第1話



 「ユーリー、起きな。もう朝だよ」


 カーテンを開いて、朝に弱い彼女に起きるよう促す。開いたカーテンから朝日が差し込むと、陽が彼女に直撃し、眩しそうに再び布団をかぶりなおした。


「んー・・・眩しいよ”ウィルさん”。カーテン閉めて」


 鬱陶しそうにそう言うと彼女、ユーリーはカタツムリにように丸まって臨戦態勢を取った。こうなってしまっては中々手強い。僕はそのカタツムリの殻である布団を掴むと、強引に引っぺがそうとする。しかしユーリーもかなり力を入れているのか、唸りながら布団を離さまいと、必死にベッドから出ようとしない。唸るほど力が入ってるんだったら起きればいいのに・・・


 「今日は朝から遺跡に行くんでしょ?」


 「今日は休むー・・・」


 「・・・はぁ、さっさと起きないとまたシェリンに蹴られるよ?」


 シェリンの名前を出すと、カタツムリがビクンとはねた。こういう時は彼女の名前を出すのが一番だ。


 「・・・わかった。起きる」


 そう言うと、もの凄いのっそりとした速度でユーリーはベッドから出る。朝が弱いのはいつものことだが、昨日は遺跡の資料を夜遅くまでずっと見ていたので寝不足気味なのだろう。いつもよりしぶとかった。




 「おはよう、ウィルさん、ユーリー」


 階段を降りると、台所ではシェリンさんがいつも通り朝食の準備をしていた。僕とユーリーもいつも通りリビングの席に座り、朝食を口にする。


 「ウィルさん、ここでの生活はもう慣れましたか?」


 シェリンにそう聞かれ、僕は頷く。


 「うん、アムリ語もだいぶ覚えてきたしね」


 あれから一か月が経った。シェリンの提案した通り、あの後僕はリーブランテ家にお世話になる事になり、この世界の事と、アムリ語を勉強することとなった。二人は親切丁寧に教えてくれて、本当の家族のように接してくれた。


 彼女たちについても、色々な事がわかった。ユーリー少し気の弱い部分もあるが、は普段はしっかりしている。しかし、たまに抜けているところがあった。その度に姉のシェリンに叱られていたのを思い出して、少し笑いが出そうになる。そして、満面の笑みをこちらに見せられると、まだ19歳の少女なのだなと感じさせられた。


 対してシェリンは、姉御肌といった感じで、元気が良く、ユーリーを度々叱っていた。しかし、やはりお姉ちゃんだからだろうか、落ち着いた雰囲気も持っており、僕などの年上に対する物腰も柔らかかった。 


 怒らせるとかなり怖くて、ユーリーが怒られたりすると、こっちまで身の縮こまる様な思いだった。


 シェリンの提案通り、この世界についての知識も得た。シーア大陸には、異界者達が遺したとされている、”遺跡”が数多く残っているらしい。その遺跡には日本語、この世界からすれば異界文字と言われる文字が書かれた石碑があるそうだ。


 僕が見せられた、彼女達の兄が集めたというあの資料集もその一部だ。元の世界に帰る為に、何かヒントになるかもしれないと思って目に穴が開くほど、その資料集を見たが、参考になりそうなものは無かった。


 ああ、あとこの世界での名前も貰った。”ウィル”と言う名前だ。いつまでも異界者さんではかわいそうだと言うことで、僕が本当の名前を思い出すまでの間、この世界でも比較的ポピュラーな名前をいただいたと言うことだ。最初は外国人的な名前に少し戸惑ったりもしたが、今ではもう慣れたものである。


 「魔法の扱いにもだいぶ慣れたよ。ユーリーに色々教えてもらったおかげでね」


 そして、僕に魔力があるかという事だが、やはり膨大な魔力量を持っていた。 


 ___しかし使い道があまりなかった。この世界ではもう魔物たちは最後の異界者が現れた200年前にとっくに滅んでおり、攻撃的な魔法の使用は、大陸全土で法律で禁止されている。戦い以外の魔力の使い道といえば、料理をするときに使う炎魔法や、洗濯などの洗い物をするときに使う水魔法くらいしかなかった。要するに馬鹿でかい魔力を持っていたとしても、宝の持ち腐れなのである。


