第7話 sprit No.1 筋肉少女⑥

 五月一日。


 桜はすっかり散ってしまったが、まだ少し肌寒さが残る。制服の衣替えにはまだ早いだろう。


 しかし、我が紅葉高校に至っては他の市内の高校よりも早く、ブレザーを着用しない生徒がぽつぽつと現れ始める。


―疲れたー!!

―立地考えろよなー

―やっぱ下でタクシー乗ってくりゃ良かったな


 そんな声が、息切れと共に周りから聞こえてくる。皆、登校中のうちの生徒だ。


 かく言う俺も、他の生徒同様息切れしながら登校している。こんなに疲弊しながら登校する高校生は日本中で俺たちだけではないだろうか。


 紅葉高校には、スプリットガールズの他にも名物的なものがいくつかある。


 その一つが、学校へと続く長い坂道――通称「憂鬱の坂」である。


 きつめの急勾配のつづら折りが約三百メートルほど。そんな坂道を毎日登らされれば、確かに憂鬱にもなる。この坂道のせいで、学校を休みがちになる生徒もいるぐらいだ。


 最近では坂道に入る前に数人でタクシーに乗り、割り勘で登校してくる者達もいる。


 俺も何度か経験したことはあるけど、今は一緒に乗る友人もいなくなってしまったため、一人でこの坂道に立ち向かうことを余儀なくされている。


 朝からこんな重労働のせいで、まだ肌寒い気候でも学校に着く前には汗ばんでしまう。


 そんな理由で他の高校よりも、半袖で登校する生徒が早く現れるってわけだ。


「おっはよ~~!!」


 ん? 今見覚えのあるマッチョがもの凄い勢いで駆け上がっていった気もするけど……気のせいか。


 脱いだブレザーを持ちながら、額の汗をぬぐう。特に汗っかきではないけれど、否応なしに汗は滲んでくる。


 帰りたくなる気持ちに負けそうになりながらも、足を動かし続け、登り続ける。


 ようやく学校へと辿り着き、正門近くで一息ついていると、いかにも高級車ってデザインの車が横を通りすぎ、正門の前で止まった。


 運転席から、これまたお金持ちの執事って風貌の若い男性が降りてきて、後部座席のドアを開ける。


 そして、車からはに似つかわしい美少女が優雅な足取りで降りてくる。


「行ってらっしゃいませ。杏お嬢様」

「いつもありがとう、黒田。気をつけて帰りなさい」


 そんないかにもお金持ちって会話を交わし、高級車は「憂鬱の坂」を下っていった。


「あら、おはよう光太君。朝から疲れ気味ね。寝不足なの?」


 車で登校してきた美少女――楠木は、髪をなびかせながら呑気な言葉を投げかけてくる。


「はぁ……後ろを振り返ってみろ。俺と同じ奴がうじゃうじゃいるぞ」


 ため息交じりにそう答えると、楠木は坂道を一瞥し、再びこちらへ視線を向けた。


「みんな大変そうね」


 他人ごとのように――いや実際に他人ごとなんだけど、興味という感情が一切含まれていないその言葉が彼女にとっては普通のこと。一周まわって逆に安心感すら覚える。


「明日からは俺のことも迎えに来てくれよ。同好会のよしみで」

「嫌よ。あなたの家によるガソリン代が勿体ないわ。お金持ちっていうのは倹約家なのよ。無駄遣いしないからお金持ちなの」


 楠木はそう言うと、昇降口へむかって歩き出した。


 全く、の一人なんだから、少しくらい贔屓してくれたっていいのに。


 まあそれでも、実際、毎朝あんな豪華な車で迎えに来られちゃ気遣いと申し訳なさで、朝から胃が痛くなりそうだな。


 靴を上履きに履き替え、楠木と共に教室へと向かう。


 優雅に廊下を歩く楠木に、他の生徒たちは様々な反応を示す。


 羨望の眼差しを向ける女子生徒や、好奇の目で見るガラの悪そうな男子生徒。


 楠木が廊下を歩いているだけで、そこはちょっとしたお祭り騒ぎになる。


 しかし、楠木は全くと言って良いほど意に介してないようで、堂々と歩き続ける。流石、大企業のご令嬢といった所か。


 俺たちの二年五組のホームルームは、西校舎の二階。


 一年生と二年生は西校舎にホームルームがあり、三年生は南校舎の一階に教室がある。


 昇降口があるのは南校舎のため、一番上の学年になるまでは少しホームルームまで距離がある。


 朝から長い坂道を登って疲れている身としては、早く席につきたい所ではあるが、下級生はさらにそこから教室まで階段があるという二重苦だ。余談ではあるが、一年生の教室は三階にある。去年は辛かった。


 ホームルームへ向かいながら、楠木に昨日のことを尋ねてみた。


「そういや、昨日の準備ってのはもう済んだのか?」

「まだよ。昨日はもう他の生徒は帰ってしまってたから……今日の昼休みにでも

「一体何をしようとしてるんだ……」

「ふふ。それは放課後のお楽しみよ」


 口元に手を当て、心待ちにするように笑う楠木を見て、少し背中に悪寒を感じる。


 楠木が楽しそうにしている時は、大体良くないことが起きる。これはたった半年ほどの付き合いの経験則だが、打率は九割九分だ。


「まっ、何でも良いけどよ~。俺の身の安全は保証されてるんだろうな」

「ええ。いつも通りの働きで大丈夫よ」

「そのいつも通りがおかしいから心配なんだよ! ったく。俺の気苦労も少しは考えてくれっての」


 それを聞いた楠木は足を止める。


「ん? なんだよ」


 同じように足を止めた俺は楠木の方へ振り返る。


 俺より身長の低い楠木は見上げるように、じっと俺を見つめている。


 ほんの数秒の沈黙が流れ、ふと楠木は思い立ったように手を伸ばし、俺の右頬に触れた。


「それでも光太君は、私の味方でいてくれるんでしょう」

「っっ……」


 いつもの高圧的な物言いでも、人を馬鹿にしたような態度でもない。


 ただ真っ直ぐに信頼を置いている。


 そういった感情が、優しく触れた頬や曇りのない瞳から伝わってくる。


 こういう一面とこだ。こういう一面とこがあるから楠木はずるい。その純真さには、一切の汚れを感じさせず、気高ささえ纏っているようにも思える。


 そんな感情を正面からぶつけられた俺は、その場でたじろいでしまった。


――朝からイチャイチャすんなよなー

――ちっ! リア充が!!


 廊下にいる他の生徒たちから、不満の声が飛んでくる。


 その声で我に返った俺は楠木の手を振り払う。


「早く教室行くぞ」


 そそくさと楠木に背を向け、俺は少し早足気味に歩き出す。


 何となく、後ろの楠木が意地悪そうに笑っているような気がした。




 

 

 

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