第583話 優勝したければモフらせろって言うつもりなんだ

 8月19日の日曜日、午前8時には藍大達はMOF-1グランプリの会場である代々木競技場の控室にいた。


 MOF-1グランプリに出場するペアだけがそれぞれに部屋を用意されており、出場者ではなく観客の舞達家族は来賓席を陣取っている。


 つまり、控室にいるのは藍大とリルだけということだ。


 他の控室には真奈やリーアム、結衣がそれぞれの従魔と呼び出されるまでの間は待機している。


『ご主人、ブラッシングして~』


「任せろ」


 リルは藍大に身を任せて甘えていた。


 そこには少しの緊張感も感じられず、リルはいつものリルだった。


 これが強者の正しい姿なのかもしれない。


『ご主人のブラッシングは気持ち良いね~』


「そりゃ良かった。うっかり寝ないように気を付けてくれよ?」


 寝落ちしてMOF-1グランプリに出られなくなったら、リルが出ると言ったのに残念な結末を迎えてしまう。


 それゆえ、気持ち良さそうにくつろぐのは良いけど寝ないようにと藍大は釘を刺した。


『大丈夫。ご飯だよって言われたら寝てても目を覚ます自信があるから』


「でも、ご飯だって起こされてご飯がなかったらリルは落ち込むだろ?」


『ご主人なら収納リュックに料理のストックを持ってるでしょ?』


「ちゃんと把握してるんだな」


『ワッフン、僕の五感は誤魔化せないよ』


「全くしょうがない奴め」


「クゥ~ン♪」


 リルは甘えるように鳴いた。


 ブラッシングを終えた後、藍大の膝の上に小さくなったリルが座る。


 今は周りに他の家族がいないから藍大に甘え放題であり、その時間をたっぷり満喫するつもりらしい。


 藍大とリルがのんびりしていると、控室のドアをノックする音が聞こえる。


「DMUの吉田です。中に入ってもよろしいでしょうか?」


「どうぞ」


「失礼します」


 志保は藍大の許可が下りると控室の中に入って来た。


 その目は小さくなって藍大の膝の上に座るリルに向けられている。


 リルはその視線に気づいて試しに体を振り子のように揺らしてみるが、志保の視線がそれにぴったり合わせるように動いた。


「何やってるんですか吉田本部長?」


「はっ、すみません。これがモフモフの罠なんですね」


「違いますね」


 言外にモフモフがいるから目を奪われてしまったと伝える志保に藍大は苦笑する。


「リルさん、撫でさせていただけませんか?」


『目線がいやらしいから嫌だ』


「そんな!? いやらしい目線なんてしてないですよ! 逢魔さん、信じて下さい!」


 リルにいやらしいと言われて志保は慌てて藍大に身の潔白を訴える。


 だが、現実は非情である。


「私はリルの主人なのでリルの言い分を信じます」


『会う度にモフラー度合いが増してるんだよ。それだけで僕にとっては危険人物だよね』


「そういえば掲示板でもモフランドで偶に目撃されてますよね」


「良いじゃないですか。モフモフは私の癒しです。私はモフモフのお腹に顔を埋めて深呼吸したりしないんだから健全ですよ」


『ご主人、やっぱりモフランドは危ない場所だよ!』


 リルは志保の発言に怯えて藍大の膝の上でプルプルと震えた。


 藍大はそんなリルを優しく撫でて落ち着かせつつ、志保にそろそろ本題に入ってもらうことにした。


「それで、ここに来たのはどういったご用件ですか?」


「用件は2点です。まず、本日のMOF-1グランプリで私が審査員長になりましたので、出場者の皆様の部屋を順番に挨拶して回ってます」


『優勝したければモフらせろって言うつもりなんだ』


「それも良いですねと言いたいところですが、私は公平に日本一のモフモフを決めますからズルは致しません」


 リルの言い分を聞いてそれを採用したい衝動に駆られるが、志保はモフ欲に溺れた駄モフラーではないからどうにか誘惑に耐えてみせた。


「それを聞いて安心しました。もう片方の用件はなんですか?」


「先程、探索班の等々力が秋田県の田沢湖ダンジョンの掌握に成功したと連絡がありました。これも逢魔さんのご指導のおかげです。ありがとうございました」


「おめでとうございます。あそこの”ダンジョンマスター”って爬虫類型モンスターだったんですか?」


「はい。報告によればヒュドラだったそうです」


