第221話 リル、真奈さんが諦めることを諦めろ

 翌日の月曜日、朝一番で藍大のスマホに電話がかかって来た。


 藍大が家事をしていてスマホを置き去りにしていたため、舞がそれを取って藍大に手渡した。


「藍大、スマホ鳴ってる~」


「今出る。誰から?」


「真奈さん」


「マジか」


 スマホに表示された名前を見て藍大の心がざわついた。


 リルの天敵にして最近では向付後狼さんという二つ名で呼ばれる彼女の名前は、藍大が応答ボタンを押す前に深呼吸させるには十分過ぎるインパクトがあった。


 深呼吸してからボタンを押すと、藍大の予想とは打って変わって真剣な声がスマホを通して聞こえて来た。


『逢魔さん、朝早くからごめんなさい。緊急の用事なんです。今大丈夫ですか?』


「大丈夫ですけど緊急って何事ですか?」


『兄が大怪我で意識不明の重体なんです。ダンジョンの12階のフロアボスにやられてしまいまして』


「真奈さんと三島兄妹は無事なんですか?」


三島兄の方が全身打撲ですが、私と三島妹は無傷です』


 ”レッドスター”の1番隊は前衛2人が後衛2人を守って怪我を負ったらしい。


「最悪の事態じゃなくてホッとしました。それで、私に用事とはなんでしょうか?」


『サクラさんの力で兄を治していただけませんか? 過去に八王子の病院で植物状態の患者を治したことがあると北村教授から聞いてます』


 真奈は以前八王子の病院で山上晃の母親をサクラが治療したことを把握していた。


 その情報があったからこそ、兄を助けてもらうべく朝から藍大に連絡したのだろう。


 (北村教授が教えたのか・・・)


 北村も晃の母親の件は秘密にしておくと言っていたが、真奈が北村を頼ったことでサクラのアビリティについて話してしまった。


 誤魔化せないレベルまで調べ込まれれば、藍大としても否定できない。


「やれやれ、北村教授はいつだって教え子の味方ですね」


『どうか北村教授を責めないで下さい。私が無理を言って教えてもらったんです。お願いできませんか? お礼は言い値で払います』


「勿論、北村教授が真奈さんを信用して伝えただろうことはわかってます。ひとまず誠也さんの状況を見て判断します。誠也さんは今どこですか?」


『横浜の自宅です。私達の自宅はこのような時に備えて医療設備もばっちりです。今からお越しいただけますか?』


「わかりました。準備をして向かいます」


『ありがとうございます!』


 藍大は電話を切った。


 その時には既に舞達が外出の準備を済ませて待っていた。


「行くんでしょ?」


「そういうことになった。サクラ、お願いできるか?」


「主がそう望むなら」


「アタシも行くんだからねっ」


「私も行くです!」


「よし、行こう。リル、横浜まで頼んだ」


『うん!』


 藍大パーティーはこの後すぐに横浜の赤星邸に向かった。


 ゴルゴンとメロ連れて行ったのは、状態異常への備えといざという時にメロの<強欲グリード>頼みになる可能性があったからだ。


 リルの背中に乗って移動すれば、藍大達はあっという間に赤星邸に到着した。


 藍大がチャイムを鳴らすと、真奈が大慌てで玄関から飛び出した。


「お願いしたとはいえ早過ぎません? いえ、こちらにとってもありがたいことなのですが」


「余計な詮索は無用です。とりあえず誠也さんの所に案内して下さい」


「わかりました」


 必要以上の手札は見せないと言われれば、真奈もそれ以上は訊けない。


 モフラーの勘でリルのアビリティによるものだとわかっていても、それを口にすることなく藍大達を誠也が寝ている部屋へと案内した。


 真奈が案内した部屋は病院の一室と言われても頷ける程の設備があり、誠也のみが生命維持装置を装着してベッドの上に横たわっていた。


 誠也は左腕と右脚を失っていた。


「これは酷いな。一体何と戦ったらこうなるんです?」


「私が持ち帰った映像データをDMUに提供したところ、ダゴンという”ダンジョンマスター”だとわかりました」


「ダゴンってあのクトゥルフ神話のあれですか?」


「はい。私の提供した映像データを鑑定した解析班の人は発狂したらしいので間違いないでしょう」


 (茂、俺達の専属になって良かったな)


