ってるなら教えてくれないか。犯人じゃないなら、手を貸してくれても良いだろう」


 そう言うと、女は当たり前のようにこう言った。


「それは出来ない。言っただろう。君になんとかしてほしいんだ」


「俺がなんとかしようとしたら、あのネックレスを諦めろって事になるぞ」


「それでなんとかなるんなら、それも良いんじゃないかな」


「良くねぇよ。あのネックレスは、あんなんでも雫の宝物なんだ。合理性を求めれば諦めるのが正解でも、感情論じゃそうもいかねぇ。その分別が出来ないのは、きっと薄情ってやつだろう」


「合理性と感情論の分別、か。うん。そうだね。その通りだ。そこまで解っているのなら、上等さ」


 意味深な笑みを含めた声で、女は意味深に呟く。


「それでこそ、君に任せられる」


 そう言い残して、その女は公園の出口へと歩き出す。俺はその背中を見届けて、ふと、見覚えがあるような感覚に陥る。けれど、残念ながら俺の人生には去り行く美女を見送る経験どころか美女と深夜に密会して二人きりで話した過去すら無い。デジャブというやつだろう。


「ちっ」


 舌打ちをして空を見上げる。


「意味わかんねぇ」


 本当に、理解できない事ばっかりだ。

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