 使えそうな魔法と言えば、ユーリーに教えてもらった彼女が山賊を撒いたときに使ったヴェラと言う気配を消す魔法ぐらいだった。

 この1か月、本当にこの世界について必死に勉強した。いつまでも下宿させてもらう訳にはいかないというのもあるが、家族に早く会いたいというのが本音だった。


 「・・・もうこの世界でも一人で生きれるくらいにはなったかな?」


 僕がそう言うと、言葉の真意を察したのか、シェリンが少し寂しそうな顔をする。


 「・・・そうですか、ではもうそろそろですね」


 そうだ。僕自身、ここでの生活は非常に心地が良かったが、いつまでもここに居るわけにはいかない。帰れるかどうかは定かではないが、元の世界では妻と娘が待っている。


 「はい。今日明日で、荷造りをして、明後日には出ようと思います」


 「そ、そんな急に行っちゃうんですか?」


 ユーリーが残念そうな目で見つめてきた。彼女はこの一か月間、僕を兄のように慕ってくれた。僕だって少しばかりの寂しさはある。


 「うん、いつまでもお世話になるわけにはいかないからね」


 帰らなければならない場所があるのだ。ずっとここにはいられない。


 「・・・そうですか」


 ユーリーはそう言うと下を向いて黙ってしまった。少し、重い空気での朝食だった。




 


 「・・・リュックは、これを使ってください」


 朝食も終わると、シェリンにとある部屋に連れていかれた。この部屋は、確か彼女たちの、お兄さんの部屋だった筈だ。・・・僕が最初にこの家に来た日、泊めてもらった部屋でもある。そこで少々使い古したリュックを差し出された。


 「これは?」


 「・・・私たちの兄の形見です。どうぞ使ってください」


 「え!?なんでそんな大事なものを・・・」


 彼女たちの兄は既に亡くなっている。彼はユーリー達と同じ考古学者だった。2年前、とある渓谷の断崖絶壁にある遺跡を調査中に、足を滑らせて亡くなったらしい。遺体は崖の奥深くまで落ちて回収もできなかった為、遺されていたリュックと訃報を知らせる手紙だけこの家に帰ってきたのだと、ユーリーに聞いた。


 おそらくその時のものだろう。


 「・・・そんな大事なリュック、使っていいのかい?」


 大事な身内の形見だ。僕なんかが使うのは少しばかり抵抗があった。するとシェリンはゆっくりと話し始める。


 「・・・ユーリーはウィルさんにずいぶんと懐いていますよね?・・・似ているんですよ。あなたは私たちの兄と。容姿はそうでもないんですけど、少し優柔不断なところだったり、雰囲気だったり、優しいところだったり」


 初めて聞く話だった。彼女たちのお兄さんがもう亡くなっていると分かったときはこの話題を極力出さないようにしていたので、人柄は分からなかったのだが。


 なるほど、ユーリーの距離感が妙に近い理由はここにあったらしい。


 「・・・重ね合わせている訳では無いんですが、どうしても兄の姿がちらつくんですよね」


 シェリンはそう言うと悲しそうな顔で兄の形見であるリュックを見つめていた。


 「ユーリーにも聞いたんですが、快く使っていいとの事でした。どうぞ使ってください。


兄も使ってくれる人が居た方が喜ぶでしょう」


 シェリンはそう言ってリュックを僕の前に差し出してきた。少し躊躇したが、彼女はあげると言って譲らない。堪忍したように僕はそれを受け取った。


 「ありがとう。私にとってそれは、見ていると辛くなるだけだから・・・」


 大人びた雰囲気をしているが、彼女だってまだ22歳。実の兄の死を受け入れられないところもあるのだろう。シェリンは、さらに悲しげな表情をしていた。






 その後、荷造りを終えて、荷物に何か不備が無いか確認する。水と食料は3日分、シェリンに貰った。地図もある。お金は、旅先の街で日雇いの仕事などをすれば大丈夫だろう。明日になったら出発だ。ここから遺跡のあるシロン公国まで3ヶ月ほど掛かる。アムリ語の読み書きにはまだ少し不安があるが、まあどうにかなるだろう。言葉は日本語と全く同じなのでコミュニケーションは取れる。


