第12話 叛逆
そろそろヴァリが執務室に戻るはずの頃合いだったから、彼が現れないのを訝しんだ者が、ヴァリの死体を発見していてもおかしくはない。だが私は私の仕事を全うしたので、何も憂うようなことは無かった。安心して眠れる。
疲れていたので、座ったまますぐに寝てしまった。
そして数時間で叩き起こされた。
日付は変わって十二月二十二日、時刻は午前三時を回るころ。
「お前ら起きろ!」
「ふぁ?」
「軍部が寝返った! 今銃撃戦になっている。お前らもとっとと支度をしろ!」
理解にしばし時間を要した。
外では何やらダダダダダと爆発音が相次いでおり、怒号や悲鳴も聞こえてきている。
「つまり……?」
「クーデターだ」
ペトルが手持ちの武器を確認しながら言った。
「軍の連中が反逆者の側について、セキュレシティに攻撃しているってことだ。俺たちも急いで参戦しなくては」
「ど、どうしましょう」
後輩はうろたえている。
「どうするもこうするもあるか。俺たちはいつも通りの仕事をするだけだ。反逆者は始末する。分かったらとっとと武装して来い。防弾着を忘れるなよ。あと薬も」
「は、はいっ」
後輩たちがばたばたと出て行く。
「待って」
私は大声を出した。
「それって、軍の人たちを反逆者として殺さなきゃいけないってこと?」
「だから、そう言っている」
「ぜ、全員?」
「さあな。中にはクーデターに参加していない奴もいるだろ」
「……」
私は床に手と膝をついた。
呼吸が荒くなる。
――大丈夫だ、きっと。
ルイザはこんな馬鹿げた反逆に加担したりしない。
きっと軍部の命令に逆らって、戦闘に参加することなく、安全な場所にいることだろう。そうに決まっている。そう信じるしかない。
「さっさとしろ、イオナ!」
ペトルが檄を飛ばす。私は不安を無理やり振り切って立ち上がると、装備を整えるために、物資の保管場所へと走った。
国民宮殿の武器庫には他のセキュレシティの仲間たちが何人かいて、小銃がいくつも運び出されているところだった。誰もがそわそわとしていて、慌ただしい。
「ニコレスク様はご無事なのか?」
「執務室で指揮を取っていらっしゃるそうだ」
「これまでのセキュレシティの被害状況は?」
「俺が知るか。ただ死人は山ほど出てるな」
「国軍とやり合うからには、無事では済まされんだろうさ」
「クソッ。さっきまで一緒の仕事をしていた奴らに、銃を向けられるとは」
「急に寝返るなんて、軍部の奴らはどうしたんだ」
「どうやら、ニコレスク様のご命令で、国防相が殺されたらしい」
「何、ヴァリ殿が?」
「それだけでこんな大規模な反逆を?」
「奴らも色々と溜め込んでたってことだ。きっかけなんざ何でも良かったんだろう」
「こら、無駄口を叩くな。後悔することになるぞ」
私たち特殊部隊は充分な装備を受け取って、控室に入り、支度を整えた。防弾着をつけ、緑色の軍服をまとい、小銃を肩にかける。それから五人揃って最終確認をした。
「お前たち、薬は飲んだか?」
「はい」
「弾は?」
「あります」
「イオナ、ナイフはあるか?」
「何本か持ってるよ」
「よろしい」
ペトルは咳払いをした。
「俺たちの役目は遊撃だ。相手に押されているところを片っ端から助太刀に行くぞ。いいな?」
「うん!」
「では、セキュレシティブクレシト本部特殊部隊カロレスコ班、出動だ」
「了解!」
私はペトルに続いて駆け出した。
私たちは、手近なところにあった隠し扉から秘密の通路に入った。しばらく進んでいくと、セキュレシティの仲間たちがバタバタとあちらこちらに駆け回っているところに遭遇した。
そのただなかに立ち、指示を出している男に、ペトルは話しかけた。
「特殊部隊の者です。厳しそうなところを助けに入りたいのですが」
「それなら宮殿の西側三番扉へ。今、突破されそうになっているらしい」
「ありがとうございます。――行くぞ」
指定の場所に出ると、セキュレシティの隊員たちが、入り口に簡易的なバリケードを張って、身を潜めているところだった。時折顔を出しては、敵に弾丸を撃ち込んでいる。だが、盾に阻まれてなかなか相手を仕留められない。
私たちは目配せして、一旦バリケードの影に身を潜めた。
敵軍の後方には、一般の民衆が集っていた。彼らの頭上には、赤・黄・青のロマニオ国旗が掲げられている。旗をよく見ると、中央に描かれているはずの紋章が、丸く切り取られていた。
