第857話 試食は私に任せて!
「Let's cook ダンジョン!」まで残り6日になり、”迷宮の狩り人”の進藤綾香はクランハウスのキッチンでマルオとそのパーティーを待っていた。
「マルオ君、早く帰って来ないかな」
「綾香、それってマルオが心配って訳ではないんでしょ?」
「うん。私が心配する必要ないじゃん。だって、ローラさんや花梨さん達が同行してるんだもの」
「そうよね。今じゃマルオに埋められない差をつけられちゃったし、なかなかダンジョンに行く機会も減ったわ」
綾香の話し相手になっている成美は少し寂しそうに言った。
昔は成美や晃も頻繁にマルオと一緒にダンジョンで探索していたが、今はポーラの補佐として各地のダンジョンやクランの運営に時間を多く割いている。
それゆえ、”迷宮の狩り人”で今でもガンガンダンジョンに出向いているのは死霊術士のマルオのパーティーぐらいなのだ。
綾香は調理士で奈美の弟の薬師寺研は薬士であり、DMU職人班の梶班長の妹の梶詩織は裁縫士だから、生産職の3人がダンジョンに行くことはない。
つまり、綾香が自分のクランが手に入れたモンスター食材を使おうとすると、必然的にマルオ達の成果に期待するしかないのだ。
「ただいまー」
「「おかえりー」」
「綾香のリクエスト通りに色々狩って来たぞ」
「待ってました! 見せて見せて!」
綾香はマルオのパーティーが帰って来たため、とびっきりの笑顔で両手を前に出した。
マルオはまあまあと綾香を落ち着かせながら、収納袋から綾香にリクエストされたモンスター食材をどんどんキッチンに出していく。
「いっぱい狩ったわね」
「そりゃ足りないって言われたら困るし、試食担当がいっぱい狩ろうってやる気になったから」
「試食は私に任せて!」
試食担当こと丸山花梨は自分の胸をポンと叩いて自信満々に言った。
マルオと結婚して名字が丸山になった花梨だが、マルオと結婚するならクランも一緒が良いと藍大に頼み、”楽園の守り人”の傘下にある”迷宮の狩り人”に移籍させてもらった。
秘密保持の宣誓は神々の前で行ったから、花梨が”楽園の守り人”で知った口外できない秘密は夫のマルオにも話せない。
こればっかりは伊邪那美に仕える家系なので仕方ないのだ。
その一方、晃と結婚した麗奈は産休中だが司のパーティーに所属しているので”迷宮の狩り人”に移る気はなかった。
晃も麗奈の意思を尊重しており、夫婦仲は決して悪くないと補足しておこう。
”迷宮の狩り人”の人間関係はさておき、マルオ達が狩って来た食材を一通り確認した後、綾香はてきぱきと使う食材を選んで料理を始める。
綾香の包丁捌きを見てマルオは感心した。
「すげえ。どんなに頑張っても俺じゃあんなに早く包丁を使えねえよ」
「何言ってんのよ。逢魔さんならもっと早くて繊細よ?」
「師匠半端ねえ」
「藍大は私が育てた」
「花梨さんって大人になるまで山梨県の秘境にいましたよね?」
綾香に痛い所を突かれてしまい、花梨は視線を逸らして鳴らない口笛を吹いて誤魔化した。
成美はこれ以上花梨をいじめても仕方ないと思い、花梨のために話題を変えてあげる。
「じっくり見てなかったから今気づいたけど、綾香って包丁を変えてたんだね」
「うん。『Let's cook ダンジョン!』に参加が決まってから、貯金を崩してアダマンタイト製の包丁にしたの。詩織のコネでDMU職人班の身内価格にしてもらったんだ」
「良いなぁ。お父さんもお母さんもその包丁欲しいって言ってた」
成美の両親は食堂を経営しており、月見商店街で”楽園の守り人”が卸した食材と”迷宮の狩り人”が狩って来た食材を使って料理している。
両親共に長い間料理をして来たこともあり、彼等も調理器具にはかなり拘りがある。
成美は実家に帰った時、両親からアダマンタイト製の包丁が欲しいと呟いていたのを綾香が使う包丁を見て思い出したのだ。
綾香が手に持つアダマンタイト製の包丁だが、DMU職人班が作っただけあって普通の包丁ではない。
ボタンを押すと包丁の形が代わり、出刃包丁、菜切包丁、柳葉包丁、牛刀包丁になる。
切る物に合わせてタイプを交換できるだけでなく、アダマンタイト製ゆえに切れ味も抜群だから調理士や料理人はこの包丁を欲しがる。
