第8話 sprit No.1 筋肉少女⑦

 教室に入ると、先に登校していたクラスメイト達が一斉に俺たち視線を向ける。


 正確に言うと、俺たちではなく楠木一人に視線が集まる。それは、ほんの数秒、もしかしたら一秒にも満たない時間だったかもしれない。


 しかし、そんな僅かな時間でも確かに楠木はその存在感をクラスメイトに示し、何事もなかったように自分の席へと向かう。


 一見すれば異様な光景かもしれない。


 普通の高校で、女子がたった一人入ってきただけでこうも注目を集めることはないだろう。


 楠木は美人で秀才な完璧超人だけど、もう一年も一緒に過ごしていれば流石に慣れがくるというものだ。


 それでも、この光景は楠木にとって日常の一つだった。


 教室に入るだけで、その場の興味を一切合切刈り取ってしまうのだ。


 それは、カリスマ性や人望とかそういったポジティブなものよりも、畏怖といった感情の方が近いかもしれない。


 まあ、簡単に言ってしまえば楠木はクラスメイトにこれでもかというほど、ビビられているのである。


 当然の如く、楠木に友人なんてものは存在しない。自分でいうのもなんだけど、俺が学校で唯一友人に近しい存在かもしれない。


 しかし、ある噂では楠木に弱みを握られ、奴隷としてこき使われているってことになっているらしい。うーん、あながち間違いではない。


 楠木の席は窓際の列の一番後ろ。何というか、王道のヒロインの席って感じだ。


 教壇を横切り楠木は自分の席へと一直線に向かう。


 楠木が教室に入ってから、どことなく緊張感が張り詰めたような雰囲気が漂う。毎朝のことだが、これは少し居心地が悪い。


 俺の席は、楠木とは反対の壁際の一番後ろ。


 微妙な空気感に嫌気がさしながらも、席についた俺は鞄から教科書を取り出し、引き出しに入れる。


 その最中、窓際の方から怒気のこもった声が放たれた。


「あんたさぁ、もうちょっと自分の態度改めようとか思わないわけ?」


 そう楠木に向けて声を放ったのは、楠木の右斜め前の席に座る、河野莉愛こうのりあだった。


「あら、おはよう河野さん」


 楠木は自分に向けられた明らかな敵意を手短く華麗にスルーした。そのまま、莉愛の横を通り過ぎ、自分の席へとついた。


 その全く〝相手にしない〟楠木の態度が、莉愛の神経を逆なでしたらしく、彼女は席から勢いよく立ち上がり、楠木の机の前に立つ。


 そして、右手を大きく振り上げ、楠木の机に叩きつけた。


 教室のどこからか、小さく悲鳴があがる。


「何でそんなに、いつも偉そうなわけ? あたし達のこと見下してんの?」

「そんなつもりは全くないけれど――被害妄想じゃないかしら。私は、あなたとはほとんど関わったことがないし、何も迷惑はかけていないはずよ」


 実際、楠木がクラスに迷惑をかけたということは、ほとんどないと思う。確かに、学校行事には消極的だし、クラス一丸でってイベントは恐らくあまり好きではないだろう。


 でも、だからといってサボることはしないし、何かしらの形で協力はしている。


 唯我独尊にみえても、敵意のない生徒には優しいし、妙に律儀なとこはある。そこが楠木の可愛いとこだ。


 もう少し、俺に優しくしてくれてもいいと思うけど。


 ただ、如何せん年頃の――特に同性である莉愛を筆頭にした女子達は、楠木の一挙手一投足に敏感だ。


 楠木がただ歩くだけで漂わせる、その女王的な雰囲気がどうにも気にくわないのだろう。


 特に、クラスで俗に言うスクールカースト上位ってやつの莉愛にとっては、異質な楠木は目の上のたんこぶだった。


 別に楠木の態度が今日特にひどいわけでもなかったけど、積もり積もった感情が、たまたま今日この瞬間爆発してしまったのだろう。


「そのすかした態度がムカつくって言ってんだよ!」


 莉愛の声に一層力が籠もる。前髪に入っている赤色のメッシュが気のせいか、いつもより濃く見える。


 まるで、獲物を狩る猛獣のような目つきで莉愛は楠木を睨み付けていた。


 そんな彼女に対し、楠木は相変わらず知らぬ素振りを続けていた。


「……あなたの言っていることはよく分からないけど、そんなに私が気にくわないのだったら、話しかけなければいいじゃない」

「――くっ!」


 まあ、正論である。そもそも、楠木に突っかかること自体不毛なことだ。


 押しても押しても、楠木はひらひらと躱してしまう。そういうやつだ。


 莉愛は顔を真っ赤にして、歯を食いしばっている。ああ、これやばいな。そろそろ止めないといけないかもしれない。


 でもなぁ……この二人の喧嘩をとめるのはややこしいんだよなぁ……。


 「お前――マジで腹立つ!」


 心の中で止めるか止めないか、右往左往しているうちに事態はさらに悪化した。


 莉愛は楠木の胸ぐらをつかみ、自分の方へと引き寄せる。彼女たちの顔はもうキスするんじゃないかってくらいに近づいている。二人に纏わり付く雰囲気はは決してそんなロマンチックなものではないが。


 楠木は手荒なことをされたのが、少々不快だったのか、先ほどまでの無表情から一変して、怪訝そうな顔をしている。


 これはまずいな。迷っている場合ではない。早く止めないと、怪獣大戦争よりも恐ろしいことになってしまう。正直、他の誰かに止めて欲しいとこだけど、ある意味、頂上決戦ともいえる二人の争いに、わざわざ飛び込んでいく勇者は中々いない。


