第40話 イナカマチの番犬 5

 イナカマチ区画は穏やかで、のどかな区画だ。自然と共に生きるゆるやかな区画である。

 だがそれはイナカマチ区画だからこそであり、そこに他区画が介入すれば意図も容易く失われるであろう、儚いものだ。

 当たり前の日常が当たり前ではなくなる。

 だから若利は頑としてリベルタ区画の提案を受け入れなかった。


「我らの暮らしや考えを尊重するという区画の申し出ならば考えた。だが少なくともリベルタ区画ではそうはならん確信がある。そして一度屈したら、俺一人では奴らに太刀打ちできん事も自覚している」


 若利ははっきりと断言する。元々若利の神雷は直接的な戦いには向いていない。後方から支援するタイプの神雷なのだ。そして独楽や天津のように他者を圧倒できる程の力はない。

 若利が出来るのは交渉する事だ。


 交渉し、言葉を尽くし、イナカマチ区画の利を守る。それが若利の戦い方であり、武器だ。

 だから若利は、最初からお互いの利の為に交渉をする気がなく、ただ押しつけるだけの相手の言葉に応じるつもりはなかった。


「甘栗、きみはどうなのだ?」

「…………某、は」


 天津の動きが止まった。


「……某は……守るつもりで、明け渡したのか……?」


 掠れる程に小さな声で天津は呟く。

 その瞬間、天津の脳裏にぶわりと声が蘇った。 


――――主様! あたし達は大丈夫ですから心配しないで下さい! なに、カザミ区画の人間は打たれ強いんです。いつか主様なら何とかしてくれるって、信じていますから!


 聞こえて来たのはカザミ区画の者達の声だった。

 天津は音が出るくらいに強く歯を噛みしめた。

 ぎり、と刀を握る手も強まる。


「其方に……其方に何が分かる! 神雷結界に守られただけの、ただ運の良い区画に生きてきた其方に、何がッ!」


 天津が吼え、若利に向かって刀を振り上げる。

 混乱、動揺、怒り、そして――――嘆き。その全てが混ざり合った悲痛な叫びだった。


「運ではないぞ、甘栗。この区画を守り続けたのは、祖母の神雷と――――この区画に住む者達の信頼だ!」

「戯言を!」


 天津は怒鳴る。表情こそ違えど、若利には天津が泣いている様にも見えた。

 天津は目を吊り上げ、神雷壁ごと若利を叩き斬ろうと、力任せに刀を振り下ろす。

 正確には振り下ろし掛けたその時だ。

 ヒュッ、と、風を切る音が聞こえ、天津の体が勢いよく庭へと吹き飛んだ。


「ぐ!?」


 天津は庭に立つ木の幹に叩きつけられ、苦悶の声を漏らす。

 その目の前に、ふわり、と白色の獣が舞い降りた。

 若利を背に庇い、天津に対峙する大きな獣。


――――独楽であった。

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