第11話 激震
きっかけは些細なことだったように思う。
マージャ系少数民族の反逆者を職務から追放するとか、その程度のこと。
それに抗議して、ティショラの町に住む何百人ものマージャ系民族の人々が集まった。破壊を逃れて残っていた教会の前は、たちまち反逆者で埋め尽くされた。
セキュレシティのティショラ支部の隊員が、力尽くで彼らを排除しにかかったが、彼らはそれにも反抗したので、騒ぎは暴動にまで発展した。叩いても叩いても湧いて出る反逆者たちの中には、まもなくロマニオ民族の者も混じり始め、事態は混沌を極めた。セキュレシティは容赦なく銃を持ちだしたので、死人も大勢出た。
──そのまま五日が経過した。抗議活動が収まる気配は無い。
「ティショラは大変そうですねぇ」
共に国民宮殿の警備に当たりながら、後輩がこぼした。
「今日で騒ぎが落ち着くといいんですけど」
そうだね、と私は頷いた。
今日は、不定期で開催される「大統領を称賛する集会」の日だ。ブクレシトの国民宮殿の前の大通りを、見渡す限り、ニコレスク様の支持者が埋め尽くしている。──もちろん、まともな国民は全員がニコレスク様の支持者であり、各人ができる限りこの集会に参加するのは当然のことだが。
ニコレスク様はここで、国民に向けて演説をなさることになっている。ティショラで起こっていることに対する強い非難も行われる予定で、このニコレスク様のお言葉によって反乱の勢いが弱まることを私たちは期待しているのだった。
やがて時間が来た。ニコレスク様が演説を開始されたはずだ。私たちはお声が明瞭には聞き取れないところにいるので、後でテレビの再放送を観ることにしていた。
「……」
無言で周囲を警戒すること、数秒。
ボゴーン、という、厳粛な場に不似合いな爆音。同時に、地面が少し揺れた。
「……!」
私たちは咄嗟に腕で頭を守った。
外では、ワーワーと民衆がパニックに陥る声が聞こえてきた。
「あわわ」
急なことに、私はちょっとまごまごしてしまった。
「ここは他の者に任せて、私たちは行きましょう!」
「そ、そうだね」
特殊部隊はその機動性を活かして、臨機応変に行動すること求められている。私は走り出しながら、ドラクラムの錠剤を数粒飲み込んだ。早く、ニコレスク様のいらっしゃるバルコニーまで駆けつけなければ。ひたすらに大きい大きい国民宮殿をぐるっと回って、ついでに秘密の通路も利用して、とにかく急ぐ。途中で、大通りの風景を見ることができた。
それはもう大変な騒ぎになっていた。爆発によるパニックは収まったらしいが、怒声が後を絶たない。
「ティショラの市民に敬意を!」
「ニコレスクは退陣しろ!」
「独裁者を引きずり降ろせ!!」
何ということだろうか。私は愕然として口をあんぐり開けた。
ニコレスク様を称賛する集会に集まった者たちが、口々に、ニコレスク様への罵詈雑言を叫んでいる。全員が憤怒の表情でこちらに向かって抗議している。全員が、だ。
何だこれは。爆発音がしたと思ったら、大勢が引っくり返っているなんて。この手のひら返しは、一体どうしたことか。
セキュレシティが早くも棍棒を取り出して鎮圧にかかっているが、とてもではないが人員が足りない。
バルコニーに立っているニコレスク様も愕然として動きを止めているのが、遠くから確認できた。
ニコレスク様の御前に馳せ参じる直前で、私たちはペトルら他の隊員と鉢合わせした。ペトルは素早く周囲の状況を見極めると、「戻れ!」と言った。
「ニコレスク様の護衛は先輩方がやる。俺たちはニコレスク様の執務室まで退いて、守りを固めるぞ」
「了解っ」
私たちは、この前代未聞の反逆に背を向けて、再び走り出す。後ろではニコレスク様が何とか事態を収拾させようと、口を開かれたところだった。
「皆、落ち着きなさい。このようなくだらないことはやめて、家に帰って聖誕祭の御馳走でも楽しみなさい!」
民衆は、どうやら更に激高した。
「聖誕祭に御馳走なんか食えるか! パンもろくにありゃしねえのに!」
「誰のせいでこんな時まで飢えてると思ってる!」
「どこぞの昔のお貴族様みたいなことを言ってんじゃねえ!!」
ペトルは先頭切って走りながら、額に手を当てた。
「駄目だ……崩れる。ロマニオはもう終わりかも知れない……」
「何言ってんですか!」
後輩が叱咤した。
「ここがセキュレシティの踏ん張りどころでしょう。ニコレスク様を守り通しましょうよ」
「……そうだな。頑張ろう」
ペトルの声はどこか暗かった。