 重い腰をあげ、彼女たちの方へ向かう。


 そして、なるべく火に油を注がぬように慎重に声をかけた。


「あのー……そこまでにした方がいいんじゃないかな? もうすぐ先生も来るだろうし……」


 両手を体の前でひらひらさせながら、営業マン顔負けの作り笑いを浮かべる。我ながら情けない手段である。


 しかし、普通で凡人の俺には勇ましく女子の喧嘩を仲裁するスキルなど搭載されていないし、今後習得の予定もない。頂上決戦に割り込んだだけでも褒めて欲しいくらいだ。


「ああん!?」

「うっ!」


 莉愛は素早く楠木に向けていた怒りの形相を俺の方へと向ける。その顔の恐ろしさは、〝楠木スマイル〟に劣らないだろう。


 楠木は楠木で、「何であなたが割り込んでくるの?」とでも言いたそうな顔である。もう胃が痛い。帰りたい。


 掴みを失敗してしまった俺は後ろに後ずさる。


 莉愛は第三者の介入によって、少し落ち着いたのか胸ぐらを掴んでいた手を離し、舌打ちしながら俺に悪態をついた。


「――ッチ! 光太には関係ないでしょ」


 しかし、まだ収まりそうにない怒りを静めるために、俺は奥の手を出すことにした。


「関係あるとかないとか、そういうんじゃなくてさ。莉愛は? こんなことで問題起こして出場停止にでもなったらどーすんだよ」

「ッッ!」


 この言葉は中々効いたようで、莉愛の顔から怒りの色は徐々に薄くなっていく。


 莉愛は剣道部期待のエース。


 一年からレギュラーを勝ち取り、無名だった紅葉高校うちの剣道部を一気に全国区へ押し上げた。


 気性の荒さは玉にきずかもしれないが、莉愛が小さい頃から剣道に真摯に取り組んできたことを俺は知っている。


「お前が昔から頑張ってきたことはよく知ってるつもりだ。だから、こんなことでその努力を無駄にすんじゃねぇ」

「っくそが……。久々に話しかけてきて面すんじゃねーよ……」


 莉愛はふてくされたようにそっぽを向いた。


 あー、ほらやっぱり面倒くさいことになった。


 莉愛の言ったとおり、俺たちは幼馴染みだ。


 親同士が高校の同級生であり、河野家とは昔から家族ぐるみで仲良くさせてもらっている。長期休みには一緒によく旅行にいったものだ。


 家は近所ってほどではないけど、学区が一緒だったので、小中もずっと一緒でずっと同じクラス。最早、運命を感じるレベルだ。


 それに加えて、もう一つ。事態をややこしくさせる原因がある。幼馴染みってだけじゃ面倒なことにはならない。


「――光太はさ、こういう子がタイプなわけ? 楠木みたいな偉そうなお嬢様が好きなの!?」

「あのなぁ……喧嘩を仲裁しただけで、何でそんな話になるんだよ」

「じゃあ何で楠木を庇うの? 光太は幼馴染みのあたしより、こいつの味方してるじゃん」


 莉愛は悔しそうに俺に詰め寄ってくる。待て待て、近い近い。距離感ミスってるって。


 事態をややこしくなるもう一つの要因。それは、自分で言うのは本当に言い辛いことなんだけど――莉愛が俺に好意を抱いているってことだ。


 もちろん、これはモテない男の妄想ではない。


 これまで、莉愛に告白された回数は百回を超える。莉愛のはっきりとした性格を考えれば、流石にイタズラやドッキリの線はないだろう。


