第10話 兆し


 再編されたばかりの私たちの特殊部隊は、たちまちのうちに成果を上げ、一ヶ月にして首都ブクレシトでの暗殺業務を一手に担うようになっていた。

 私がドラクラムを飲むとどんな案件もすぐに片付いてしまうため、次々と仕事に取り掛かることができたのだ。折しも、以前から東側諸国を取り巻いている不穏な空気のせいで、ロマニオ国内での反逆行為は目に見えて増加していた。

 仕事はいくらでも降ってきた。


 そんな私たちの部隊の働きぶりは、あっという間にお上の目に留まった。

 そして、私が入隊してから二ヶ月ほど経過した十月の下旬、私たちは何と、ニコレスク様にお目通りが叶うことになった。

 十七やそこらの若手セキュレシティが、ロマニオ大統領にしてロマニオ共産党書記長である、偉大なるロマニオの指導者、カジミール・ニコレスク様にお会いできるとは。身に余る光栄である。


 私たちは制服をピシッと着こなして、国民宮殿に踏み入った。改めて見ると目眩がするほど大きなそれは、まだ細かい部分が建設途中であるものの、ニコレスク様のお住まいとしては問題なく機能していた。大理石でできた荘厳な外観、加えて護衛のセキュレシティや軍人も多く配置されていて警備態勢も万全であり、ロマニオの最高権力者の住居として如何にも相応しかった。


 私たちは緊張した足取りで謁見の間に立ち入り、ニコレスク様にお目見えした。

 ニコレスク様は王様の玉座のような豪勢な金の椅子に座しておられた。隣には奥様のエレナ様もお座りになっている。お二人のご尊顔は、テレビで拝見するよりも一段と凛々しく、頼もしくていらっしゃった。後ろで後輩が「あぁ……」と感極まった声を漏らす。


 私たちは一人ずつ跪いて、ニコレスク様に自己紹介をした。


「ニコレスク様、ご機嫌麗しゅう。私はセキュレシティブクレシト本部特殊部隊カロレスコ班所属、イオナ・ルスレアヌと申します。こうしてお会いできましたこと、誠に幸甚にございます」

「君がルスレアヌ君かね」

 ニコレスク様はよく通る声で仰った。

「噂は聞き及んでいるよ。この短期間で、多くの反逆者を葬ってくれたとか。これからも我々のために尽力してくれたまえ」

「はっ」

「今後は君たちには、我々の周囲の人間との『仕事』を多くやってもらうことになるだろう。我々の身を守ると思って取り組むように」


 私たちは衝撃で打ち震えた。誰もが思わず、改めて深々と跪拝をした。

 これから私たちは、ニコレスク様のおそばで働かせていただけるということだ! ありがたい。この身が舞い上がるような心地だ。


「昨今はどうもきな臭い風潮がある。気を引き締めて任務に当たりたまえ」


「はっ。謹んで承ります……!」


 私の声は緊張のあまり裏返っていた。


 部屋を辞した後、私たちは興奮で上気した顔を互いに見合わせた。


「ニコレスク様のお近くで仕事ができるとは! 何と光栄なことだろう」

「生きているうちにこんな機会に巡り会えるだなんて、思ってもみませんでした」

「こんなに早く出世できるなんて、異例ですよ」

「夢みたい……。ああ、どうにかなってしまいそう!」


 本部に帰ってそれぞれの部屋に散らばった後も、私はどきどきしてなかなか寝付けなかった。


(嬉しい。私の力がニコレスク様のお役に立つんだ)


 私は目を閉じた。


(ルイザ先輩のお役にも立てたら、もっといいのに……)


 ん?

 私はむくっと起き上がった。

 ルイザ?

 何故、今、ルイザのことを思い出したのだろう。確か、あまりに嬉しくて……心の中から自然に……。

 ごく自然に、「ルイザの役に立つ方が良い」と、今、一瞬でも本気でそう思ったか?


 恐怖がじんわりと心に浸食してきた。私は布団を被り直した。


(私のニコレスク様への忠誠心は揺らがない。ニコレスク様……)


 冷え込む季節となってきていたが、セキュレシティ本部には暖房が行き渡っていて、暖かかった。

 いつまでもこの暖かさが続けばいい。周りでは嫌な風が渦巻いているけれど、ここロマニオだけは、平和なままでいて欲しい。ニコレスク様が健やかにその座に留まっていられるように……。


 ──本当は、ロマニオも危うい。

 そんなことは分かっている。どんなに自分を誤魔化しても、周囲を取り巻く事実が変わることはない。


 この二ヶ月で状況はまたしても大きく動いた。東西の対立は収束に向かいつつあり、共産圏は民主化へと舵を切っている。


 先々月には、エウロパ州の西側と東側を隔てる鋼のカーテンが、実質無効となってしまった──マージャ人民共和国が、ウスタリヒ共和国との間にある鉄条網を全面的に撤去し、両国間の移動を可能にしてしまったのだ。これを聞いた東ジェルマの国民が、チェスコスロヴィオを経由してマージャに大挙して押し寄せ、西側諸国であるウスタリヒへ、そして西ジェルマへと亡命してしまっている。ニコレスク様はこの事態を憂慮して、ソヴェティアに介入の要請を行なったが、例によってソヴェティアは知らんぷりでちっとも動きやしない。


