第13話 共闘

「いや」


 ルイザ先輩は困惑していた。


「私はクーデターを成功させろと言われているから……セキュレシティと戦って、国民宮殿を制圧しなければ」

「そうですか。ニコレスクより先にセキュレシティを殺せばいいんですね?」

「まあ、それはそうだが。とにかく、他の隊と合流したい」

「あー……。分かりました。じゃあ近くの軍人を探しましょうか」

「言われなくてもそのつもりだ」


 ルイザ先輩は小銃を構え直した。周囲をきょろきょろと見回しながら、慎重に足を運ぶ。私は心配になって、つい口を出した。


「とりあえずルイザ先輩は走っていって大丈夫です。セキュレシティは背後もしくは真横から襲ってきますから、私が後ろからついていきます」

「わ……分かった」


 ルイザ先輩は不安そうに走り出した。前に会った時から更に鍛えてきたのか、小銃を持つ手は安定していた。


「あ、待って」


 私は慌てて声を掛けた。

 前方にはまたしても曲がり角が現れていた。


「障害物がある時は不用意に近づかないでください。壁際に寄って背中を守って……はい、それで後ろを警戒してください。私が先に様子を見て来るので」

「分かった」


 私は曲がり角を素早く覗き込み、そこに待機していたセキュレシティを全員撃ち殺した。


「はい、大丈夫ですよ、ルイザ先輩。来てください。前へどうぞ」

「……ああ。助かった」


 しばらく進むと、突如として銃撃戦の音が響き渡った。


「あ! 合流できそうじゃないですか?」

「銃撃戦の最中に加勢に行くつもりか!?」

「だって、私がいなければ、お仲間は全滅しちゃいますよ」

「……」

「行きましょう」


 私たちは音を頼りに、戦いの場まで走って行った。やがて軍服を着た集団が見えてきた。その向こうには、セキュレシティが。


 私は例によって床を蹴って飛び上がり、彼らの頭上に出ると、セキュレシティの一団に向かって銃を乱射した。取りこぼした敵のもとに素早く降り立つと、銃弾をかいくぐってナイフを立て続けに叩き込んだ。


「はい、終わりました」


 私は、呆気に取られている軍人たちの方を振り返った。


「あんまり細かいこと説明してる時間ないんですけど……私たちも、御一緒していいですか?」


 こうして、ルイザ先輩と私は屈強な仲間を得た。

 私は正に伝説の怪物ストリゴイのような活躍を見せた。戦場を駆け巡り、セキュレシティを片っ端から葬る。私がいくつものセキュレシティの隊を壊滅させたお陰で、クーデター勢力は更に攻勢を強めた。


 私が混ぜてもらった隊は執務室にまで侵入した。扉を開けた瞬間に銃弾が襲い掛かってきたので肝が冷えたが、何とかナイフで跳ね返すことができた。

 最後の砦を守るセキュレシティたちは、必死の猛攻撃をしかけてきた。さすがの私も、ルイザ先輩一人を守るのが精一杯だったので、何人かの軍人は死んでしまった。だが続々と加勢が来たお陰もあって、私たちはついに執務室からセキュレシティを駆逐することができた。ルイザ先輩も躊躇なく引き金を引いて、存分に活躍していた。非常に格好良かった。

 ルイザ先輩と一緒に職務に当たることができて、私は大満足だった。


 そして、ついに共産党政権は崩壊した。


 十二月二十二日、十二時半ごろ。


 軍部からの発表によると、ニコレスクは宮殿から逃亡。内閣は総辞職。

 もはや戦う理由のなくなったセキュレシティは、攻撃をやめ、その多くがいずこへと姿をくらました。一部は逮捕された。

 政権を掌握することに成功したクーデター勢力は、救国戦線という暫定政権を立ち上げた。

 国民宮殿の屋根に、穴の空いたロマニオ国旗が高々と掲げられる。

 クーデターの成功だ。


 政治犯は刑務所から次々と釈放されたし、自宅軟禁を強いられていた者たちも自由を得た。この分では、ラドゥ・エーダーやフロリカ・ポーペも助けられたに違いない。


「良かったですね、先輩」

 私は軍に分けてもらったまずいパンを食べながら言った。

「ああ。……助かったよ、イオナ。ありがとう」


 私は嬉しさのあまり、悲鳴を上げそうになって、慌ててこらえた。

 またこうして、二人で当たり前に話すことができる日が来るなんて。

 本当に良かった。


「あとは、ニコレスクを探し出して裁判にかけるだけだ」

 ルイザ先輩は言った。

「じゃあ、それをやりに行きますか」

「まあ待て。少し休まなければ。ニコレスクの捜索は、今は他の者がやってくれている」

「そうですか」


 私たちはパンを胃に詰め込むと、仮眠を取ることにした。

 

