伯爵令嬢としての来訪
今日は屋敷が少し慌ただしい。
俺が姉様以外の女性に興味を示し、婚約者として迎えるなど雨どころか槍が降ると使用人たちに噂されているのを聞いた。確かに珍しいかもしれないが普通に仲の良いご令嬢だっているし、幼馴染の一人は別の侯爵家の令嬢じゃないか。
納得がいかない。
不満を抱きながらも迎えに行くと約束したので、アルベルティナ殿下を王都のバルバストル邸へ迎えに行く。バルバストル家はジョエルと俺に全面協力してくれている。辺境伯である故の王家への忠誠心だ。安心感が違う。
迎えに来たことを門前の使用人に告げると一礼してから屋敷の方へと向かっていった。そうしてしばらくすると彼女はやってきた。
前回お会いした時とは少し質の落ちたドレスをあえて纏っている。完全に伯爵令嬢の普段の姿だ。変装というほどでもないが、あの気品を隠しているのはすごいと思った。
「ティナ、三日ぶりだね」
俺は婚約者らしく優しく微笑んだ。
「アンベール様、お待ちしておりました。本日はよろしくお願いします」
見事なカーテシーを披露し、俺の手を取った。エスコートされなれている動き方だ。そのまま馬車に案内する。
馬車の中では姉様の話題で盛り上がった。二人で頭の先からつま先、そして内面に至るまで姉様について論じていた。その話は大いに盛り上がり、がっちりと熱い握手を交わした。
同志の誕生だ。
アルカン邸に到着し、御者に少し残念そうな目で見られる。普通なら使用人失格の行為だが、彼とは気心が知れているのできっとわざとだろう。現にアルベルティナ殿下が馬車から降りてきたときはすました顔だったからだ。
まあ、間違いなく今日俺が彼女と婚約した理由は「姉様」だと知れ渡るだろう。そうすれば槍が降るなんて言われなくて済む。少しむかつくが姉様のための婚約だから嘘ではないのだ。
屋敷の外には既に姉様の姿があった。
今日は若草色のドレスを身にまとっていた。銀色の髪は腰のあたりまで伸びており、きらきらと輝きを放っている。朝露のようなきらめきだった。
こちらに気が付くと、カーテシーを行い周りに満開の花々が見えてくるような笑顔をこちらに向けた。隣で美しすぎますとぼそりと聞こえてきたが気にしない。
「ようこそいらっしゃいました。エリアーヌ・ディアナ・アルカンと申します。バルバストル令嬢がいらっしゃると弟から聞き、恥ずかしながら楽しみすぎて庭先まで出てきてしまいましたわ」
殿下もカーテシーを行う。その美しさに少し姉様は驚いていた。伯爵令嬢にしては十分すぎる所作だからだ。
「ティナ・マルヤ・バルバストルでございます。どうぞティナとお呼びくださいませ。私もアルカン嬢にお会いするのをとても楽しみにしておりました」
殿下は言葉を続ける。
「そして伯爵家の身分で侯爵家の方々に敬語を使われるのはあまりにも恐れ多いです。どうぞ普段通りのお姿をお見せくださいませ」
これは絶対姉様に他人行儀を取られるのが寂しいからだ。身分は絶対に言い訳だろう。
「まあ! 私もエリアーヌと呼んでほしいわ……それに私も堅苦しいのは好きではありませんからどうぞ楽にしてくださいまし」
と、まあこんな風に殿下と姉様は距離を縮めていった。妹が欲しかった姉様は自分になついてくれる殿下を大層気に入っていた。殿下も満足げだ。うん、それはそれは満足げだ。
姉様は一通り俺たちと話すと庭の案内を促してきた。みんな俺に庭先を案内させるのが好きだな。
殿下の手を取り、俺はゆっくりと庭先へと連れだった。姉様ともっと一緒にいたかったと今度は古代シャード語でつぶやいている。古代語もわかると伝えると大きな目はさらに大きくなっていた。
「古代語を認識している貴族は学者くらいですのに」
「言語学は好きなんだ。他にもワゴニア語、マライシャ語、古代ユメイラ語はわかるよ」
俺が姉様の次に好きなものは言語だ。言語を知ればその国の人と打ち解ける時間が少なくなるし、その言語の文法からわかる文化や環境を読み取るのが楽しい。そう彼女に説明すると素晴らしい心意気だとほめられた。
「今度私にも古代ユメイラ語を教えてくださいな」
「ああ、いつでも。俺でよければ」
庭にテーブルを用意してもらい、俺と殿下は紅茶を飲む。少しだけ古代ユメイラ語について話した。古代ユメイラ語は文字がそもそも特殊だ。円形がベースになった文字で構成されているため、円状文字と呼ばれている。
「ではあの円状文字の円の数と重なっている点によって文字を認識するのですね」
「そう。覚えやすい単語は神は〇で人間は●ということかな」
俺は紙に文字を書きながら殿下に説明していく。殿下は俺の話に興味津々だ。もしかしたら姉様の話よりも真剣に聞いているかもしれない――いや、それはないか。
「ジョエル殿下から聡明な方だとお聞きしていましたが……正直これほどとは思っていませんでした。初めて殿方と話していて時間を忘れました」
「それは嬉しい限りです」
俺たちは微笑みあった。
まるで本当に婚約者のようだ。
そよそよと風が足元をくすぐった。
ふわりと殿下の香りがする。俺はたまらずに目をそらしてしまった。まるで照れているようだ。
彼女といると少し自分が自分でないような気がする。
このふわふわした感覚が心地よくて恐ろしかった。
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