 「失礼します」


 すると、部屋で荷物を準備をしていると、ユーリーが入ってきた。


 「ユーリー、何だいその格好は?」


 「何って、これから3ヶ月旅をするんでしょう?」


 彼女の格好を見ると随分な重装備をしていた。明日ピクニックに出かけるなどの軽いものでは無い。僕と同じ様な、どこかに遠出でもする様な格好だった。


 「?そうだけど?」



 「・・・私も付いて行きます」




 「・・・え?」


 突然の彼女の申し出に頭が追いつかない。僕には元の世界に帰ると言う目的があるのだが、ユーリーには目的が無い。態々僕の為に、3ヶ月も付いてくる事は無いのだ。


 「そこまでしてくれなくてもいいよ?」


 諭す様に僕はそう言う。しかし、ユーリーの表情は真剣そのものだった。


 「・・・ウィルさんが心配なのもありますけど、私は見てみたいんです。この街以外の外の世界を」


 「外の世界って?」


  僕はユーリーの話に耳を傾ける。どうやら本気の様だ


 「私の中での外の世界と言えば、兄から聞かされていた話でしか知りません」


 ユーリーは独白を始めた。この1ヶ月間、ユーリーは初めて出会ったあの森にある遺跡を調査していた。異界文字の解読の為、僕も何度か連れて行ってもらった事もある。そしてその遺跡に着く度に、「もっと色んな遺跡を見てみたい」と、愚痴っていた。彼女はまだ新米の考古学者で、この街から出た事は無いらしい。


 「私も見てみたいんです。"お兄ちゃん"が、どんな世界を見て来たのか。私だって考古学者です。資料だけじゃ無くて、自分の目で遺跡や、異界文字を調査してみたい・・・」


 ちゃんとした理由があった。彼女は考古学者。この広いシーア大陸の遺跡を自分の眼で調べたいというのが僕の旅についていこうとする理由だった。




 「いいんじゃ無いかしら?」




 その時、僕達の背後から声が聞こえた。


 「・・・お姉ちゃん」


 後ろを振り返るとシェリンが居た。少し微笑みながら腕を組んでいる。


 「あんたがこの街を出たがっているのは知ってたよ。兄さんの話を聞いてる時も、ウィルさんに外の世界の話を聞いてる時も、同じような顔をしていたから。・・・実際、世界を知るにはこの街は狭すぎるしね」


 そう言うと、シェリンは自身のポケットから、小さな麻袋を取り出した。ユーリーが袋を開けて、中身を確認する。


 「・・・これって・・・」


 金貨だった。それも、1ヶ月は暮らせて行けそうな程の量だった。


 「いつかは出て行きたいと言うと思っていたよ。本当にお兄ちゃんの妹だね」


 シェリンがそう言い終わると、今度は僕の方へ顔を向けて来た。


 「・・・ウィルさん、異界者であるあなたがこの世界に来たのは、ある意味運命だったのかもしれません」


 「・・・」


 確かに、日本語が通じたり、リーブランテ家に拾われたりと、色々と都合のいいこの世界に来たのは、運命だったのかもしれない。そう思うと、神様が本当に僕が元の世界に帰れるのかを、試している様な気がした。