 ……ところが、翌日になっても、ニコレスク夫妻の行方は分からなかった。


 ***


 十二月二十三日。


 丸一日休息を言い渡されていたルイザ先輩は、ポーペ家にお見舞いに行っていた。


 私はその間、市民や軍人の遺体を片付けるのを手伝っていた。

 私が裏切ったことは恐らくセキュレシティに知れ渡っているだろう。もしかしたら潜伏しているセキュレシティが私を殺しに来るかもしれない。その事態に備えて、今日も私はドラクラムを五錠ほど摂取していた。お陰で作業は異様なほど捗った。


 やがてルイザが大通りに戻ってきた。私は彼女を笑顔で迎えた。どうやらフロリカは、かなり痩せこけて、顔色も悪かったが、思ったよりは元気そうだったらしい。それから、エーダーも無事に釈放されているという情報を教えてもらったそうだ。


「彼らが無事で良かった。もしも何かあったら、私は君を心底憎んでいただろうから」


 そうルイザ先輩が言ったので、私も彼らが無事でよかったと心の底から思った。


「それにしても、ニコレスクはまだ捕まらないのかな」

 ルイザ先輩がこぼした。

「ブクレシト市内は路上を全部封鎖して、怪しい人は残らず確認しているのに」

「路上は全部、ですか?」

「ああ」


 なるほど、と私は考え込んだ。それからいいことを思いついた。


「私、捕まえに行きましょうか?」

「え?」

「ルイザ先輩はニコレスクに死んで欲しいんですよね」

「ん……どうだろうな。まあ、捕まって欲しいとは思っている」

「そうですよね。では、私はこれで。先輩はここにいてくださいね」

「え?」


 私はルイザ先輩に背を向けて、走り出した。


「待て待て! 何を——」


 ルイザ先輩が追いかけて来るのを感じたが、私に追いつけるはずもない。追いつかれたら困る。

 今から行くところはとても危ないのだから。


 ***


 私はナイフをしっかり持っていることを確認して、国民宮殿の前に歩いて行った。広場に着いたら、手近なマンホールを探して、蓋をぐいっと持ち上げた。

 広場の片づけをしていた人々が、ギョッとしたようにこちらを振り返る。だがその頃には私は、下水道へ降りていく梯子に足をかけ、蓋を塞いでしまった。


 路上は軍が見ている。なら道路の下は?

