第9話 sprit No.1 筋肉少女⑧

 昼休みを告げる鐘が鳴る。


 朝のプチ事件のせいで余計な精神力を削られた俺は、その後の授業も何となく集中できず、かといって窓際の席でもないため、外を眺めて暇潰しに興じることもできなかった。


 おかげで、午後の授業に放課後の変人たちの宴とぎっしり詰まったスケジュールに、果てしない絶望感を感じるハメになった。


 これなら、早く家に帰って可愛い妹になじられていたほうが、幾分マシなんじゃないだろうか。


 確か美衣の中学は振替休日だった筈だ。


 そんなくだらないことを考えながら、カバンの中を漁る。


 しかし、幾ら漁ってもお目当てのものは見つからない。


「——あれ? もしかして、忘れてちゃった?」


 手の感触だけでカバンを探るのを止め、恐る恐る中を覗いてみる。


 しかし、どんなに凝視してもカバンの中に教科書の類しか目に入らない。


 そこには、絶賛捜索中のお弁当箱の姿は見当たらなかった。


(やってもーたぁぁ!)


 心の中で誰にも届くことのない悲痛な叫びをあげる。


 紅葉高校には購買はなく、自販機が設置されている程度だ。コンビニも学校から歩いて十五分と決して近くはなく、そもそも、あの坂を往復しなければならないのはしんどすぎる。


 今日は飯抜きか……。より一層、体が重くなるのを感じる。


 もう昼休みは寝ることにしよう。


 少しでも体力を回復するために、昼寝を選んだ俺は、散らかった机の上を片付ける。


 そして、いざ夢の世界へとダイブしようとした瞬間、教室に入ってきた旭先生に声をかけられた。


「おーい、田中いるかぁ?」

「はい、いますけど」

「おー、良かった良かった。昇降口にお前に用があるって奴が来てるから、急いで行ってくれ」

「俺に来客?」


 先生に言われるがまま、早足で昇降口へと向かうと、そこには周りをオドオドと見渡しながら、不安そうに立ち尽くす妹の姿があった。


「美衣!? こんなとこで何してんだよ」

「あっ! おにい——兄貴! 遅ぇよ!」


 美衣は俺を見つけるやいなや、傍に駆け寄ってきた。


「どうしたんだよ、急に——はっ! お兄ちゃんに会えなくて寂しくなっちゃったのか!?」

「違ぇよ! バカ兄貴! ほらこれ。リビングの机に置きっぱなしだったぞ!」


 美衣は背中に背負ったリュックから、布に丁寧に包まれた四角い物体を取り出し、俺に差し出してきた。


「これ……弁当か!?」

「そうだよ。ったく、いい歳こいて、弁当忘れてんじゃねぇよ」

「うわぁ、マジで助かる。今日はもう昼飯抜きって覚悟してたからな」


 受け取った弁当箱はほんのり温かく、どうやら家で温め直してくれたらしい。


 どうしよう。出来すぎる妹を持って、涙が出そうだ。


「美衣がこんなに兄想いだったなんて……抱きしめてもいいか」

「ヤメロ」


 可愛い妹に抱きつこうと、両手を広げて近づくとあっさり躱されてしまった。


 愛情表現を無下にされ落ち込む俺に、美衣は犯罪者を見るような目を向けてくる。


 あれ、何か新しい扉を開いてしまいそうな気がするぞ。


「つーかよぉ、アタシはただ早起きして作った弁当が無駄になっちまうのに腹が立っただけだっつーの」


 前にも言った通り、家事のほとんどは美衣がこなしてくれている。俺の弁当も毎日、美衣が朝早く起きて作ってくれている。


 本当に頭が上がらない。


 多分この話を誰かにすれば、十中八九、俺はダメ兄貴として罵られることだろう。


「そりゃそうだな。いつもありがとう、美衣」


 俺は拗ねるようにそっぽを向く美衣の頭を撫でた。


「ッ! お、おい! 何すんだ!」

「ん〜? こんな出来の良くて可愛い妹がいて、お兄ちゃんは誇らしいんだよ」

「答えになってねぇ!」

「ごはぁ!」


 鳩尾に鋭い正拳突きがクリーンヒットした。


「いってぇ〜……ふっ……この程度で、兄の愛は止まらないぜ」

「不死身の変態!?」

「兄って生き物はな、可愛い妹がいる限り何度でも立ち上がれるんだ」

「深そうでめっちゃ浅いな、それ。てか、キモすぎる。今日はもう家に帰って来ないでくれ。そろそろ、身の危険を感じる」

「えぇ! 泣くよ!? お兄ちゃん泣いちゃうよ!?」

「心折れんの早すぎだろ! 何度でも立ち上がるんじゃねぇのか」


 そんなわちゃわちゃを繰り広げていると、突然、後ろから声を掛けられた。


「何してんのよ光太……」

「——莉愛!?」


 声の主は莉愛だった。朝の件もあり、何だか目を合わせづらい。


「い、妹がさ、弁当届けに来てくれたんだよ。莉愛も何度か会ったことあるだろ?」

「あ〜——って美衣ちゃん!? その……何というか……随分とイメチェンしたね……」


 莉愛が驚くのも無理はない。彼女が最後に美衣に会ったのは、多分小学校の時だ。


 その頃の美衣は、どちらかというと大人しい子で、友達がいない訳ではなかったが教室の隅で本を読んでいるような子だった。


 一体、何が美衣をこんなに変えてしまったのだろうか……。まあ、これはこれでちびっ子ヤンキーみたいで可愛いけど。


「ちわっす! 莉愛さん! お久しぶりっす!」

「そ、そうね。久しぶりね」


 美衣はまるで憧れの人に会えたかのような眼差しで、莉愛に挨拶をした。


 俺の記憶が正しければ、確か美衣はそんなに莉愛に懐いていなかったような、むしろ怖がってたような気もするけど……これも、美衣がグレた事による心境の変化なのだろうか。


「ちょっと。美衣ちゃんに何があったのよ」

「すまん。俺は妹のことは世界一愛してるんだが、これだけはマジでわからん」

「ふ〜ん…」

「じゃあ自分は失礼します! お疲れ様っす!」


 美衣はそう言うと、くるっと後ろを向き昇降口の出入り口へと歩きだす。


 そして、途中で背を向けたまま思い出したかのように


「あーあと、兄貴は二度と帰ってくんなよ。それじゃ」


 と念を押しその場を後にした。


「あんた、相当妹に嫌われてるのね……」

「そんな同情の目を向けないでくれ。余計悲しくなるだろ」


 まあ、あんな事を言いながらも弁当を届けに来てくれるのは、美衣が根は優しい子だからだ。


 勝手な解釈かもしれないけど、心の底から俺を嫌っているのなら、そもそも弁当も作ってくれないだろう。


 帰りに美衣の好きなシュークリームでも、買って帰るとするか。


 


 


 

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