第384話 甘過ぎないところがポイント高いぞ

 翌日の土曜日の午前9時半になると、茂が志保を連れてシャングリラの102号室のインターホンを押した。


「おはよう。俺だ。入って良いか」


『今開けるからちょっと待っててね~』


「リルか。すまん、頼んだ」


 インターホン越しの会話相手がリルだとわかると、志保が目を丸くした。


 そのすぐ後に玄関のドアが開き、中にはリルがいた。


『いらっしゃい』


「おはよう、リル。おじゃまします」


「おはようございます、リルさん」


『おはよ~』


 リルが茂と志保を連れてリビングに行く。


 志保はリルの可愛さにグッと来るものがあったが今日の訪問の目的を思い出してどうにか堪えた。


 リビングに移動すると、藍大と舞、サクラ、ブラドが待っていた。


 それ以外のメンバーは別室で待機しているらしい。


「おはよう、藍大。朝早くから悪いな」


「おはよう。社会人なら動き出してる時間だから構わないさ。茂、そちらの女性がそうなのか?」


 藍大が挨拶のきっかけを作ってくれたので、志保はすかさず自己紹介をした。


「お初にお目にかかります。この度DMU本部長に就任しました吉田志保と申します。本日はよろしくお願いいたします」


「こちらこそよろしくお願いします。どうぞ、席に座って下さい」


「失礼します」


 藍大に席に座るように言われて志保はマナーに気を遣って座った。


『ご主人、コーヒー持って来たよ』


「ありがとな、リル。助かったよ」


「クゥ~ン♪」


 リルが<仙術ウィザードリィ>で人数分のコーヒーを用意してくれたので、藍大はリルにお礼を言って頭を撫でた。


 嬉しそうにされるがままにされるリルを見て、志保は自分もリルの頭を撫でてみたいと思ったが頑張って堪えた。


 リルが小さくなって定位置藍大の膝の上に飛び乗ると、志保はリルをぼーっと眺めている場合じゃないと気持ちを引き締めて再び口を開いた。


「先日は逢魔さんと”楽園の守り人”の皆様の事情を考慮せずに頼み事をしてしまい、誠に申し訳ございませんでした。私も女ですので、産休中の女性に仕事を依頼するような判断は間違っていると思っております。今後は私が政治家の言いなりにならず、皆様を不快にさせるようなことはしないと約束いたします」


 志保は自分が女性であることを活かし、自分がもしも奈美の立場だったらどう思うかという観点を切り口に謝罪と約束をした。


「流石にその謝罪だけで信用するのは難しいです。約束と言いましたが、それは今後のDMUの対応を見て判断させていただきます」


「ありがとうございます。もう一度チャンスを頂けるだけで十分ありがたいです。今度は皆様の信用を裏切らないように尽力します」


「私もわざわざDMUと対立したいとは考えてません。ですが、私は私の家族や仲間を都合の良い駒扱いされた時は抵抗します」


「DMUに隕石が落ちてくるかもしれないから気をつけてね」


「もしかしたら建物がバラバラになるかもしれないのだ」


「・・・そうならないよう気をつけます」


 サクラとブラドの発言を聞いて志保はゴクリと唾を飲み込んでから答えた。


 サクラならば<運命支配フェイトイズマイン>で狙った場所に隕石を墜落させることはできるし、ブラドならば<解体デモリッション>でDMU本部をバラバラにできる。


 茂はこれは本気マジだと思いながらどうかサクラとブラドの発言が現実にならないようにと祈った。


 サクラもブラドも直接手で触れずにDMU本部をどうにかできてしまうから、極端なことを言えばDMUを壊してもサクラやブラドがやったとは断定できない。


 ブラドの場合はアリバイからやったかやっていないか強引に判断することはできるだろうが、サクラの<運命支配フェイトイズマイン>はサクラが家にいながら他所で隕石を降らせることができるからアリバイも完璧だ。


 藍大がサクラとブラドにそこまで過激なことを許可しないだろうとは思っても、それが絶対起こらないとも言えないので茂はサクラとブラドに早まらないでほしいと祈るのは当然のことと言えよう。


 今の空気をどうにかするべく、茂は秘密兵器とっておきを取り出すことにした。


「藍大、まずは挨拶と謝罪が先だと思ったから順番が後になったんだが、千春からみんなで食べてくれってクッキー貰ったんだ。良かったらどうだ?」


「「『食べる!』」」


 茂の提案に食いしん坊ズがノータイムで反応した。


 これには藍大もやれやれと困った笑みを浮かべた。


「それはありがたい。今皿を」


『出したよご主人』


「ありがとう、リル」


『ワフン』


 藍大がクッキーを入れる皿を取り出すために立ち上がろうとすると、リルが<仙術ウィザードリィ>を駆使して食器棚からクッキーを入れる皿を取り出してテーブルの上に乗せた。


