第31話 伊達に酔狂 3

 夕焼けが地平線の向こうに沈んだ頃。

 空の端に橙色の名残が残る中、独楽はもぞもぞと布団の中から顔を出す。

 障子越しに差し込む明るい月の灯りに、そろそろ満月であった事を独楽は思い出した。


 外は夜にも関わらず、まるで昼間のように明るい。独楽は目を細め、布団から這い出すと、そのままずるずると壁際に向かった。そして壁によりかかると、背中越しにひんやりとした感覚が伝わって来て、独楽はふう、と息を吐いた。 


「思わず引きこもってしまいましたが、さて、この後どうしようか……」


 呟いて枕元に視線を送る。そこにはびっしりと文字の書かれた紙の束が積み上げられていた。

 紙に書かれているのは神雷の取り扱いや、練習方法だ。独楽は昨晩に引きこもってからずっと、ご丁寧に神雷結界を張ってまで中に人を入れずに――信太は例外ではあったが――ずっとこれを書いていたのだ。

 自分がいつ、イナカマチ区画を出て行っても良いように。


 昨晩、獣人である事を自らバラした時に、独楽はイナカマチ区画を出て行く事を考えていた。この世界では獣人に対する風当たりは強く、また、独楽自身も暴走などしない、と完全に言いきれないところがあったからだ。傷つけるならばその前に自分で出て行こう、独楽はそう思ったのだ。


――――という建前で。


 本当は、獣人である事を隠していた事が、ああいった形で知られてしまった事が、何よりも独楽には怖かった。


「信用して下さいなんて良く言えたもんだ……」


 自嘲気味に独楽は笑う。信用して欲しかった事は本当だった。だが、その信用の妨げになるからと、獣人である事を独楽は隠した。自分は信用して欲しいと言っておきながら、自分は信用しようとしなかった。その事を今になって自覚してショックを受けて――――その事に独楽はショックを受けた。合わせる顔もないと思ったのだ。


「とにかく、あとは神雷結界の烏玉にめいっぱい神雷を込めれば、しばらくは問題と思いますが……ああ、でも、うーん。それまでに使えるようにならなかったらどうしよう。忍び込む……?」


 口の中に、胸の内に、じわりと広がる苦い感情を振り払うように、独楽は心配事を挙げては一つ一つ潰していく。だがその度に、新しい心配事が産まれて、独楽は頭を悩ませていた。

 そしてそんな心配事と同じくらいに、気がかりだったのは信太の事だった。


「信太は……ここにいた方が良い気がするんですが、納得してくれるかどうか……」


 信太は人語を話す獣、という事で多少珍しがられてはいたものの、区画の住人達からは可愛がられている。

 イナカマチ区画の住人達は基本的には穏やかだ。ずっと神雷結界に守られていたせいで少々平和ボケはしているものの、区画内の人々の繋がりは強く、良くも悪くもお人良しだ。取っ組み合いの喧嘩はあれど、他所の区画のようにやれ殺傷沙汰だ、やれ毒殺だ、などという物騒な事が起こる可能性は低いだろうと独楽は考える。


 それに何より、神雷結界さえ上手く機能していれば他所の区画からのちょっかいはなく、平穏に暮らせるはずだ。

 獣人である事がバレやすい独楽との旅に付き合うよりは、ここで暮らした方が飢えもせず、楽しく過ごせるだろう。


「……そう言えば、昼過ぎから信太の姿を見ていませんね」


 独楽が周りをきょろきょろと見回した。

 もっとも昼間に追い払うような事をしたので自業自得ではあるのだが、いつもならば信太は独楽の直ぐ近くにいる。いつも一緒だったせいか、独楽は少し落ち着かないらしく、ソワソワし始めた。


「探しに、というか謝りに……ああ、いや、若様達に見つかりたくないし……いや、でも……」


 独楽がぶつぶつと思案していると、ふいにどこからか良い香りが漂ってきた。香ばしい焼きそばの匂いだ。反射的に独楽の鼻はくん、と動いた。


「ああ、そうか。今日は夏祭りでしたか」


 納得して独楽は頷いた。そう、今日は夏祭りだった。信太は――独楽自身もだが――久しぶりにお祭りを大分楽しみにしていたはずだ。


「私が引きこもっているので、小夜ちゃんか若様あたりが連れて行ってくれていますかね」


 そう考えて、独楽は少しほっとした表情になった。そしてその後で少し目を伏せ、布団の脇に置いた錫杖に手を伸ばす。


「夏祭り、夏祭りかぁ……」


 手に持った錫杖の烏玉に僅かに神力を込めれば、チカチカと輝き、まるで線香花火のようにほうっと光が灯る。その灯りが借りたままの真頼の浴衣を照らした。


「……行きたかったな」


 ぽつりと呟く。一夜の内に色々あって、色々やらかして、周りの反応が怖くて引きこもった。それは全て自業自得であると独楽も理解はしているが、それでもついつい言葉が口をついて出る。


 独楽も夏祭りを楽しみに、それはもう楽しみにしていたのだ。最後にお祭りに行ったのは、もう五年以上前の事である。目を閉じれば瞼の裏で、橙色に輝く出店の灯りが浮かぶようである。

 独楽は唸って、項垂れた。


「あーあーあーあー、何かもう、本当に阿呆かわたしは。……あと、お腹がすいた……」


 部屋の中に美味しそうな焼きそばの香りが広がる。そこにさらに焼きトウモロコシやイカ焼きの匂いも混ざり始める。空きっ腹に大打撃である。独楽は腹を押さえて「うぐう」と呻いた。


「何でこんなに良い匂いするんですかね……」


 夏祭りは広場で行われるため、近くに屋台はないはずだが。

 風に乗って漂ってきているのだろうかと独楽が空腹に耐えていると、今度は障子戸の隙間から、何やら黒い煙がモクモクと隙間から部屋の中へ入って来るのが見えた。


「は――――」


 黒い。

 煙。

 独楽の表情が固まった。一瞬真っ白になった頭に浮かんだのは火事である。

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