第2話 sprit No.1 筋肉少女①
「全く……。屋上からバンジージャンプしたくらいで気絶なんて……。情けないわね」
部室のソファで目を覚ました俺に、楠木は容赦ない言葉を投げかけてくる。こいつにとって学校の屋上からのバンジージャンプは日常茶飯事なのだろうか。
「普通の人間なら気絶して当然だろ……。どこの世界に意気揚々と学校でバンジージャンプを決行する輩がいるんだよ……」
「あら、ここにいるじゃない」
「無理矢理させられたんだよ俺は!」
ソファから勢いよく起き上がり、テーブルを挟んだ向こうで読書をする楠木にツッコミをいれた。
彼女はつゆ知らずと言った様子でこちらに目を向けることなく読書を続けている。
ちなみに彼女が今読んでいる本は『古今東西必殺技集』という中二病患者が喜びそうな一冊である。
「大体、何で俺が屋上バンジーしなきゃいけなかったんだよ。放課後、急に屋上に呼び出されたと思ったらいきなり縛られて蹴り落とされるし……。最早、犯罪では!?」
楠木は読んでいた本を閉じて眼鏡を外しつつこちらへ視線を移す。
「人間って、命の危機に晒された時に思わぬ力を発揮したりするでしょ? だから、普通で平凡で何の変哲もない光太君でも何かの力に目覚めて、必殺技を使えるようになるかなって」
「どこの戦闘民族の話だよ!」
楠木は「はて? おかしなこといったかしら?」といった様子で言葉を続ける。
「やっぱり命綱が余計だったかしら……」
「……楠木は道徳の授業受けたことないのか?」
「これでも一般人の倫理観は理解しているつもりよ? それに——」
向かいのソファから立ち上がった楠木はテーブルの上を歩きこちら側へと移動し、俺の膝へ跨るように座った。
「ッッ! お、おい! 急になんだよ!」
俺に跨った楠木はゆっくりと顔を近づけて、耳元で優しく囁いた。
「光太君は私のこと大好きなんでしょう?」
「……それは反則だろ」
俺はそっと楠木を膝の上からどかし、立ち上がる。
「ったく……。なんで、そうまでして必殺技なんかにこだわるんだよ」
「あら。男児たるもの必殺技の一つくらい習得してて当然よ」
楠木は自分の言っていることに間違いはないと、そんな意志の強さを秘めた瞳で言葉を放つ。
必殺技研究会。
それが俺と楠木が所属している同好会の名前。
ある一件から、俺は半ば無理矢理この同好会に参加させられ、日夜、必殺技の習得に励んでいるという訳である。
使用している部室はというと旧校舎の空き部屋を勝手に使い、生徒会に同好会設立の届け出も出さずに活動している。
「とにかく、俺は別に必殺技欲しくないし。てか、この平和な日本で一体いつ使うんだよ。そもそも、必殺技ってのもなんかふわっとしてて、曖昧だし」
テーブルの反対側へと移動し、先程まで楠木が座っていた場所へ腰を下ろす。
楠木は俺の言葉に納得がいかないようで、華奢な肩をワナワナと振るわせていた。
まるで、飼い主に遊んでもらえない犬みたいで少し可愛い。
楠木杏は変人だ。
容姿端麗、スポーツ万能、成績優秀と非の打ち所がない完璧さとは裏腹に、我が紅葉高校きっての変人なのである。
口を開かなければ誰もが認める完璧少女。
セミロングの黒髪をなびかせ、すらっとしたスタイル抜群の容姿は廊下を歩くだけで様になる。
その姿はまるでランウェイを歩くモデルのようだ。
しかし、そんな彼女が初対面の相手にほぼ百パーセントの確率で放つ言葉は、
『あなたの必殺技は何?』
である。
ほとんどの人間はここで彼女との関係を諦める。
一年生の頃からその変人っぷりを遺憾なく発揮していた楠木は、今ではすっかり紅葉高校名物のスプリットガールズの一員という訳だ。
スプリットガールズっていうのはあだ名というか二つ名みたいなもので、特に彼女達が一致団結している訳ではなく、むしろお互いに気が合わないことも多く、たまにいざこざが起きたりする。
その度に彼女たちの対応をする教師たちは少し気の毒だ。
なんせ、彼女たちの我は一国の王様レベルで強力だからな。
「まあなんにせよ。俺はいたって普通の人間だからな。必殺技なんてものとは無縁なんだよ」
「じゃあ、あなたは何のためにここにいるのかしら」
「それは——」
思わず言葉に詰まる。
暫く二人の間には微妙な空気が流れたが、それを打ち破るかのように、
〝バゴン〟
と、突然、馬鹿でかい衝撃音が室内に響き渡る。
「ッッ! なんだ!?」
音の発生源と思われる部屋の入り口の方へ振り返ると、そこには真っ二つに割れたドアが床に転がっていた。
「はぁぁ!?」
そして、転がったドアの向こうには目を疑うようなシルエットの女生徒が立ち尽くしている。
「あっちゃ〜。ごめんごめん。中々開かないから鍵が閉まってるのかと思って。壊すつもりはなかったんだよ」
ドアを壊した張本人は頭をわしゃわしゃと撫でながら申し訳なさそうに言葉を放った。
「旧校舎のドアを立て付けが悪いものね。仕方ないわ」
楠木はこの異常事態に冷静に対応していた。
その肝の座りっぷりは、さすがとしか言いようがない。
「いやいや! おかしいだろ! ていうか君——」
「ああ! 自己紹介がまだだったね! 私の名前は
ピースサインを突き出しながら、力子と名乗った彼女は「えへへ」と笑っていた。
清潔のあるショートカットに幼なげな雰囲気の顔立ち。
顔だけ見れば、どこにでもいるやんちゃな女の子って感じだ。
しかし、彼女の首から下はその可憐な笑顔に似つかわしくない体つきをしていた。
「まじかよ……」
非常に信じ難いのだが、彼女はヘビー級の格闘家を連想させるほどの立派な筋肉を纏っているのだ。
身長はさほど大きくなく、百五十センチ前後くらいなのが唯一の救いだろうか。
顔と体のミスマッチさから一瞬着ぐるみでも着てるんじゃないかと思ったくらいだ。
「えっと……それで、力子さんはどうしてここに……」
「リッキーでいいよ!!」
「あ、うん。リッキーはうちの同好会に何の用かな? まさか、道場破り的ななにかですか?」
「アハハ!! ちがうちがう! ここって必殺技をけんきゅーしてるんでしょ? だから来たの!」
「ん? つまりどゆこと?」
「私ね、必殺技が欲しいの!!」
そういってリッキーこと力子は再びピースサインを前に突き出す。
ああこれは厄介な事になりそうだなぁ。
そんな不安が胸の中で駆け巡っていた。
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