ペトルが苦い顔をした。
「あいつら、ふざけた真似を」
「何で国旗に穴を空けてるの?」
「国旗から共産主義の象徴を切り取ったんだ。奴らはニコレスク様の治世はおろか、共産党一党独裁までをも終わらせる気だぞ」
「それって、民主化ってやつ?」
「そうだ。――おい、来るぞ」
敵が盾の合間から攻撃を仕掛けてきた。私たちは臆せずに立ち上がって、銃の乱射で応戦した。
すぐに、仲間が二人ほど被弾。おそらく即死。だが敵もまた幾人か被弾しており、隊列に乱れが生じて隙ができた。
好機だ。私はすかさず地面を蹴って宙に踊り上がった。ナイフを抜き、身体を捻って、二メートルはあろうかという盾の真上から襲い掛かる。二人の兵士を切りつけた後、身体を大回転させて、手当たり次第に首を掻き切った。一瞬遅れて、周囲の軍人たちの体から鮮血が吹き上がる。私は生温かいそれを浴びながら、更に踏み込んで、再び旋風のように刃を振るった。二十人あまりを一息に屠ったところで、呆然と立ち尽くしていた敵のヘルメットを足場にして、その首の骨を折り、勢いのまま自陣営にとんぼ返りする。
私の怒濤の攻勢に、敵は明らかに動揺していた。
「何が起こった!?」
「うわああ!」
「総員退却!!」
今にもバリケードを突破して宮殿に入りそうだった軍人の群れが、恐れをなして後ずさる。その背中に、特殊部隊の仲間たちが追加の銃弾を叩きこむ。敵の一団はたちまち壊滅状態になった。
私はふうっと息をついて、ナイフについた血を拭った。私たちと敵との間には、軍服を着た死体が沢山放置されていた。
「ご苦労」
ペトルは言った。
「これで敵もしばらくは警戒しているだろう。次の場所へ行くぞ」
「了解」
こうして私たちは、遊撃を繰り返した。途中、ペトルが無線機を譲ってもらったので、指示役との情報共有はぐんと円滑になった。
「次、中央の広場前。終わったらすぐに東の一番扉に向かうぞ」
「了解!」
「民衆がいても躊躇はするな。一人でも多く殺せ!」
だが、たった五人の力では、戦況をひっくり返すまでには至らなかった。敵をどれほど押し戻しても、またすぐに新しい敵がやってきて、隙間を埋めてしまう。結果、相手の勢力は大崩れすることはなく、戦線は確実に宮殿に迫ってきていた。
そして遂に朝七時ごろ、セキュレシティの奮闘も虚しく、バリケードが続々と突破され始めた。軍人たちが勇んで宮殿内になだれ込む。
ペトルの無線機には、ひっきりなしに報告が入っている。
「ニコレスク様は、一度宮殿からお逃げになるそうだ。それまで時間稼ぎをしてくれ。通路を使って、背後から奇襲を仕掛けろ」
「それではクーデターが成功してしまいます。軍部の手に政権を渡すことだけは避けないといけないのでは?」
「今奴らと正面切ってやり合う必要はない。政権は一時的にくれてやる。ニコレスク様さえご健在なら、そんなものはいつでも取り戻せるんだ」
「くっ……。了解」
ペトルは私たちに向き直った。
「この勝負、ニコレスク様を守り通せば俺たちの勝ちだ。軍人どもに邪魔をさせるな。行くぞ」
敵の背後さえ取れれば、戦うことは容易だった。
私たちは敵の前に現れては消えることを繰り返し、各勢力を全滅させていった。私は存分にナイフを振るい、時には素手で殴りかかって、手近な敵を殺し続けた。近距離にいる敵がいなくなった後は、仲間と協力して銃を操った。
豪奢な作りの廊下に、血の海が出来上がってゆく。
「これでここいらの敵は一掃できたか」
ペトルは額の汗を拭った。
「次、展示室前に行くぞ。ついてこい」
「待ってください」
後輩がペトルを呼び止めた。
「――足音が。敵に加勢が来ます。十名ほど」
ペトルは舌打ちをした。
「分かった。皆、壁際に寄れ。相手が飛び出してきたところを仕留める。……やられるなよ」
私たちは頷いて、息をひそめて廊下の角に隠れた。
ザッザッ、と敵が近づいてくる音がする。
こちらとの距離はあと残り約七メートル。……三メートル。一メートル。
「行け!」
私は銃を構えて、合図に従って角から飛び出した。相手をしかと見つめて、あやまたずに銃弾で撃ち抜く。敵は驚いた表情を浮かべたまま、ただの肉塊となって崩れ落ちる。
次の敵も、次も、次も次も次も——。
そして私は、仲間の銃弾によって倒れた敵の後ろに、懐かしい顔があるのを見た。
(……!! ルイザ先輩!!)