「勝つか負けるか……いずれにせよ、この戦いで全てが決まる」
私たちが執務室に到着すると、そこではお偉方が慌ただしく動き回っていた。
「軍隊とセキュレシティを総動員しろ。暴徒たちを押さえつけるんだ」
「しかし、あれだけの数の国民を傷つけるわけには……」
「非常事態だぞ。ニコレスク様に何かあってからでは遅いのだ!」
「クソッ、何でこんなことに」
ペトルがセキュレシティの先輩に許可を取って、私たちは執務室の防衛に当たることになった。
じきに、先輩方に守られながら、ニコレスク様がお戻りになった。まだ、何が起こっているのか、信じられないというお顔だった。ニコレスク様の妻でありロマニオの副首相でもあるエレナ様が、真っ先にニコレスク様に駆け寄って、その痩せた肩を支えた。
「あなた、しっかりなさい」
「な、何たることだ……あの無礼者ども……」
「ええ、ええ、そうでしょうとも。早く、軍隊とセキュレシティに、正式に出動のご指示を」
「うむ……うむ」
すぐに出動要請が通り、武装した一団が大通りに向かって行った。
「これで一安心だ……。お前たち、国民宮殿の護衛を頼んだよ」
「はっ!」
私たちは敬礼をした。
***
……おかしい。
暴動が終わらない。それどころか、激化している。
集会は朝に始まった。もう時刻は昼を過ぎている。それなのに反逆者どもの勢いは衰えることを知らない。
軍隊による脅迫でも、セキュレシティによる発砲でも、彼らを押しとどめることができない。一体どうなっている? 既に死人は充分に出ているのに、どうして彼らは退かずに、大通りに押しかけ続けている? 何故臆さない。何故抗うことをやめない。何故……。
執務室内を重苦しい空気が包んでいた。
私は警戒する以外にやることが無いので、ルイザのことを考えていた。
愛しいルイザ。
軍隊が出動しているということは、ルイザも出ているだろうか。非番でなければいるだろうな。今私たちは、共同で同じ仕事に当たっているのだ。ルイザは暴徒化した民衆を鎮めるという重要な任務に当たっており、私は反乱が鎮圧されるまでの間ニコレスク様をお守りするという崇高な任務に当たっている。これは誇らしいことだ。ああ、民衆に手を出されて、危ない目に遭っていないといいのだが。でもルイザは聡明だから、きっと危機を回避できるに違いない。
(離れていてもあなたを想っていますよ、ルイザ先輩。ふふ)
私は、ばれないように、こっそりと微笑んだ。
さて、長引く戦況に、ニコレスク様はしびれを切らした。
「それもこれも、国防相の君が軍隊に発砲許可を出していないせいだ。何故まだ許可をしない。ヴァリ君」
「……はい」
国防相のミルチャ・ヴァリは、いかめしい顔つきで頷いた。
度々テレビに顔を出し、今年はブクレシト短期士官学校の卒業式にも足を運んだこの男は、軍部からの信頼が篤いという。私も何度か国民宮殿にてお見かけした。
「早く発砲許可を出したまえ」
「……おそれながら、できません。ニコレスク様」
ヴァリがこう言ったので、その場には衝撃が走った。
「何だと?」
「今、声を上げているのは、他でもない、ロマニオの国民です。国民に銃を向けることはできません。ロマニオ軍は、ロマニオ国民を守るためにあるのです」
「そして私を守るためだろうが!」
ニコレスク様は珍しく激高した様子で、立ち上がった。
「私を守ることが、ひいてはロマニオの国民を守ることに繋がるのだ。ゆえに、何をおいてもまず私を守るのが、軍の務めだ。そんなことも分からないのかね」
「申し訳ありませんが、分かりません」
「何を……」
ニコレスク様は体を震わせていたが、やがてすとんと椅子に腰を下ろした。温和な性格でいらっしゃるニコレスク様は、部下をお叱りになることに慣れていらっしゃらないのだ。
「もういい」
ニコレスク様は小さく言った。
「私を守る役目など、セキュレシティだけで事足りよう。彼らは優秀で、忠誠心も強いからな」
ヴァリは黙っていた。
「では、会議を続けよう。こうなったら、大統領の権限で、緊急事態宣言の布告をするしかあるまい。直ちにだ。そのためには——」
その後速やかに宣言が敷かれたが、状況は大して変わらなかった。抗議の集会は夜になっても続いていた。
そろそろ、執務室に詰めていた面々にも、休息を挟む必要が出てきた。
「私は疲れた。エレナと共に一旦自室で休んで来ようと思う」
ニコレスク様はそうおっしゃった。
「それでは、いつもより多く護衛をお付けしなければ。……お前たち、行きなさい」