 千春の料理の腕前は知っているので、リルは早く食べたくて仕方ないのだろう。


 仕方のない奴めと藍大はリルの頭を撫でた。


 秘策千春のクッキーが見事に決まり、この場の空気がかなり和らいだ。


 これには志保も心の中で茂の機転にサムズアップしたに違いない。


「美味しい!」


『ジャムクッキーも良いね!』


「甘過ぎないところがポイント高いぞ」


「喜んでもらえたようで良かったよ」


 藍大は食いしん坊ズが嬉しそうにクッキーを食べているのを見て安堵した茂に訊ねた。


「確かに美味いな。ジャムも手作りなのか?」


「そうらしいぞ。ジャムから拘って作ってたから」


「なるほど。今度シャングリラ産の果物を使って作ってみようかな」


「それ良いよ藍大!」


『ご主人、今度と言わず今日のおやつにしようよ!』


「吾輩は今日でも一向に構わんのだ」


「今日のおやつは今食べてる千春さんのクッキーだ。クッキー作るなら明日だな」


「藍大、明日は千春もオフだから一緒に遊びに来ても良いか? 多分、今日の話したら突撃すると思う」


「良いぞ。クッキーのお礼だ。使えそうな果物用意して待ってる」


「サンキュー」


 クッキーのおかげでこの場の雰囲気が明るくなっただけでなく、気づいたら茂と千春が明日シャングリラに行く約束が取り付けられた。


 志保はこの状況の変化に付いていけずにこれが”楽園の守り人”なのかと戦慄した。


 志保が今までに担当した顧客や関係企業のどれにも類似のケースがなかったため、どうしたものかと困ってしまった訳だ。


「ところで、職人班の人達息してる?」


「ちゃんと仕事はしてくれてるけど目が据わってる」


「やっぱり? 梶さんの妹からお兄ちゃん元気ないけど何か知りませんかって訊かれてさ」


「あぁ、お隣さんだもんな。すまんな、親父が変なことを言ったせいでいらん迷惑をかけた」


「次はこんなことがないと良いんだけどな。とりあえず、謝罪は受け取ったから素材はまた出すよ」


「助かる。たった3日間でも職人班にとっちゃかなり落ち込んでたんでな。妖怪レア素材置いてけみたいになってるんだ」


 茂は”楽園の守り人”からの素材が手に入らなくなったことにより、職人班の屈強な方々からシャングリラ産の素材はまだかと督促された。


 藍大のパーティーがシャングリラダンジョンの探索をせずとも、司のパーティーと未亜のパーティーが探索するから基本的に毎日シャングリラ産の素材がDMUに届いた。


 それが3日間も届かなくなれば、職人班が妖怪レア素材置いてけになるのも不思議ではない。


 その後、志保から新しいDMUの体制について説明を行い、特に不明点や指摘がなかったから志保の新任挨拶と謝罪訪問は無事に終わった。


 シャングリラを出た後、本部長付の運転手が車で茂と志保を迎えに来たので2人はそれに乗った。


 車に乗った途端、志保は大きく息を吐き出した。


「はぁぁぁぁぁ。疲れましたぁぁぁぁぁ」


「お疲れ様でした」


「芹江さん、正直に答えて下さい。逢魔さんは私のことをどう思っているでしょうか? あんまり手応えがなかったんですが」


「元本部長の後任が来たぐらいの興味しか抱いていないでしょうね。ですが、今日の所はマイナスの心証を0に戻せただけ上等です。これから信用してもらえるように振舞うしかありませんよ」


「そうですね。結果だけ見れば心象の改善とレア素材の売却再開に成功したんですから良しとしましょう。それと・・・」


「それと?」


 わざわざ溜めて言うものだから、茂は志保が重要なことを言うのではないかと唾を飲み込んで覚悟を決めた。


「リル君可愛い過ぎです。反則じゃありません? 今日の短い時間だけでもどれだけ頭を撫でたくなったでしょうか。10回ぐらいですかね」


「・・・挨拶と謝罪に集中しましょうよ」


「私、滅茶苦茶我慢するのを頑張りました。クタクタになって帰宅した時にリル君に出迎えてもらう妄想まで思い浮かびましたが、それでもどうにか顔に出さないよう踏み止まりました。芹江さんはリル君を見てなんとも思わないんですか?」


「可愛いものには耐性があるからですかね」


 茂の言う可愛いものとは勿論千春のことである。


 小動物のように可愛い千春といつも一緒にいれば、リルの可愛さにも我慢できるというものだ。


 DMU本部への帰り道、茂は志保が可愛い物好きであるという事実を延々と突き付けられたのはここだけの話である。

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