咄嗟に私は引き金を引く手を止めた。
様々な、本当に様々なことが、一瞬で脳裏をよぎった。
——軍とセキュレシティ。敵と味方。ニコレスク様。共産党政権。ロマニオの未来。私が生かされてきた意義。仕事。任務。義理。忠誠。当惑する仲間たち。……血の気の失せたルイザの顔。何に代えても守りたい人。
何に代えても。
「何ボサッとしてる!」
ペトルが叫んだ。そして、ルイザ達に銃口が向けられる。
私は考えるのをやめた。
カチッと、心の中で何かが決定的に変わる音がした。
あらゆることへの心理的な縛りが消滅した。
身体は、驚くほど滑らかに動いた。
私は、小銃から手を離し、ナイフを手に取って、ルイザ先輩に向けて放たれた銃弾を、一つ残らず叩き落とした。
残りの敵は皆倒れた。後には、銃を半端に構えたルイザ先輩が立っていた。
「なっ……何してるんだ、イオナ!?」
ペトルが信じられないというように声を上げた。
「イオナ? ……イオナ・ルスレアヌ?」
ルイザ先輩は呆けたように呟いた。
「ごめん、ペトル」
私は静かに言った。
「この人は殺さないで」
「バッ……馬鹿を言うな。敵は少しでも多く殺せと言ったろ! 反逆者は皆殺しだ」
「嫌だと言ったら?」
私は問うた。ペトルは衝撃を受けた表情をしていた。
「……関係ない。お前の意志など。こいつは殺した方がニコレスク様のためなんだ。こいつを逃がしたせいでニコレスク様の身に何かあってみろ、取り返しがつかないぞ」
「どうしても殺す?」
「当然だ。ごちゃごちゃ言っていないで、そこをどけ。俺が殺る」
「そっか……」
私は俯いた。それからもう一度「ごめん」と言った。
「ごめんね、みんな。――さよなら」
私はナイフを握り直した。そして、次の瞬間には、特殊部隊の仲間四人分の頸動脈を、切断していた。
「ごめん」
私は仲間たちの遺体を振り返った。彼らは——ペトルは、後輩たちは、何が起こったのか分からないという顔のまま、絶命していた。
「は……」
ルイザ先輩が、銃を構えたまま、床にへたり込んだ。
「イオナ……? 君は一体何を……」
「前に言いましたよね」
私は屈み込んで、仲間たちの開かれたままの瞼をそっと閉ざしてあげた。
「私、ルイザ先輩のことが好きなんです。それは今も変わっていませんよ」
ルイザもまた、何一つ理解ができない様子だった。
「だ……って、その人たちは君の仲間だろう」
「ええ、はい。仲間でした」
私は冷めた気持ちで言った。
「でもルイザ先輩を殺そうとするなら話は別です。彼らは仲間ではなくなりました。だから殺したんです」
「意味が、分からない」
「いいんです、分からなくても。そんなことより」
私はルイザ先輩に歩み寄ると、素早くしゃがんで、その顔を見上げた。
「ここから逃げましょう、ルイザ先輩。この先にも、ルイザ先輩を殺そうとするセキュレシティが沢山います。わざわざ危ない所にいることはありません。戦いから離脱して、安全なところに行きましょう」
「あ、安全なところ……?」
「そうです」
「そういうわけにはいかない」
ルイザは固い表情だった。
「私は戦う。……君に、私を殺すつもりが無いのなら、私のことは放っておいてくれないか」
「そういうわけにはいかないんですよ、私も」
「何故」
「ルイザ先輩こそ、何故ですか。反逆者になりたいのですか」
「そうだ」
ルイザは迷わずに断言した。
「ニコレスクのせいで、私も国民も、多くのものを奪われてきた。だが、今、ロマニオは変わろうとしてる。みんなで力を合わせれば、ニコレスクを引き摺り下ろせるかもしれない。この好機を前に、みすみす戦線離脱したいとは思わないな」
「そうですか」
私は溜息をついた。
「……では、私もルイザ先輩に協力します」
「は?」
「私もニコレスクを引き摺り下ろすことにします」
「は?」
「私、ルイザ先輩には、心の向くまま、幸せに生きていてほしいのです。ルイザ先輩が戦うと言うのなら、私は全力でお守りします。ルイザ先輩がニコレスクを殺したいと言うのなら、私が殺します」
「……本気か」
「はい」
「とても、信用ならないのだが。だって君は……私のことを、密告しようとしていたじゃないか」
「ああ、そのこと」
私は久しぶりに、自分がルイザ先輩に誤解されていることを思い出した。
「密告なんてしませんよ。あなたのことを色々と調べていたのは、私の個人的な趣味なので」
「何を言っているんだ君は」
「とにかく、私の心は決まっています。ルイザ先輩を守り、ルイザ先輩の望みを叶える。……信用ならないなら無視してくださって構いません。私は勝手についていきますので」
「……」
今度はルイザ先輩が長々と溜息をついた。
「……分かった。勝手にしろ」
「恐れ入ります」
私は言うと、ペトルの遺体から無線機を取り上げた。
「こちらカロレスコ班。私以外は全滅しました。以後は単独行動に移ります」
「そうか。近くにいる隊員と合流してくれ」
「いえ、一人でやります」
一方的に告げて、受信はせずに、無線機をポケットに仕舞い込む。
それから、さりげなくルイザ先輩を助け起こした。
「さあ、ニコレスクを殺しに行きましょう。急がないと、逃げられてしまいますよ」
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