 どうして、こんな俺のことを好きでいてくれるか未だに分からないけど、莉愛の俺に対する猛烈なアタックは初めて告白された小学校三年生からずっと続いていた。


 そんなアタックもここ最近、楠木と行動を共にするようになってからは鳴りを潜めていた。


 苦手な楠木が近くいるため話しかけづらかったのかもしれない。


 そんな状況で、俺が楠木を助けるような真似をすれば、莉愛にとってはあまり良い気持ちがしないだろう。


 だから、本当は介入したくなかったんだけど……背に腹は代えられない。


 あのままでは、大事になっていた可能性もあった。莉愛が感情のままに暴力を振るう奴ではないことは分かっているつもりだけど、高校生という多感な時期には何が起こるか分からない。


 莉愛は涙ぐんだ目でほっぺを膨らませ、わなわなと肩を震わせている。


 ダメだ。この状況を打破する方法が全く思い付かない。


 俺がたじろいでいる間に、状況を理解しはじめたクラスメイト達がざわつき出す。


―田中君ひどくない?

―もう百回も莉愛のこと振ってるらしいよ

―えー! 莉愛ちゃん学年でもトップで可愛いのに……田中君、理想高すぎじゃん


 そんなこと言われたって困る。それに、俺にだって莉愛とは付き合わないを持ち合わせている。


 莉愛は俺の答えを聞くまでは気が済まないといった様子だ。


 これはいよいよ降参するしかなさそうだ。


「はあ……。あのなぁ、俺のタイプは――」


 その時、教室のドアが開かれ救世主が教室へと入ってきた。


「おーい席につけー。ホームルーム始めるぞー」


 そう言いながら、担任のあさひ先生が教壇へのぼる。


「んー? なんだ揉め事かぁ?」


 旭先生はクラスの異様な雰囲気を察知したようで、名簿で自分の頭をぽんぽんと叩きながら教室を見渡す。


「ほれほれー、何かあったんならアタシに相談してみんしゃい――えっ、本当に何にもないの? アタシの勘違い? だー! 恥ずかし! んじゃ、ホームルーム始めるよ~」


 流石の莉愛も諦めがついたようで自分の席へと戻っていく。


 その際に、俺の横を通り抜ける際に小さく、


「光太のバカ」


 と呟いた。


 楠木にもそれは聞こえていたらしく、イタズラな笑顔で俺を見る。


「モテる男は大変ね」

「うるせー。助けてやったんだから、礼くらいしてくれ」

「……? 主君を助けるのは下僕として当然じゃない」

「お前がそういう言い方するから、俺が奴隷だのなんだのって噂が立つんだよ!」


 窮地を救ってもやっぱり楠木は楠木だった。もう逆に安心する。


「田中ぁぁ! さっさと席につけー!」

「はーい」


 先生に急かされ、そそくさと自分の席に戻っていく。何だか、痛々しい視線を感じないこともないが、しょうがない。


 このくらいでへこたれるようでは、スプリットガールズの傍に立つことは叶わない。俺が選んだのそういう道だ。


 とはいえ、また評価が下がったことは心苦しくないこともない。


 あー、早く昼飯の時間にならないかな。


 そんなことを考えながら机の上に突っ伏した。




 


 



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