第32話 伊達に酔狂 4
一大事だ。
火事なら消さねば、そう思って立ち上がろうとした独楽の耳に、
「けほけほ」
「けむいですー」
と、煙に咽る信太と小夜の声が聞こえた。その途端、独楽はザッと青ざめた。信太と小夜の身に危険が及んでいるのかもしれない。そう考えた途端、独楽の体は半ば無意識に立ち上がった。
そして大慌てで ダーン! と障子戸を乱暴に開けて外へ飛び出し、二人の名を叫ぶ。
「信太、お小夜ちゃん!? 大丈夫です――――か?」
飛び出て、独楽は目の前の光景に目が点になった。煙の出所はを目撃したからだ。
もくもくとした煙を上げていたのは七輪だった。サンマを焼いている七輪だった。ついでにその近くには、年代を感じる鉄板の上で、焼きそばとイカとトウモロコシが焼かれている。
何がどうなってこうなったのか独楽にはまるで理解が出来ないが、悪い想像など一瞬で吹き飛ぶような平和な光景がそこに広がっていた。
「ナンデスカコレハ」
唖然として思わずカタコトになった独楽を見て、信太や若利に天津、小夜を始めたとしたイナカマチ区画の者が手を振った。
「お、出て来たぞ」
「独楽さまー」
大変元気そうな様子の面々を見て、独楽は膝から崩れ落ちた。
やられた。
両手をついて頭を垂れながら、独楽は嘆く。
「こんなベタな手に……!」
「ふふん、天岩戸作戦だ。古くからの知恵だぞ、どうだ侮れんだろう?」
若利がカラカラ笑いながら、独楽の方へと近づいてくる。その手に握られているのは焼き立てアツアツ、ホッカホカのイカ焼きだ。食欲をそそる香ばしいタレの匂いが独楽の鼻腔をくすぐった。
「食うか? 美味いぞ、イカ焼き」
「大変美味しそうでございますがね……」
食べはしたいが、それよりも、穴が合ったら入りたい。そんな心境で独楽が答えると、若利は独楽を見下ろしながら尋ねる。
「なぁ、独楽。俺たちはそれほどに信用がないか?」
「え?」
独楽は思わず顔を上げ、聞き返した。若利の黒い目は真っ直ぐに独楽を見つめている。
「信用がないか?」
「いえ、そんな事は……」
「それならば、きみは何故引きこもっている」
「それは……」
独楽は何とも言えない表情で言葉を濁した。どう答えるのが良いのか迷っているのだ。だが若利は、独楽が答えを言うより早く続ける。
「きみが獣人だろうが、何だろうが、そんなものは些細な問題だ。それよりも、理由も言わずに引きこもったら心配するし、何より腹を空かしてひもじい思いをする方が問題だろう?」
若利はニッと笑うと、手に持ったイカ焼きを独楽に差し出した。
散々悩んできた問題を『些細な問題だ』と片付けられ、独楽は少しだけムッとしたように眉を顰めた。
「些細な問題ではありません。今のこの世界では獣人は――――」
「
僅かに怒気を滲ませた独楽の声に、若利は怯まないし引かない。そして『自分は』と繰り返した。
「困っていた俺たちを、きみは助けてくれた。それがすべてだ。それ以上でも以下でもあるか」
若利はイカ焼きを差し出したまま、はっきりとそう言い切った。独楽は困ったように視線を彷徨わせる。
「…………そういう問題ではないんですよ」
「ではどういう問題だ?」
「わたしは獣の姿になった時、理性を飛ばさぬ自信がありません。若様たちを食い殺さない自信もありません。――――それを分かっていて、わたしは黙っていたのです」
真頼に命を救われて以来、独楽は神雷について学んできた。使えるようになれば便利だと思ったし、真頼の役に立てると思ったからだ。
けれど理由はそれだけではない。神雷が使えるようになれば獣人の姿を見せなくても良いと独楽は考えたのだ。
本来獣人とは神雷とは真逆の存在だ。神雷のような摩訶不思議な自然現象を操る力ではなく、極めて物理的な在り方を得意とする種族なのである。そしてそれは獣の姿に近づけば近づくほどに本来の力を発揮する。
獣人は獣の姿に近づけば身体能力は飛躍的に伸びる。だが獣人は#継ぎ接ぎ世界__パッチワークワールド__#との相性が非常に悪く、獣の姿に近づくほどに獣人達は理性を保つのが難しくなる。完全に獣化すれば、理性を飛ばさぬように常に気を張っていなければ、ふとした時に隣にいた者を食い殺すだろう。
それ故にこの#継ぎ接ぎ世界__パッチワークワールド__#において、獣人は人々から疎まれていた。
だから独楽は神雷を学んだ。神雷の力があれば獣人の力を見せる必要がない、そう思った。
けれど実際にはそうそう上手くは行かなかった。独楽に向いていた神雷は守りのもので、攻める必要がある時には獣人の力に頼らざるを得ない時が度々あった。
それでも他の区画でならば良かった。定住するつもりもなく、直ぐにいなくなる場所でならば、幾ら疎まれても構わなかったのだ。
だがイナカマチ区画は違う。もともと真頼に仕えたいがために独楽はイナカマチ区画へとやって来たが、それ以上に独楽はこの区画が、この区画に住む人々の事が好きになっていた。
だから知られたくなかった。怖がる顔を見たくなかった。
好きになった人達に嫌われるのが、嫌で、嫌で――――たまらなく恐ろしかったのだ。
「――――俺たちは、独楽がそうならぬと信じておるよ」
若利の言葉に、独楽は何だか泣きたくなってきた。建前でも、同情でも、欲しかった言葉だったからだ。
素直にその言葉を信じられたら、きっと楽だろう。喉の奥にヒリヒリとした痛みを感じながら、独楽は力なく首を横に振る。
「………………それを裏切るのが、わたしには恐ろしいです」
独楽はそれを何度も経験している。信じて裏切られるよりも、信じられて裏切る事の方がよほど辛い事を独楽は知っている。
だから口を閉ざした。正体を知られまいと秘匿した。結果的にはこうして自らバラす事になってしまったが、そういう事態にならなければ独楽はずっと黙っていただろう。
そう言って項垂れる独楽に、若利は少しだけ肩をすくめてみせた。
「俺だって恐ろしいさ。――――俺の言葉が、イナカマチ区画の者達の人生を左右するかもしれぬことが、いつだって恐ろしい」
若利の言葉に独楽は思わず顔を上げる。
視線の先では、真頼と同じ黒色の目が、ほんの少しだけ伏せられてた。
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