 もしも茂が”楽園の守り人”係になっていなかったら、ダゴンの鑑定をして発狂していたかもしれない。


 無意識的にリスク回避ができているとは茂は優秀だと言えよう。


「その人は大丈夫だったんですか? というか真奈さん達は平気だったんですか?」


「発狂した後気絶したらしいですが、ほんの少ししか鑑定していなかったことが幸いして起きたら鑑定した記憶がすっぽ抜けてたそうです。私達は装備のおかげで酷い倦怠感程度で済みました」


「不幸中の幸いですね。さて、誠也さんの治療に移ります。言うまでもないと思いますが・・・」


「ここであったことは絶対に外には漏らしません。治った後の兄にも、逢魔さんが使い切りの回復アイテムを譲ってくれたと説明します」


「そうして下さい。何度も使える治療手段を持ってると広まるのは面倒ですから。サクラ、頼んだ」


「わかった。目覚めて」


 その瞬間、誠也の全身を優しい光が包み込んだ。


 サクラの<超級回復エクストラヒール>によって誠也の左腕と右脚が元通りになり、時間が進むにつれて誠也が目を開いた。


「ここは・・・」


「兄さん、目が覚めたんですね」


「真奈か。それに・・・逢魔さん?」


「逢魔さんがシャングリラで見つけたアイテムを使って兄さんを治してくれたの」


「・・・腕と脚がある。逢魔さん、本当にありがとうございます」


 誠也は横たわったままだが藍大に視線を向けて礼を言った。


「効果があって良かったです。体調はどうですか? 気分は悪くありませんか?」


「あのフロアボスに負けた悔しさ以外は大丈夫です」


「フロアボスじゃなくて”ダンジョンマスター”だそうですよ」


「あれが”ダンジョンマスター”ですか・・・。倒せるだけの自信が付いてもダンジョン崩壊は避けたいですね。逢魔さん、今度客船ダンジョンの存続に力を貸していただけませんか?」


「その話は誠也さん達が万全の状態になってからです」


「それもそうですね。わかりました」


 藍大が誠也と話している間に真奈が家の者を呼び、その後の対応を任せてから藍大達を応接室に連れて行った。


 応接室に入って座ると、真奈は改めて頭を深く下げた。


「逢魔さん、サクラさん、本当にありがとうございました」


「いえいえ。状態異常も今のところなさそうですが、ちゃんと調べて下さい。サクラは部位欠損を治せても状態異常までは治せませんので」


「わかりました。部位欠損を治せるだけでも十分すごいですけどね。サクラさんがいれば逢魔さん達は安心ですね」


「私がいる限り主達は常に五体満足」


「そうだな。頼りにしてるよ」


「エヘヘ♪」


 藍大に頭を撫でられてサクラは嬉しそうに笑った。


 真奈は頭を上げると報酬について話し始めた。


「逢魔さん、兄を治していただいた報酬ですが、おいくら払えばよろしいでしょうか?」


「どのぐらいが妥当なんでしょう? 正直、部分欠損による意識不明の重体を治療する適正価格がわかりません」


「普通は目覚めた後に義手と義足でどうにかしますが、世界で最先端の治療をして下さった訳ですし500万円でどうでしょうか?」


「500万円」


 舞にとっては間違いなく大金でポカンとした表情でそう言った。


「足りなかったですか? では1,000万円ではいかがでしょう? 無理を言ってサクラさんに力を使っていただいたんですし、これぐらいが妥当ですね。そうしましょう」


 舞は1,000万円と聞いて何も話せなくなった。


 藍大としては値段の吊り上げ交渉をするつもりはなかったが、秘密にしていたサクラの<超級回復エクストラヒール>を使うことになったのは事実なので1,000万円を受け取ることにした。


 小型のアタッシュケースに用意された1,000万を見て、幼女コンビは大興奮である。


「ドラマみたいだわっ」


「アタッシュケースです!」


「ゴルゴンちゃんとメロちゃんはテレビっ子なんですか?」


「テレビは面白いのよっ」


「グルメ番組も好きです!」


『グルメ・・・』


 グルメという言葉を聞いてずっとおとなしくしていたリルが反応した。


 食欲に忠実なリルである。


「リル君、お望みなら私が美味しい物ご馳走するよ!?」


『いらないもん!』


「あうっ、またしてもフラれた。でも、私は諦めない!」


『諦めてよ!?』


 (リル、真奈さんが諦めることを諦めろ)


 藍大は口にしなかったものの、真奈がリルを諦めることはないと心の中で確信していた。


 その後、用件は済んだので藍大達は赤星邸を出てシャングリラへと帰った。

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