隣国の姫君
「私、現王太子殿下の所業に少々腹が立っておりますの」
まるで「なんときれいな花でしょう」と聞こえてきそうなくらい朗らかな表情で彼女は王太子を批判した。「現」とわざわざつけているところに怒りを感じる。
「ティナ、ここは王宮ですよ」
私は彼女をなだめる。一緒にいる俺まで断罪されてしまいそうだ。
『あら、あの詰まってない脳みそに敬意を払う価値なんてあるのかしら』
アルティーナ殿下はシャード語でにこにこしながら暴言を吐いた。
幸い、なのかどうかわからないが俺は少なくとも日常会話程度であればシャード語を使える。だから彼女の言ったことを一言一句逃さずに聞き取れてしまった。
『殿下、申し上げます。よほど彼よりも糞尿の方が肥料にできる分優秀でございますから』
少し独特の言い回しで王女への敬意を払いつつ、俺は賛同の言葉を返した。シャード語を操れる人は少ない。なぜなら俺たちの国テオフィランド王国の言葉が基本的にこの大陸の共通言語となっている。だからわざわざ隣国の言語を習得する必要がないのだ。
殿下は一瞬驚いた様に目を見開き、またあのにこやかな表情に戻った。
「私、あなたのお姉様、エリアーヌ様をお慕いしておりますの」
「ほう」
同志の登場に心が躍った。俺のほかに姉様の魅力を最大限に理解してくれている人物が目の前にいるんだ。
「それで今回のことに私協力させてもらえるように頼みこみましたの。そうするとジョエル様はアンベール様と必ず気が合うからと紹介に至りましたわ。今彼の言ったことが正しいとわかりました」
「今度私の屋敷にお越しください。姉に紹介するという形で素晴らしい時間を三人で過ごしましょう」
薔薇園に足を入れるよりも嬉しそうな顔をする殿下。わかっているお方だと多少不敬だが心の中でつぶやいた。
「それではうまくいけば私は合法的にエリアーヌ様とお友達……いえお義姉様とお呼びできるかもしれません」
輝かしい目でこちらを見つめる。宝石のような瞳がさらにきらきらとしていた。姉様ファーストの俺でも少しドキリとしてしまう。彼女は少し自分の破壊力を自覚した方がよいだろう。わざとらしく咳ばらいをして自分の世界に入り込んだ殿下を呼び戻した。
「それでは三日後お迎えに上がります」
俺は一応デートの約束を取り付け彼女と別れた。
♢♢♢
家に帰ると明らかに女性用の釣書を手に持った父が出迎えてくれた。俺はその内容を知っているから父にお受けしますと特に声色を変えずに告げる。
父は驚いた顔をした。俺が縁談を受けるなんてと顔に書いてある。まあ姉様の問題が解決すればいずれ解消されるだろう婚約だ。なにせ彼女は隣国の王女、俺と結婚するメリットがな――いや、あるかもしれない。彼女なら「お義姉様」と呼ぶために王女の身分なんてポイっと捨ててきそうだ。
そして、そういう部分を含めてやはり同志と呼びたい。
「アンベール、いつアルベルティナ殿下とお知り合いに?」
「今日です。ジョエル殿下にご紹介いただきました」
「だから王家の印がここについているのか……」
父はとても複雑な顔をしている。
「あぁ。そうだ。父上、三日後に殿下が屋敷にいらっしゃいます。ティナ・マルヤ・バルバストルとして」
「バルバストル? なぜ辺境伯の家名を?」
「ジョエル殿下の考えです。全ては姉様への特命を防ぐためです」
「なるほど、それで顔知れていない殿下を婚約者にしたのか」
父はその優秀な頭脳で今回の作戦を理解したようだ。父は急いで伯爵令嬢を迎える準備を行った。
俺は父から預かった釣書を書斎の見えやすい位置に置き、部屋を後にする。
そして姉様の部屋を訪れた。優しく部屋をノックすると、姉様はいつもよりラフな格好で出迎えてくれた。
「アンベール、どうしたの?」
「本日王宮で隣国のお菓子をいただきましたので、姉様とご一緒したいのです」
姉様はいつもと変わらない笑顔で俺にありがとうと言うと侍女に紅茶を入れてもらうように頼んだ。そう。いつもと変わらない笑顔なのだ。俺の前では常に優しい姉でいようとする。ただ俺よりも早く生まれただけなのに、少なからずあの王子を慕っていたはずなのに。
そして自分に名誉の死が待っているとわかっているはずなのに、いつも通りの姉様。
「まぁ、面白い食感ね。ふわふわしているわ」
「姉様……」
「ん? なあに?」
俺はその姉様の気遣いと優しさを踏みにじることはできなかった。俺は情けないが弱々しくお口に合ってよかったですと告げた。
「お母様から聞いたわ。釣書が届いたそうじゃない。今回はどうするの?」
「今回はお受けするつもりです。ジョエル殿下からの提案ですし」
「そうなのね!」
姉様は目を輝かせた。
「貴方が婚約を受けた方にぜひ会ってみたいわ」
「三日後屋敷に連れてきます」
本当は王女に対して連れてきますはだめだけど、今は辺境伯爵令嬢の設定だし、そもそもアルベルティナ殿下はそんな細かいこと気にしなさそうだ。姉様に会えるなら平民に呼び捨てにされても笑顔だろう。
「バルバストル伯爵令嬢です」
「あら? あそこにご令嬢はいらっしゃらないのでは?」
「第三妃殿下の妹の子どもだそうで、養子入りしたそうです」
「なるほどね。アンベールと婚約するためね!」
少し違うがそういうことだ。
「楽しみだわ。義妹も欲しかったのよ!」
「きっと仲良くなれると思います」
片方が何が何でも仲良くなろうとするからだ。
しばらく心地の良い沈黙が流れた。
「大好きよ、アンベール」
姉様はいきなり真剣な顔をして、俺を見つめる。
「私は貴方が幸せならいいの。貴方の幸せを願っているわ、心から」
姉様はそれだけ言うと俺を部屋に戻した。
姉様は寂しそうに、でも慈愛に満ち溢れた表情を浮かべていた。俺の脳みそにあの表情がこびりついて離れなかった。
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