第14話 裁判


 カジミール・ニコレスクとエレナ・ニコレスクの二人は、無事に軍部に引き渡された。

 彼らの裁判は明後日に開かれるそうだ。随分とのんびりした計画である。


 翌日、私は二人がどのようにして見つかったのかを、沢山の偉い軍人の前で聴取された。それから、セキュレシティが今どこに隠れているのかを問い質された。


「さあ……。どこかの地下通路に隠れているか、他の市まで逃げてるかじゃないですか?」

「今後、また彼らが武器を取る可能性はあるか?」

「取りますよ」

「何だと?」

「みんなはニコレスク奪還を目指して、全員で一斉攻撃を仕掛けてきますよ。それも、ありったけのドラクラムを飲んで」

「本当かね?」


 会議室の皆はこぞって焦りだした。


「うーん、私だったらそうするかなあ。みんな、ニコレスクが世界で一番大事だし、ニコレスクさえいれば政権を奪取できると思ってるみたいですよ」


 ふむ、と軍人たちが難しい顔であれやこれやと話し合う。


「──いずれにせよ、襲撃に備える必要があるな。全力のセキュレシティとやり合うとなると、被害は甚大なものになりそうだ」

「規模は──結構までに他の支部のセキュレシティも集めてくるだろうから、恐らく……」

「付近のセキュレシティ支部は、陸軍基地の者らに包囲させよう。だが、突破されるやも」

「やはり戦力として外せないのは……」


 やがて、私は会議室から追い出された。


 特にやることもなくなった上に、ルイザ先輩はお勤め中でいないので、私はブクレシトの町を一人でぶらぶらした。市街戦の跡が生々しく残る店でヒマワリのタネを買い、ベンチに座って食べてみる。やはり粗悪な品だった。それというのも、これらの食べ物が、共産党独裁政権の作った集団農場にて機械的に量産した製品だかららしい。だがこれからは市場経済とやらを導入するだろうから、じきに美味しいタネが手に入るようになるはずだった。

 袋の中身をすっかり食べてしまうと、眠くなってきた。私はあくびをした。

 実にのどかな午後だった。

 こんなにのんびり過ごしたことは、これまでの人生で一度たりともなかった。

 ずっと、休む暇もなく、仕事か訓練をしていた。そうでないと生きている意味が無かったから。何しろ、仕事がうまくないと殺処分という世界だったのだ。

 だが今は違う。


(昼寝ってやつをしてみようかなあ)


 私は立ち上がった。セキュレシティの宿舎は封鎖されていて立ち入りができなくなっていたけれど、私はクーデターでの戦功に免じて、特別に国民宮殿の中に部屋を貸してもらっていた。

 私はてくてくと歩いて宮殿に戻り、部屋に入って、ばたんとベッドに倒れ伏した。


「ん〜」


 理由もなくただただ休むというのは、こんなにも気持ちがいいものなのか。素晴らしい。

 私は乱雑に靴を脱ぎ散らかすと、もぞもぞとベッドに這い上がり、布団を被ってぐっすり眠った。


 夕方、部屋の扉がノックされる音で、私は目を覚ました。


「ルスレアヌ殿」

「ふぁい?」

「お話がございます。恐れ入りますが、今一度会議室においでください」

「ん〜分かりました……」


 私は目をこすりながら、案内人の後について行った。

 会議室では軍部の偉い人が待っていた。彼は堅苦しくご挨拶をしてきたので、私は敬礼してから席についた。

 するとこの軍人は、「単刀直入に申し上げる」と前置きして、こう言ってきた。


「我々はセキュレシティの襲撃に備える必要がある。ルスレアヌさんには、我々救国戦線陣営として、戦いに参加していただきたい」

「え? 嫌ですけど」


 即答すると、相手は鼻白んだ。

 