 元浮浪児の私にとって、下水道から逃げるという選択肢は当たり前のように頭の中にあった。恐らく他のセキュレシティも同じだろう。彼らはみな、元孤児なのだから。

 珍しく賢いことをしている気がして、私は一人で自慢気に笑った。


 下水道の地面に降り立つ。真ん中を流れる汚水は本当にひどい臭気を放っていた。私は顔をしかめて、作業員が歩くために設けられた歩道を歩いて行った。


 まもなく、ここを寝床にしている子どもを見つけた。三人が寄り添い合って体を温め合っている。

 私はセキュレシティの制服のジャケットを脱いだ。昨日から着替えていないそれは、返り血まみれでひどい有様だった。


「ねえ、これをあげる」

 私は子どもたちに制服を差し出した。

「少しは寒さを凌げるでしょ。それに、そこについてるバッジ。売ったら高くつくんじゃないかな」

 子どもたちは疑わし気に、私の顔と制服とを交互に見上げた。

「その代わり、教えて欲しいんだけど。昨日ここを、怪しい人が通らなかった?」

 私が訊くと、三人は考え込んだ。それから一人が「通ってない」と言った。

「そっかあ。ありがとう」


 私が制服を渡して歩き出そうとすると、「待てよ」と声がかかった。


「お前、セキュレシティなんだろ」

「うーん……セキュレシティは、もうやめちゃった」

「やめた?」

「だからこれからニコレスクを捕まえに行くんだけど」


 三人は、何やらひそひそと話し出した。それからしきりに頷き合った。


「ごめん、姉ちゃん。嘘ついた」

「へ?」

「通ったよ。怪しい奴。二人の若い男と、ジジイとババア」

「え!」

「でもニコレスクはいなかったぜ。顔をよく見ておいたから、間違いない」

「じゃあ、変装してるのかな」


 私が呟くと、子どもたちは息を飲んだ。


「変装?」

「顔に仮面をつけてるってこと」

「……もしかして、あれ、本物だったの?」

「多分」

「大変だ、姉ちゃん!」

「何?」

「俺たち、そいつらがどこ行ったか知ってる」


 私は目を見開いた。


「本当?」

「ああ。縄張りを荒らされたら困るから、途中まで後をつけてたんだ」

「途中……」

「他にも俺たちと同じ考えの奴らはいたと思うぜ。そいつらに聞けば何か分かるかも! 案内してやるよ!」

「いいの?」

「おう!」


 子どもたちは駆け出した。私はどきどきする胸を押さえてそれに続いた。


 迷路みたいな下水道を縦横無尽に駆け回った子どもたちは、ある地点で足を止めた。


「ここ。ここで一休みしてた。そっから先は知らねえんだけど……」


 一人がピュイッと指笛を吹いた。すると、一人の少女がヒョコッと顔を出した。


「呼んだ?」

「お前、ここにいたオッサンども、尾けてたよな」

「うん」

「そいつ、ニコレスクなんだってさ!」

「げえっ!」

「頼む、この姉ちゃんを案内してやってくれ」

「よしきた!」


 少女は跳ねるような足取りで、先を案内した。


「オッサンどもはこの辺で休んでたぜ!」

「なるほど」


 私は少し辺りをぶらついてみた。そして、一つ道を曲がったところに、タバコの吸い殻が落ちているのを見つけた。


「ありがとう」


 私は財布からお札を一枚出して、少女に差し出した。


「悪いけど、急いで帰ってくれる? ここは危ないからね」

「姉ちゃんは?」

「私は大丈夫。こう見えて強いんだよ」

「ふーん。じゃあな!」

「気を付けてね」


 少女が充分に遠ざかってから、私は奥へと進んで角を曲がった。


 途端に、二発、弾丸が放たれた。私は身をよじってそれを避けると、斜線の先にいるであろう狙撃手に向かって突進した。一気に距離を詰めて、その腹に深々とナイフを突き立てる。

 まずは一人。


 もう一人は——まさに、暗闇の中を、二人の老人を連れて逃げて行っている所だった。

 私は再びロケットのように飛び出して、セキュレシティの背中を狙った。

 難なく陥落。


 私は改めて、老人たちに向き直った。


「何事だ。私たちはただの貧乏人……」

「嘘は駄目ですよ、ニコレスク様」


 有無を言わせず顔の仮面をはぎ取ると、案の定、見慣れた顔が現れた。

 カジミール・ニコレスクと、エレナ・ニコレスク。


 エレナは「ヒィッ」と言って縮こまった。ニコレスクはがっくりと項垂れた。

 それから、きつい目つきで私を睨んだ。


「その声――イオナ・ルスレアヌだな」

「はい」

「この穢らわしい裏切り者が!」


 ニコレスクは怒鳴った。


「セキュレシティでありながら、この私を捕まえに来たか!」

「すみませんが、これもルイザ先輩のためですので」

「……ルイザ?」

「お二人とも、ちょっと失礼します……よっと」


 私は、自分より背の高い二人を小脇に抱えると、とっとこ走り出した。


「何をする! 無礼者!」

「ああぁぁぁ、捕まってしまったわ!」


 マンホールの蓋の下まで来た私は、雷の如き速さで梯子を上って蓋を開けると、戻ってきてエレナを抱え上げた。


「行きますよ。そりゃーっ」


 ぶんっと彼女の体を投げ上げる。エレナは無事に、地上世界に生還した。


「もう一丁。うりゃーっ」


 ニコレスクも投げ上げられて、ベシャッと地面に叩きつけられる。


 最後に私が登っていくと、早くも人が集まり出していた。


「おいこれ、ニコレスクじゃないか?」

「嘘……」

「この野郎、袋叩きにしてくれる!」

「ちょっと失礼します」


 私はマンホールの蓋を元通りにすると、民衆の手から二人を奪い取った。


 それから全速力で走り出した。


「ルイザ先輩ー! お望みのもの、持ってきましたよ!」


 ルイザ先輩は先ほどの場所で、フロリカと静かに語らっていた。


「え、イオナ? え、本当に?」

「あらまあ。お馬鹿なイオナちゃんじゃないの。抱えてるものは、もしかして……」

「ルイザ先輩に引き渡しますね!」

「ちょちょちょ、ちょっと待ってくれないか」

「はい、待ちます」


 ルイザ先輩は三回も深呼吸をした。


「……承った。二人の身柄は私が預かるよ。上官に引き渡しに行こう」

「やりましたね!」

「私は何もやっていないのだが……とにかく私は今は非番で、拘束具なども持っていない。悪いがイオナが運んできてくれないか」

「お安い御用です!」

「悪い、フロリカ。席を外す」

「いってらっしゃい、ルイザ」


 フロリカはこけた頬で笑んだ。


 こうして私たちは、連れ立って国民宮殿へと歩いて行ったのだった。


 異変に気づいた市民たちが、私たちの後をぞろぞろとついてくる。皆、手を取り合って歓喜していた。踊り出す者もいたし、泣き出す者もいた。


「ニコレスクが捕まったぞう!!」


 わらわらと民衆が集まり出す。早くも大通りはお祭り騒ぎになった。新聞記者やテレビのカメラマンが必死に私たちの姿を撮ろうとする。誰かがトランペットを持ち出して高らかに吹き鳴らす。拍手の音や万歳と叫ぶ声が聞こえる。あちこちで紙吹雪が舞っている。


 当のニコレスクは、私の腕に力無くぶら下がりながら、じっと黙っていた。エレナは嗚咽を漏らして、惨めったらしく泣いていた。

 私は少し胸が痛んだ。

 けれど、ルイザ先輩の隣を歩けることが幸せで、ルイザ先輩の期待に応えられるのが喜ばしかった。

 だから、この二人がひどい目に遭うのは、仕方がないことなのだ。

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