第383話 胃薬を切らさないことです

 金曜日の午後、茂は本部長室で志保新本部長と引継ぎや明日の打ち合わせを行っていた。


「以上がビジネスコーディネーション部長の仕事です。芹江さん、何か質問はありますか?」


「とりあえず、私は第一課長と第二課長にそれぞれの課のことを任せて”楽園の守り人”の支援にリソースを割いて良いという理解で合っておりますか?」


「おおよそその認識で問題ありません。ただし、第一課と第二課から上がって来る報告に目を通し、気になる点があったらそれぞれの課長に訊いたり私に報告して下さい」


「わかりました」


「他はどうですか?」


「今のところは大丈夫です。何かあればその都度確認させて下さい」


「勿論です。では、引継ぎはここまでとします。次は明日の挨拶についてですね」


 引継ぎは滞りなく進んだが、茂にしても志保にしても重要なのは明日の挨拶の方だ。


 藍大の茂に対する印象は良好だ。


 これは幼馴染のアドバンテージであり、茂が苦労していることを藍大は理解しているからだ。


 藍大にとってDMUの中で印象が良いのは茂と職人班ぐらいなのが現状なので、明日の挨拶でどれだけDMU全体の印象を良くできるのかが志保に懸かっている。


「吉田さん、そのつもりはないと思いますが間違っても藍大に色仕掛けとかしないで下さいね?」


「わかっています。逢魔さんに色仕掛けなんて無謀も良いところです。舞さん達にタコ殴りにされたくありません。やろうと思えば私に手を触れずに殺すことぐらいできますよね?」


「藍大がそれを許すはずありませんが、できるできないで言えばできるでしょうね」


「私にそのつもりがなくてもどう捉えるかは相手次第ですから、肌の露出が少ないザ・真面目な服装にします」


「それが無難だと思います」


 まず注意すべきは志保が女性であるということだ。


 前本部長は妻帯者の男性だったから藍大に対して色仕掛けをするなんてことはあり得なかった。


 しかし、志保は未婚の女性なので服装や言動によっては藍大に色目を使っていると思われなくもない。


 既に藍大には5人の嫁がいるのにもかかわらず、身の程を弁えずにモーションをかけていると思われたら舞とサクラからの心証は悪くなるに違いない。


 この2人を重視するのは色目を使っていると判断をするのは藍大ではなく、明日の挨拶に同席するであろう舞とサクラである。


 第一印象が最悪の場合、その後の話で印象を向上させるのは相当難しい。


 それゆえ、茂も志保も明日の志保の服装は肌の露出が少なくするべきという結論に至った。


 志保は元々民間企業出身であり、そこからDMUのビジネスコーディネーション部に転職した。


 この部では外部の人間とも交流が多いため、パーティーのようなイベントによっては少し攻めた衣装も志保は着てみせる。


 志保はキツめな印象ではあるものの整った顔立ちでスタイルも悪くない。


 そうだとしても、舞やサクラと比べれば霞んでしまう。


 下手に色仕掛けを仕掛ければ身の程を知れとサクラが何をしでかすかわからない。


 舞もキレたら怖いけれど、サクラの場合は藍大の障害になる者は排除することも厭わないので命が惜しければ色仕掛けはしない方が良いのだ。


「他に注意すべきところはありますか?」


「胃薬を切らさないことです」


「メンタルの強さには自信がありますが、逢魔さんは理不尽に怒る方なんですか?」


 池上元ビジネスコーディネーション部長の部下だった頃、志保は彼女としょっちゅう衝突していたので怒られることには慣れている。


 だからこそ、藍大がキレやすいぐらいならばどうってことないと思った。


「そうじゃありません。藍大は私に対して理不尽にキレることはありません。私が言いたいのは、狙う狙わないを問わず色々と新発見を齎すので正直胃が痛くなることばかりです」


「そっちですか・・・」


「そっちです。勿論、嬉しい悲鳴な時が多いです。しかし、早めに知っておくべき聞きたくない情報を知ることもあります」


「例えばどんなことでしょうか?」


「過去の事例を挙げるならば、ダンタリオンがC国DMUの元本部長に成り代わっていたと見抜いたとかですかね」


 茂は過去に起きた話の中で大変だったものをピックアップして告げた。


「なるほど。速やかに把握して対処しなければならないことですが、確かに聞きたくない類の話です。あの時は国内の要人がモンスターに成り代わられているか芹江さんと逢魔さんが協力して調べてましたね」