「い、いや、確かにルスレアヌさんの立場は難しい。しかし、ロマニオを救うためにはあなたの力が必要なのだ」

「いえ。私はもう、ロマニオとかどうでもいいんで」


 私はなおも断言する。


「私の命はルイザ先輩のために存在します。無駄な戦いには参加したくないです」

「無駄? どういうことかね?」

「ルイザ先輩の望みを叶えるためには、裁判なんか待たずに早く標的を暗殺すればいいじゃないですか」


 私は憤慨してまくしたてた。


「私、てっきり、ニコレスクを捕まえたらすぐに殺すものだと思ってました。だから生きたままお渡ししたんですよ。なのにあなたがたは、明日に裁判をやるとか何とか、呑気なことを言ってばかりいる。そんなにもたもたしていたら、セキュレシティは力を盛り返して襲ってくるに決まってるじゃないですか。そのせいでニコレスクを殺せなかったらどうするんです? 裁判のための時間稼ぎなんて完全に無駄です。それよりも、私が今から暗殺しに行った方が確実」


 私の話を聞いて、相手は「うむ」と唸った。


「ルスレアヌさん。まず、間違えないでいただきたいことがある」

「はい?」

「我々は旧政権ともセキュレシティとも違う、正義の救国戦線だということだよ。そんな我々が、非常事態でもないのに、易々と人を殺してしまっては、国民に示しがつかない。確かに殺してしまうのは簡単だが、それでは我々はただの簒奪者であり殺人犯になってしまうからね。ニコレスクの処刑はあくまで合法的に行わなければ、我々がロマニオの新政権を担うことの正当性が確保できないのだよ。軍事裁判という簡素な形式を取るのは、最大限の譲歩だ。本来ならもっと時間をかけて、正式な裁判を執り行うべきだ」


 この人は何を言っているのだろうか。私は「はあ」と間抜けな相槌を打った。


「じゃあその、正当性とかいうもののために、セキュレシティに襲われる危険を冒すってことですか?」

「そうだ。正しく政権を担うために、裁判はどうしてもやる必要がある。そのために相応の被害者が出るだろうが、これは必要な犠牲というものなのだよ」

「へえ。それって私に関係あるんですか?」

「あるとも。先程我々は、君の尊敬するルイザ・シャラルにも話を聞いた。彼女はロマニオでの民主化が正規の手段で行われることに同意してくれたよ」

「えーっと……ルイザ先輩は、裁判をやるべきだって言ってるんですね?」

「そういうことだ」

「はあ。それなら仕方ないですね。今夜ニコレスクを暗殺しに行くのはやめときます」

「今夜決行するつもりだったのかね、君は……」


 相手は呆れたように言った。


「まあいい。ではルスレアヌさん、君は裁判を滞りなく行うために、セキュレシティと戦ってくれるね?」


 私はぎゅーっと顔をしかめた。


「気乗りはしませんが、構いませんよ」

「気乗りがしないのか」


 軍人は苦笑いした。


「まあいい。ではこうしよう。軍事裁判には参考人として、ルイザ・シャラルを出席させる」

「ほえっ!?」

「セキュレシティは、ニコレスクが牢から出される裁判中を狙って、襲ってくるはずだ。つまり、君がセキュレシティを撃退できなかった場合、敵の勢力はシャラルのいる法廷に乗り込んでくることになる」

「分かりました。全力で戦わせていただきます。必ずや敵勢力を壊滅させてみせましょう」


 私は食い気味に掌を返した。相手は満足げに頷いた。


「ご協力感謝する。話はこれで終わりだ。休んでくれて構わない」

「はい。失礼します」


 私は会議室を後にした。


 ──そして、十二月二十五日。遂に、軍事裁判の日が訪れた。


 国民宮殿の一角に設置された法廷の前で、私は軍隊と共に待機していた。今まさに、裁判が粛々と進行している。

 ニコレスク夫妻のための処刑場の準備は、既に整っていた。つまりこれはとんだ茶番だ。建前というものは実に面倒くさい。

 さて、壁で囲まれた会場に攻め入るためには、私たちと対峙する必要がある。私のように易々と壁を破壊できるような猛者が何人もいるとは思えないから、私たちはここで張っていればそれで良かった。