 ヒュドラと聞いて藍大はゴルゴンがパイロヒュドラであることを思い出した。


 今は滅多に元の姿に戻らないので忘れかけていたが、メデューサスタイルがデフォルトではなく9つの頭を持つ深紅の蛇が元の姿だ。


 ゴルゴンはこれまでに大量の魔石を摂取して強くなっているが、元々のヒュドラだって決して弱くないはずなので藍大は大したものだと感心した。


「ヒュドラですか。等々力さんはよくテイムできましたね」


「等々力の従魔と探索班のメンバーが一丸となって戦った結果です。テイマー系冒険者用の掲示板で報告がありましたら、逢魔さんからもコメントを頂ければ幸いです」


「わかりました。と言ってもMOF-1が終わったらになりますが」


「そうですね。では、この後他の出場者の方々にも挨拶をしますのでこれにて失礼します」


 志保は用件を済ませて藍大達の控室を出て行った。


 それから3分も経たない内に再び控室のドアがノックされた。


「DMUの芹江だ。入って良いか?」


「茂? 良いぞ」


 声の主は茂だったから藍大は入室を許可した。


「藍大もリルも余裕そうだな」


「そりゃ緊張することもないだろ。記者会見の方が緊張した」


「まだ言うか。まあ、あの時は色々と掲示板のネタが多過ぎたから仕方ないっちゃ仕方ないが」


『・・・あの時は僕もサクラも若かったんだよ』


 リルが懐かしそうに言うものだから茂が真っ先にツッコむ。


「どっちもまだダンジョンができた時に生まれたとすれば4歳だろ」


「リル、絶対にサクラに同じことを言っちゃ駄目だからな」


『そ、そうだね。今のは僕の失言だったよ』


 リルは藍大に注意されて自分がうっかりしていたことに気づいた。


 年齢の話をサクラに聞かれていれば、リルはお仕置きされていたことだろう。


「ところで、茂はなんでここにいるんだ? 茂もMOF-1グランプリの審査員なのか?」


「いや、俺は出場する従魔の体調をチェックする仕事で呼ばれた。それぞれ主人が従魔の体調をチェックするから要らないと思うんだが、運営側としてはドーピングしてないかチェックするには第三者が対応すべきって話だ」


「なるほど。でも、今回の面子でドーピングする人いるか? 俺もそうだが真奈さん達だってありのままで出場するだろ」


 薄汚れたことをする三流モフラーならあり得るが、超一流のモフラーにドーピングの選択肢はないだろう。


 藍大だけでなく茂も同感のようで頷いた。


「だよな。ただ、万が一の事態があっても主催する週刊ダンジョン側には鑑定士がいないから念のため頼むってことだった。ここが最後だがリルは問題なしだ」


『茂も今日は胃の調子が良さそうだね』


「おっと、リルに鑑定され返されたか」


『ワフン。鑑定した者はその者からも鑑定されるんだよ』


 リルは得意気な様子で茂に応じた。


 鑑定合戦が終わったのを見て藍大も口を挟む。


「今日は平和で良かったじゃん」


「藍大達がおとなしくしてるだけでこんなにも俺の世界は平和になるんだ」


「俺がおとなしくしても第二第三の」


「言わせねえよ!? 何余計なフラグを立てようとしてんの!?」


 藍大がボケ始めると茂がすかさずブロックした。


 今日の茂は従魔達の体調管理をするだけの簡単なお仕事に従事したいので目がマジだった。


「落ち着けって。冗談なんだから」


「冗談じゃ済まなくなるから勘弁してくれ。それはそれとして、今日の番組で誰が前説やるか聞いたか?」


 自分にとって危険な話題を避けるべく、茂は別の話題を振る。


 藍大はこの話をされるまで前説の担当者に興味がなかったから首を横に振った。


「知らない。てか、前説ってADとか若手の芸人がやるんじゃないの?」


「それが驚くべきことにゲテキングがやってる」


「なんで?」


「雑食を布教しながら説明したいと買って出たらしい。希望する観客にはライトな雑食を提供するんだそうだ」


「雑食を広めようとする行動力がすごいな」


「それな」


 それから茂も退室して藍大とリルが寛いでいると、スタッフがノックしてから室内に入って来た。


「逢魔さん、リルさん、出番です!」


「リル、行くか」


「うん!」


 藍大とリルは気合を入れて会場へと移動した。

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