セキュレシティの先輩に指名されて、私たちの部隊は内心驚いたが、ビシリと敬礼で応えた。
「少ししたら交代の者を送るから、その後は少し休んでおくように。明日の朝からも気が抜けないからな」
「はっ」
まずは、ニコレスク様を部屋まで安全にお送りする。セキュレシティしか配備していない区域に入っても、一応警戒を解かないようにしておく。やがて部屋の前に着いた。既にお部屋の前で張っていたセキュレシティ隊員には、ニコレスク様が直々に事情を説明した。それから、こちらを振り返られる。
「君たち、少し待っていなさい」
「はっ」
ニコレスク様はエレナ様を部屋までエスコートしてから、戻ってきた。そして、私たちにこう言った。
「すまないが君たちに仕事を頼みたい。ミルチャ・ヴァリを始末してきなさい」
「はっ」
「やり方は何でも構わんよ」
「えっ……あ、はい。でしたらイオナ・ルスレアヌを向かわせましょう」
ペトルに指名された私は、懐にはナイフが、腰には銃があるのを、念のため確認した。
ペトルはきびきびと言葉を続ける。
「ここの警備はいっときの間であっても減らしたくはありません。イオナに一人で行ってもらうのが一番確実です」
「構わん。……頼んだぞ、ルスレアヌ君」
「はっ。ご安心ください」
「私は少し休む」
「承知しました。……お前たち、見張りにつけ。俺はイオナと作戦について話す」
「了解」
「イオナ。こっち来い」
「はい」
私たちは声を落として打ち合わせを始めた。
「何でもいいと言われたからって、堂々と正面から行くなよ」
「うん。じゃあ……秘密の通路を使って部屋に侵入して、標的が部屋に戻るのを待つ?」
「それでいい。得物はこの際何でもいいから、そうだな……今晩はお前、動けるのか?」
「戦いが終わるまでは、ドラクラムは切らさないようにしているよ」
「よろしい。なら、ナイフの方が確実だな。まあ、いつも通り臨機応変にやれ」
「分かった」
「標的はおそらく遅くまで軍隊の指揮に当たっているだろう。部屋に戻るのは遅くなるはずだ。それまで気を抜くなよ」
「了解」
「健闘を祈る」
「そちらこそ」
私はナイフの状態を確認すると、ニコレスク様のお部屋から秘密の通路を使って脱出した。
地下通路まで下りて行き、国防相の部屋を目指す。
何となく、幼い頃の記憶が蘇った。
暗くて、じめじめしていて、汚くて、ひどい匂いがして、ほんの少しだけ暖かい場所の記憶。どこだろう、これは。確か──ソロモナリアに拾われるよりもっと前のこと。そう、下水道の風景だ。私は、こんなふうに寒い夜には、マンホール下の下水道を寝床にしていた。そこの空気は外界より少し暖かかったから。
私は記憶の残像を振り払った。任務を前にして、ボケーッと他のことを考えているようではいけない。これは今までの中でも一番、重要な人物の暗殺だ。
国防相の部屋の下まで来た。秘密の通路に入り直し、部屋の裏に回る。まんまと標的の部屋に侵入した。
待つこと一時間半。
標的がくたびれた様子で廊下を歩いてくる足音が聞こえてきた。果たして、ミルチャ・ヴァリが、扉を開けて入って来た。間違いない、本人だ。
扉が閉まる。標的が扉から離れて、部屋の真ん中にまで歩いてくる。
私はソファの後ろから飛び出した。
悲鳴を上げさせる暇を与えず、床を蹴って飛び上がり、刃で喉元を抉る。
終了。
標的は首からはどくどくと真っ赤な血を流し、口からは血泡を吹いて、どうっと倒れた。
私はナイフについた血脂を拭き取ると、秘密の扉から通路に出て、その場を去った。
また地下通路を経由して、ニコレスク様のお部屋の前に戻った。
「どうだった」
ペトルが尋ねる。
「問題ないよ」
「よくやった。……これで邪魔者は消えたな」
「うん」
ニコレスク様の命令に背くなんて、とんでもない反逆者だった。国の防衛という重要な役割を任されていながら、あんな態度を取るなんて、どうかしていた。
だがこれで他の者が国防相になれる。その者が軍隊に発砲許可を出すはずだ。軍隊とセキュレシティが協力して、ブクレシト内に発生した反逆者を皆殺しにする。それで、一件落着だ。
ルイザとの共同任務もこれでおしまいか。お会いすることはできなかったが……。
そう思っていた。
やがて交代のセキュレシティ隊員が来て、私たちは休憩室に仮眠を取りに行くことになった。
だが、この後、事態は急転することとなる。
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