余談だが、DMU職人班に在籍している千春もこのアダマンタイト製の包丁を使っている。
藍大が持つミスリル包丁の次に優れた包丁なので、優れた腕を持つ調理士の千春が欲しがらないはずないのである。
量産できる代物ではなく数が限られているため、綾香がアダマンタイト製の包丁を割引価格で手に入れられたのは運が良かったと言えよう。
「成美のご両親も詩織に頼んで身内価格で購入できないか相談してみたら?」
「包丁もそうなんだけど、それ以外の調理器具とか食堂の設備や内装も考えないといけないから、頼んでも代金を払えないなんてことになっちゃいそうなんだよね」
「成美がプレゼントしちゃえば?」
「この前、バトルトレント製のまな板とメテオビーズ製のフライパンをプレゼントしちゃったから駄目かな。お父さんとお母さんは私になんでもかんでも買ってもらうと気が引けるみたいだから」
「頻繁にプレゼントすると娘に集るみたいで嫌がられちゃう訳か」
綾香は成美の言いたいことを理解してそれは仕方ないと納得した。
稼ぎでは今の成美の方が両親よりも上だ。
これは成美が冒険者の中でも上位のクランである”迷宮の狩り人”のクランマスターだから、常連客に支えてもらっている食堂よりも稼ぎが良いのは当然だろう。
それ自体は娘が立派に育ってくれたと成美の両親も喜んでいる。
だが、自分達が長年続けて来た食堂だからこそ、成美におんぶに抱っこなやり方で儲けたくないとも思っている。
親心と料理人としてのプライドを天秤にかけ、あれもこれも成美に準備してもらうのは駄目だと自分達を律した訳である。
成美の両親の食堂の話やモンスター食材の話、藍大の料理の話をしている間に綾香が料理を作り上げた。
「待ってたよ! さっきからずっと良い匂いだったから我慢するのが大変だった!」
お預けされていた花梨は試食の時間になって目を輝かせた。
やっと食べられると思えば自然とそうなってしまったようだ。
綾香が作ったのはオーカスカタフラクトの生姜焼きとディオメデホースのメンチカツ、ル・カルコルとピアサの合挽ハンバーグだ。
がっつりした肉料理が3つも並んでいるから、食いしん坊ズの花梨としてはもう辛抱できないというところまで来ている。
「さあ召し上がれ」
いただきますと花梨が我先にとがつがつ食べ始め、マルオやポーラ、成美は一足遅れて試食し始める。
審査員が藍大と舞、リルならば食いしん坊ズを肉料理で落とすべきという戦略なのだが、すごいスピードで食べる花梨が食べ終えてしっかり感想を言うまで綾香は緊張が解けない。
美味しい美味しいと言いながら食べてくれるのは嬉しいけど、綾香が聞きたいのは食いしん坊ズ視点での感想なのだ。
花梨は配膳された分をペロリと平らげた後、感想を待ち侘びている綾香の方を向いた。
「どれも美味しかったよ。美味しいお肉を食べてるって感じられて幸せだった」
「逢魔さん達ならどれが一番好みかな?」
「難しい質問だね。どれかに絞るのが勿体ないと思えるぐらい美味しかったから。でも、綾香ちゃんが藍大達に自分の肉料理で勝負したいって思うなら私はハンバーグを推すよ」
「その心は?」
「ハンバーグの日は食いしん坊ズのみんなが気合を入れるからね。みんな大好きなハンバーグで他の参加者に差をつけようよ」
花梨の意見を聞いて綾香は悩んだ。
ハンバーグが選ばれる予感は彼女自身もしていたのだが、他の参加者もハンバーグを作るのではないかと危惧しているからである。
逢魔家ではハンバーグが大人気なのはどの参加者も把握しているだろうから、仮にハンバーグ勝負になった時に自分が勝てるか心配になったのだ。
「今の私のハンバーグで勝てるかな?」
「食材調達なら任せろ」
「試食は私に任せてね」
「マルオ君も花梨さんもありがとう。ギリギリまで納得がいくハンバーグを追い求めるよ」
綾香はマルオと花梨の言葉を受けて覚悟を決めた。
「Let's cook ダンジョン!」当日までの間、綾香はひたすらハンバーグを作り続けた。
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