第38話 イナカマチの番犬 3
「い、いつの間に背後に……」
動揺する天津に、若利はニッと口元を上げる。
「話に夢中になっていて気付かぬとは緊張感が足りんな。まるで俺が逢瀬の邪魔をしたのかと錯覚するではないか」
「どこにそんな甘酸っぱい要素があったのか是非とも教えて頂きたいのですがね。しかし、やりますね若様、足音がしませんでしたよ。わたしは匂いで気が付きましたけれど」
冗談めかして言う独楽に、若利は扇子を開いてカラカラと笑った。
「はっはっは。さすがはうちの番犬だ。大事ないか?」
「照れますねぇ。ええ、布団以外は無傷です」
「大参事ではないか。きみたちは二人とも、あとでお小夜にしこたま怒られるが良いぞ」
「うっ」
若利にからかう口調でそう言われ、独楽は頭を抱えた。
確かに怪我はしなったが、布団は大怪我である。小夜に怒られるのは怖い――というより、怒らせてしまった事に心が痛むので、独楽は嫌だった。
そんな中、天津は戸惑う表情を浮かべる。若利の『二人』という言葉が、引っかかったからだ。
「……何を思い違いをしているか分からぬが、某は今までと同じようにはいられぬでござるよ」
「なぜだ?」
「なぜって……」
さらりと首を傾げる若利に、天津はさらに戸惑いを深める。
「選択肢は幾つもあるだろう? 何故ならきみは
若利が提案するものには遂行する、というものは入っていなかった。実に若利らしい提案の仕方だと、独楽は小さく笑う。
「…………」
若利の言葉に天津は答えない。目を伏せ、苦虫を噛みつぶしたような表情になる。
「……選べない理由でも?」
独楽が重ねて問いかける。
それでも天津は答えない――――否、答えられない。
若利の目に凪いだように静かな色が浮かぶ。
「甘栗よ、きみはリベルタ区画に奪われた何れかの区画の住人ではないか?」
「…………まったく、この主従は。人の心を見透かすように、痛い所をついてくれる」
深い息を吐いて、ようやく天津はそう言った。そうして諦めたように顔を上げると、答え始める。
「いかにも。某は現リベルタ第五区画の元になった区画……ちょうどここの隣でござるな。カザミ区画の元区画主、天津栗之進でござる」
天津の言葉に独楽は「えっ」と目を見開いた。
若利は多少は想像をしていたのか驚きは少ない。
「甘栗さん、区画主だったんですか」
「
「それでうちの区画を、という事か」
「幾つかの区画を見た中で、最も狙いやすそうな区画でござった」
確かにそれはそうだろうと独楽も思った。
独楽がやって来た時のイナカマチ区画は、区画を守る神雷結界は消滅していたし、その神雷結界に長年守られていた事で、ほとんどの者が神雷の扱い方を知らなかった。
この世界においては平和ボケしている――とは独楽も思ったほどだ。
もちろんイナカマチ区画の住人達は、武器で戦う術は持っていたかもしれないが、何よりイナカマチ区画は小さな区画である。
区画が小さいという事は人数も少ない。
他の区画が大勢で攻め入り神雷を使われでもしたら、直ぐに制圧されてしまう。
それに天津は恐ろしく腕の立つ侍だ。
その気になれば区画の者達を蹴散らして要石を奪うなど造作もない事だったろう。
「他の方法はなかったのですか?」
「他に抗う方法など、某には思いつかなかったのでな。某は神雷を使えない。区画を染める時も先代の神雷あっての事だ。幾ら腕を磨こうと、遅かれ早かれ、某一人では無理でござった」
天津は目を閉じ、首を振る。
次に瞼が開いた時には、若利が現れてから和らいでいた殺気がはっきりと宿っていた。
独楽は天津に錫杖を向けながらじりじりと距離を測る。
――気を抜けばやられる。
殺気に当てられた独楽の額からは、汗が一筋流れて頬を伝った。
「其方らイナカマチ区画の者たちには悪い事をしたと思っている」
「そう思うのならば引いて下さると嬉しいのですがね。その刀を納めて、話し合いで解決などと洒落込みませんか?」
独楽がそう提案するも、天津は「フン」と鼻で笑う。
「ならばその錫杖を下ろしてから物を言うでござるよ、独楽殿」
「甘栗さんがその殺気を消して下されば」
「ふむ、それは無理な注文だ」
それから天津は、ゆらり、と若利を睨むように見て、手を差し出す。
握手のためなどではない、何かを要求するそれだ。
それが何を指しているのかは独楽にも直ぐに分かった。
イナカマチ区画の要石である。
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