 「・・・この子は危なっかしくて一人では不安です。そこでウィルさん、あなたの旅にこの子も連れて行ってくれないでしょうか?」


 「シェリンまで・・・」


  姉であるシェリンにもお願いされるが僕は躊躇する。何せ3か月もの長い旅路だ。道中、宿に泊まれず野宿することも一度や二度じゃないだろう。


 「ちょっとお姉ちゃん!!余計なこと言わないでよ!!・・・でも、私もハザマ遺跡の調査をしたいんです。目的地が一緒なら、一緒に旅をするのも悪く無いと思いますよ?」


 僕は元の世界に帰る為に。ユーリーはまだ見ぬ遺跡の調査の為に。最終目的地は一緒のハザマ遺跡だ。


 それに他の遺跡にも、何か帰る為の手掛かりがあるかも知れない。


 「それに、一人で行くよりかは気が楽だと思いますよ?魔物はもう居ないですが、国境近くには山賊がいたりもします。命の危険も多少はあるので」


 ユーリーが付け加える様にそう言う。


 ・・・確かにもうあの時の様な思いはしたくない。ユーリーから教わった気配を消す魔法があれば切り抜けられるだろうが、それでも一人より、二人いた方が精神的にも楽だろう。


 「・・・分かった。じゃあ一緒に行こうユーリー」


 腹は決まった。これからの旅路、僕はユーリーと一緒に旅をする事を決意した。


 「あ、ありがとうございます!!じゃあ明日の朝出発ですね!!」


 「・・・遠足じゃ無いんだぞ?」


 旅に出られるのが嬉しいのか、妙にテンションの高いユーリーだった。








 冒険者の服装と言うものはどうも厚手の服が多い。真新しいごわごわとした感触を肌に感じながら、やっと旅に出るんだなと、実感する。これからの3か月間、この薄茶色の上着と、生地の厚い重めのズボンとはずっと一緒だ。慣れておかなくてはいけない。


 「本当に1ヶ月間、ありがとうございました」


 敬語でそう言って、僕は頭を下げる。


 出発の日の朝。シェリンに深々と頭を下げて最後の挨拶をする。僕が元の世界に帰れたら、もうこの人と会う事は無いだろう。


 本当に1ヶ月間、親身に接してくれた。毎日ご飯は出してくれたし、住まわせてくれる条件だった、僕が話す元の世界の事についても、疑いなくよく聞いてくれていた。


 「こちらこそ、あなたの世界の話、本当に参考になりました」


 そう言ってシェリンも頭を下げる。


 「・・・あなたから聞く世界は、私達の世界よりずっと広くて、色々な文化がありました。私も一度は行ってみたいものです」


 続けてシェリンがそう言うと、僕は苦笑いになった。


 「そうでも無いよ?あっちの世界でも生きる為には色々苦労するし・・・」


 「あら、ならもし戻りたく無くなったら、またウチに来て下さい。面倒を見るのが2人になったところで、あまり変わりませんから」


 「ちょ、ちょっとお姉ちゃん!!」


 シェリンがこうやってユーリーの事を揶揄うのも、この1ヶ月でどれだけ見たことだろうか。


 「あははっ。でも僕は帰るよ。あっちの世界には妻と娘が待っているからね」


 しかし僕は帰らなければならない。これが独り身だったら心を動かされていたかも知れないが、僕には守らなければならない存在がいる。


 「・・・そうですね。本当に、無事に帰れる事を祈ってます」




「うん。それじゃあ元気で」




 シェリンにそう別れを告げてから馬車に乗り込む。それが彼女との最後の会話だった。馬車の運転手がそれを確認すると、馬の嘶きと共に馬車が動き出す。


 ___遂に旅が始まった。僕は本当に家族の元へ帰れるのだろうか?そんな不安もまだ心の中にあったが、この街でずっと過ごしていてもどうにもならない事だけは分かる。


 これから向かうこの世界の"遺跡"。そこで触れる僕と同じような"異界者"が遺したもの。彼らはこの世界で、何を感じ、何を思って元の世界に帰って行ったのだろうか?


 その答えも、この旅で分かるような気がした。



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