 開始から一分後。緊迫感のある静寂が打ち破られ、辺りは血飛沫の舞い散る戦場と化した。


 まず、ワーッという怒声が聞こえてきて、私たちの目の前にある窓ガラスが割れた。厳重に張られたバリケードが、続々と破壊され、蹴り倒されてゆく。


 セキュレシティが最後の戦いにやってきた。


 一直線に突撃してくるセキュレシティを取り囲む形で隊列を組んでいた軍隊は、すかさず小銃で集中砲火を浴びせる。突入してきたセキュレシティの多くがその餌食となった。しかし彼らは単なる捨て駒でしかない。後続のセキュレシティが、仲間の死体を踏みつけて、私たちに向けて銃を乱射した。国軍の方にも続々と死者が出始める。

 だがこの程度は想定内だ。敵はやはり捨て身の攻撃に出ている。短時間でここを突破しなければ、処刑に間に合わないと分かっているのだ。だから、防御などかなぐり捨てている。

 私は敵味方の弾幕の間を縫って前に飛び出すと、発砲中の敵の首を軒並み切りつけ、あっという間に死体の山を築き上げた。


「続けて撃って!」


 私は軍隊に怒鳴ってから、味方の射線を邪魔しないよう天井まで跳び、そこに張り付いた。次に侵入してきたセキュレシティがまたしてもばたばたと倒れてゆく。それからまた敵の攻撃だ。私はトンッと天井を蹴って、攻撃に集中している敵を着実に葬り去る。

 だがここで、予想外のことが起きた。


「今だ! イオナを殺れ!」


 号令と共に、セキュレシティが、前線で攻撃を続ける仲間の背後から、弾幕を重ねがけしてきたのだ。


(あ、まずい)


 これは避けきれない。

 物理的に不可能だ。

 どんなに速く動いても、弾をナイフで逸らした隙に、幾つか被弾してしまう。防弾着で防げるのはせいぜい最初の一撃のみ、あとはどうやっても防げない。


 どうしよう、どうしよう、どうしよう……ああ、こんなの、どうしようもない!!

 これは死んでしまう!!