 志保も茂の話を聞いて当時のことを思い出した。


 当時の志保はビジネスコーディネーション部第二課長であり、国内の要人と直接の関わりを持つことはなかった。


 ところが、DMUに来る前に働いていた民間企業で知り合った要人が志保経由で鑑定を先に済ませてくれないかと話を持ち込んでくることがあった。


 あの時は志保のコネで順番抜かしなんてさせられる状況ではなかったので、その要人をキレさせずに順番を待つよう伝えるのに苦労したものだと懐かしく思った。


「はい。臨時収入が貰えなきゃ二度とごめんだと思うぐらい延々と人の鑑定をしていましたよ」


「お疲れ様でした。それでは、嬉しい悲鳴の方はどんなものがありましたか?」


「嬉しい悲鳴の方ですと、日本や冒険者に益を齎す発見が多かったです。ここ最近のことであれば、オファニムフレームの素材の提供ですね。あれのおかげで職人班が作った武器は民間企業を突き放しました」


 藍大が秘境ダンジョンで手に入れたオファニムフレームの素材は大量にあり、職人班に舞が使うケルブシールドを作ってくれと依頼したこともあって職人班はオファニムフレームの素材で試行錯誤した。


 その結果、オファニムフレームの魔眼系アビリティを宿した武器や防具の作成に成功し、DMUの武装は三原色クランのグループ企業の販売する武装と大きく差をつけることになった。


 あの時は茂も職人班からもっとオファニムフレームの素材はないのかと詰め寄られて大変だったことを覚えている。


「確かにオファニムシリーズは優秀な作品でした。職人班が活躍できるのも偏に逢魔さんのおかげなんですね」


「その通りです。他にも、覚醒の丸薬やポーション等も”楽園の守り人”の協力がなくては他国に先んじて広まることはなかったでしょう」


「その覚醒の丸薬が問題でもあるんですがね。実際のところ、”楽園の守り人”は覚醒の丸薬をこれ以上作って売るつもりはないんですか?」


「先方の事情も考えずに政治の道具にされるのが嫌なようです。ゴッドハンドが産休に入っているのにも関わらず、それを考慮せずに依頼しようとした板垣総理と元本部長にかなりお怒りでした。シャングリラの敷居を跨がせることもないし、謝罪の動画も見れば受け取ったと思われるだろうから絶対に見ないとのことでした」


 そこまで聞いて志保は額に手をやった。


「・・・本当にそんなことになっていたんですね。総理も元本部長も馬鹿なんですか?」


「馬鹿なんでしょうね。現場の者を駒としか見ていないからこそそうやってるとしか思えないです」


「総理が現場を知らないのは百歩譲って良いとして、元本部長がそれじゃ駄目でしょう」


「私が藍大の幼馴染だから問題ないと安易に考えていたようです」


「親しき中にも礼儀ありです。これは困りました・・・」


 志保は潤から引継ぎで聞いた事実に裏があるのではないかと思っていたが、裏なんて何もなくて本当に板垣総理と潤がやらかしただけだと知って志保は頭が痛くなった。


 悪いのは自分達だからどう考えても心象はマイナスからのスタートである。


 その前提でトップが代わって挨拶するというのだから、藍大の心象をマイナスから0に戻すところから始めなければならないので頭が痛くなるのも当然だろう。


 茂は志保の思考が変な方向に行かないように誘導することにした。


「吉田さん、ひとまず総理の言いなりにならないことを約束してはいかがでしょうか。冒険者を管理して依頼を出すのがDMUですが、冒険者を守るのもまたDMUの役目です。DMUの方針が変わったとアピールするにはそれが良いと思います」


「そうですね。元本部長とは違うとアピールして心象を少しでも回復しましょう。芹江さん、元本部長達のミスの後、”楽園の守り人”から探索の成果物はDMUに売ってもらえましたか?」


「3日間保留されたままです。雑談には応じてくれますが、素材の販売の話はできておりません」


「ならば”楽園の守り人”はDMUの生命線ですしそちらも誠心誠意お願いすることにします。謝罪の内容について詰めましょう。逢魔さんの嫌いな言葉がないか教えて下さい」


「わかりました」


 茂は志保ならば潤のミスを取り返せそうだと安堵した。

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