第22話 東雲の商人と夏祭りの準備 1

 夏と言えば祭りだ。そんな感覚を、独楽は久しく忘れていた。


「そう言えば、夏祭りをやるぞ」


 屋敷の縁側で、テトテトと駆けまわる信太を見ながら独楽が若利と天津の三人で並んでお茶をすすっていると、若利がそんな事を言い出した。

 夏祭りと聞いて、独楽と天津は湯呑を下ろして若利を見みる。


「夏祭りですか?」

「うむ。今まではリベルタ区画からの襲撃に備えて控えておったが、独楽のおかげで一時的に結界の機能が戻ったからな。そのお祝いも兼ねて、だ」


 若利は楽しげに頷いた。確かにリベルタ区画が襲って来る危険がある中では、呑気に祭りも出来ないだろうな、と独楽は思った。


「元々この辺りは季節ごとに祭りを行っていてな。春ならば春祭り、夏ならば夏祭りといった具合に。打ち上げ花火のような大きなものはさすがに上げられんが、出店を出したり、踊ったりと、なかなか賑やかだぞ」

「ほほう、それは楽しみですね」


 楽しそうな祭りの様子を聞いて独楽の顔が緩んだ。

 お祝いと若利は言っているが、恐らくは今までに緊張続きだった住人達の気晴らしの目的もあるのだろう。

 話を聞いていた天津も顎に手を当てて、しみじみと頷く。


「ふぅむ、祭りでござるか。某もしばらくぶりでござるなぁ」

「同じく。わたしもお祭りなんて、もうずいぶん参加していないですねぇ。イカ焼きとか、焼きそばとか、食べ物の屋台ってたくさんあるんですか?」


 そわそわして独楽が聞くと、若利は苦笑した。


「きみは花より団子派か」

「ふっふ。当然ですよ、お祭りの食べ物って妙に美味しいですからね! これはたんと食べないと……ねぇ甘栗さん?」


 独楽が同意を求めるように声を掛けると、どうやら天津には聞こえていないようだった。ぶつぶつと呟きながら何やらにやけている。


「夏祭り……女子の浴衣姿……最高でござる」


 天津がうっかり口にした言葉に独楽が半眼になる。若利もスッと笑顔のまま扇子を開いた。


「夏祭り中、甘栗はあまり区画の者に近づかぬように。主に女子に近づかぬように」

「し、下心などないでござるよ!? 女子の浴衣姿とは神聖なものでござる。 ゆえに、ゆえに! 某はただ! 眺めて! 全力で愛でたいだけでござる!」


 動揺の余り口走った言葉が、ある種の信用をガラガラと崩していく。天津が弁解すればするほどに、彼はずぶずぶと泥沼にはまって行った。


「愛でる」

「ご安心を、若様。何かあったら結界まで殴……吹き飛ばします」

「今殴るって言い掛けなかったでござるか!?」

「ご安心を、空耳です」

「安心できないでござる! ち、ち、違うでござる! これは崇拝に近い感情であって、決して下心など……! 決して下心など……! 信じて下され若様、独楽殿ォォォ!」


 天津の叫び声が木霊する。そのまま天津はガクリと地面に手を突き、項垂れた。そんな彼に信太がテトテトと近寄り、慰めるようにその手にポンと前足をかけた。


「まぁそれはそれとして、確かに浴衣は良いですね、見ていて華やかなので好きですよ」 


 特に女子の浴衣姿は素晴らしい、などと独楽は呟く。言っている事は天津と大差がなかった。天津が恨みがましい目で独楽を見るが、独楽は口笛を吹いて気付かないフリをする。


「浴衣……そう言えば、独楽さまも浴衣、着るです?」


 天津を慰めていた信太が、ちょこんと首を傾げて独楽を見上げた。独楽は目を瞬くと「ないない」と軽く手を振った。


「着ませんよ。持ち合わせがないですし、普段着が着物(これ)なので、あえて浴衣を着る必要性もないでしょう」

「ほう」

「ほほう」


 すると、若利と復活した天津がニヤリ、と笑い合った。何やら含んだ笑顔である。

 明らかに怪しい二人の様子に、独楽は不審そうに目を細める。


「何ですかその顔は」

「いやいやいや、何でもないぞ、気にするな。のう甘栗」

「ええ若様、何でもないでござる。まったく何でもないでござる」


 口を揃えて「何でもない」と言う二人であったが、どう見ても「何かある」様子である。独楽がむむ、と睨む中、若利と天津は誤魔化すように「はっはっは」と笑った。

 だが幾ら睨もうが答えるつもりはないようだ。結託すると面倒な、などと思いながら独楽は諦めたようにため息をついた。

 ちょうどその時、


「若様ー! お客様ですー!」


 と、小夜の呼ぶ声が聞こえた。声のする方を三人が向けば、小夜が何やら胡散臭い笑顔を浮かべた小柄な中年男性を連れて来るのが見えた。


「誰だ?」


 小夜と一緒にいる人物に心当たりがないようで、若利は首を傾げる。その隣では独楽が「ふむ」と顎に手を当てた。


「あの鞄についている雲と星を描いた紋章は……東雲の商人ですね」

「ほほう、この距離で良く見えたな」

「目と鼻は良いんですよ」


 若利の褒め言葉に、独楽はちょっと照れながらフフン、と自慢げに胸を張った。


「……東雲の商人」


 ふと、その隣では天津が嫌そうにそう呟いた。


「どうした、甘栗?」

「某は商人は好かんでござるよ。金で何でもする輩は、金で平気で裏切るでござるからな」


 剣呑な眼差しで天津が言うと、どうやらその声は商人にも聞こえたようだ。

 商人は独楽達の近くまで来た商人は手を後頭部に当てて、


「ははは、これは手厳しい! 否定はしませんけれど」


 と笑って言った。否定しない、という所に独楽が目を丸くする。


「否定しないんですか?」

「まー事と次第によってはですねェ」


 悪びれず笑う商人は、そのままの笑顔でスッと胸に手を当てる。


「お初にお目にかかります、イナカマチ区画の区画主殿。私は東雲の商人で、名前をアガタ、と申します。どうぞお見知りおきを」


 そして名を名乗ると、深々と頭を下げた。

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