「ヒャ──ッ!! ごめんなさいルイザ先輩──!!」


 私の悲鳴は、ひっきりなしの銃声の中に掻き消えた。


 ***


 ──ルイザ先輩。

 私に優しくしてくれた人。

 私の好きな人。

 何に代えても守り抜くと決めた人。

 本当は私だけのものになって欲しかった人。

 それが叶わないのならせめて、健やかに、穏やかに、心の赴くままに、生きて欲しかった人。

 死にゆく私のことなど忘れて、幸福な人生を送ってください。

 私のことは気にしないで。

 あなたを悲しませたくはないから。

 私のせいで傷つくあなたを見たくはないから。


 ──いや。

 いやいやいやいやいやいや。

 やっぱり無理。


 私のことを見て欲しい。

 私のために泣いて欲しい。

 私を忘れないで欲しい。


 だって、そうでなくちゃ、私の愛が消えてしまう。

 心の中でこんなにも燃え盛っていた光が、消えてしまう。


 そんなことは耐えられない。


 この愛に報いてくれとは願わない。

 ただ、覚えていて欲しいのだ。


 そうすればこの光は、これからもずっと、あなたのことを照らしていられる。


 だからお願い、どうか、私のことを心に留めておいて下さい。

 お願いします。

 ルイザ先輩。ルイザ先輩。ルイザ先輩、先輩先輩先輩先輩先輩先輩先輩──


 ***


「ルイザ先輩ッ」


 私は飛び起きた。


「あれっ」


 頭に手をやる。次に顔。胸。腹。背中。両腕。両脚──あ、左の膝から下が無くなっている。それと視界が狭い。もう一度顔に手を当てて、右目が見えていないことを確認する。

 ふうん。なるほど。


「あら、起きましたか」


 看護師が入室してきた。そうか、ここは病院なのか。


「ちょっと待って下さいね。今、先生を呼んで──」

「あのっ、ルイザ先輩は?」

「無事ですよ。安心して下さい」

「怪我とかしてないんですか?」

「大丈夫ですから。今はご自分の身をいたわって下さい」

「ひょわー」


 私は枕に背をもたせかけた。

 良かった。私が脱落したせいでルイザ先輩に危害が及んだらどうしようかと思った。でも、無事ならいいか。うん。いい。よし、寝よう。


「あれ、寝てますかね」

 近くで医者の声がした。

「起きてます〜」

 私は目を瞑ったまま答えた。

「体を起こせますか?」

「できます」

「では看護師がお助けしますから、ゆっくりと……そう。ありがとうございます。気分はどうですか?」

「最高です」

「最高なんですか」

「ルイザ先輩がご無事ならもう何でも良いです」

「ほうほう、なるほどねえ」


 医者はカルテに何やら書き込んだ。それから眼鏡をかけて、一通り私の容体を確認した。


「うん、辛うじてですが問題ないでしょう。今、状況を説明しても大丈夫ですか?」

「状況って何ですか?」

「あなた本当に何も気にならないんです?」


 医者は、私の怪我の様子を教えてくれた。

 私はあの後三日間寝込んでいたそうだ。

 左脚はほとんど吹き飛んでいた。脇腹にも銃弾が貫通していた。それから右目を弾が掠めていた。

 その後応急処置が施され、病院に担ぎ込まれたが、一時は死の淵を彷徨っていたとか。


「そうですか」

「いやに冷静ですね」

「まあ、別にこれくらい大したことないですよ」

「大したことありますからね」

「はあ」

「……。さて、それから政治状況についてですが。まあ、これは私の業務外のことなのですが、私は軍人でもあるのでね。親切で教えてさしあげましょう」

「それは、どうも」

「カジミール・ニコレスクとエレナ・ニコレスクは銃殺刑に処されました。後で映像を確認できるので見て良いですよ」

「え? 銃殺刑の映像を撮っておいたんですか?」

「そうですね。私も驚きましたが、お陰でセキュレシティは戦意喪失したそうです」

「なるほど」

「それに、皆さん結構喜んでましたね。まるで聖誕祭の贈り物のようだと」

「ははあ」


 ニコレスクの処刑後、ロマニオは速やかに民主化政策に乗り出し、復興に勤しんでいるという。

 セキュレシティは問答無用で解体。多くの者が逮捕された。


「そこで、ちょっと申し上げにくいのですが」

「はい」

「ルスレアヌさんにも逮捕状が出ています。後ほど警察の方が来るかと」

「へえ……」

「私からは以上です。ルスレアヌさんから何か質問はありますか?」

「んー」


 一点だけ、気になることがある。


「ソロモナリアがどうなったか、知ってます?」

「ソロモナリア……ああ、セキュレシティの養成施設ですか。存じませんね。何かあるんですか?」

「あそこでドラクラム作ってるんですけど……あれがないと禁断症状が出て……」

「何か嫌な表現ですね」

「……最終的に死にます」

「は?」


 医者は唖然とした。


「死ぬんですか?」

「……多分……?」

「それは、……。分かりました、出来る限り識者と連絡を取らせてみます」

「取れるといいですね」

「そんな、他人事みたいな……。まあ、この件は責任を持って預かりますので。他には何かありますか?」

「特に無いです」

「分かりました。ではお疲れでしょうし、休んで下さい」

「はい」


 看護師が私を横にならせた。それから「お大事に」と言って医者と看護師が退室した。


 私は片目をぱっちり開けて、ぼーっと白い天井を眺めていた。


(ルイザ先輩に会いたいなあ)


 ふーっと息を吐く。

 よく考えてみたら、ルイザ先輩にお会いしたところで、ご迷惑をおかけするだけか。こんな体になってしまったのだから。

 残念だ。


(これからはどうやって生きればいいかなあ)


 悩みどころである。これまでは尊敬する人に全てを捧げることが生き甲斐だった。何もできなくなった今、どうしたらいいのか正直分からない。

 そもそも生きられるか分からないのだけれど。


「ん〜」


 駄目だ、頭がくらくらしてきた。足りない頭で考えるのはひとまずやめて、今は眠ってしまおう。


 目を閉じると、疲れがどっと押し寄せてきた。私はたちまち眠りに落ちた。

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