 ソヴェティアはソヴェティアで忙しいらしかった。ソヴェティア社会主義共和国連邦の中に含まれる、バルティア海沿岸に位置する「バルティア三国」──エスティオ、ラトビオ、リトニオの三つの社会主義共和国──が、独立を求めてソヴェティアに反旗を翻している。彼らは協力して手と手を繋ぎ、三国を途切れずに縦断する「人間の鎖」を十五分間作り出すという離れ業によって、示威行動に出たのだ。これに対しソヴェティアは結局有効な攻撃を行うことをせず、手をこまねいているようだ。


 そうこうしているうちに時は過ぎ、今月に入って、今度はマージャ人民共和国が憲法を改正、共和国宣言を出して、民主化を達成した。東側諸国ではパルラントに続き二カ国目の民主化である。各国の危機感は否応なしに高まったと見ていい。


 更には、民主化とまでは行かなくても、磐石の地位を築いていたと思われていた者があっけなく失脚するような事態も起こっている。東ジェルマ民主共和国の社会主義労働者党書記長がそれだ。この御時世で、東ジェルマ内でデモなどの動きが活発化していたことに加え、ソヴェティアの最高指導者との折り合いが悪くなったらしい。書記長の首はすげ替えられた。東ジェルマでは国内における党の指導性こそ否定されなかったものの、改革の波は確実に押し寄せている。


(ロマニオだけは、どうか無事であって欲しい)


 そう、不安を抱えて眠りについたのは、つい一週間ほど前のことだったというのに。


 この日二人もの反逆者を殺した私は、さすがにくたびれて、ベッドに横になっていた。多分、ちょっとうとうとしていたと思う。何だか廊下が騒がしいなあと思った。女子隊員が慌ただしく駆け回る音がする。何だろう──と思っていたら、部屋の扉が激しく叩かれた。


「イオナ先輩!」


 特殊部隊の後輩が、声をひそめながらも、切迫した様子で言った。


「大変ですぅ! 壁が! 東ジェルマ市民がぁ!」


 そして私は、ベルリーノの壁の崩壊を知った。


 冷戦、そして鋼のカーテンの象徴たる、「ベルリーノの壁」。東ジェルマ内にあるその境界線は、首都ベルリーノを東西に二分していた。東ベルリーノは東ジェルマ民主共和国の領地。西ベルリーノは西ジェルマ連邦共和国の飛び地として、東ジェルマ内にぽつんと存在する格好となっていた。

 この壁を越えることは何人たりとも許されてはいなかった。もし壁に近づこうものなら、子どもであろうと何であろうと、秘密警察に撃ち殺される決まりとなっていた。

 その絶対的な障壁が、一夜にして無きものとなったのだ。


 ロマニオではこのことは一切報じられなかった。事件の共有はセキュレシティ内でのみ行われた。そして、錯綜する情報が何とかまとまった頃には、ベルリーノの壁は市民らの手により物理的に破壊されるにまで至っており、東ベルリーノと西ベルリーノの間の行き来は名実ともに可能となっていた。

 共産圏の優等国家が、民主化の前に屈した。


 日付は十一月十日。


 この日の事件は、これだけにはとどまらなかった。


 以前からこれまたデモが活発化していた東の隣国、ブルガロ人民共和国において、長らく独裁を維持してきた国家評議会議長権共産党書記長たる人物が、遂にその座を追われたのだ。

 隣国の独裁国家同士として、運命を共にしてきたはずのブルガロの指導者の陥落。ブルガロは共産党独裁体制を辛うじて維持することに成功したものの、この衝撃は大きかった。


 これで、ロマニオと因縁の深い隣国四ヵ国のうち、マージャは民主化、ソヴェティアは民主化を否定せず、ブルガロは独裁者失脚、南スラヴォはもう以前からどこへ向かっているのか分からないがこちらもどうやら挙動が怪しい。

 ドミノ倒しのようにロマニオに改革が波及するのは、いよいよ時間の問題と思われた。


 特にマージャの民主化は痛手だった。ロマニオの西部にはマージャ系少数民族が多いが、今彼らは明らかに隣国の刺激を受けている。


 これらの事態に加え、この月の下旬にはチェスコスロヴィオ社会主義共和国も非常に平和的に民主化を達成してしまい、ロマニオの立場はますます危うくなっていく。


 ──ベルリーノの件を含め、これらの民主化革命の動きは、やはりロマニオでは報道されなかった。ロマニオは西側諸国とは国境を接していないから、外国の電波を受け取ることもできない。検閲もセキュレシティがしっかり行なっている。そのため、国民が情報を得る手段は限られているはずだった。

 それでも、地下活動を通じて、針の穴を通すように、情報は伝播されていた。ロマニオにも改革の気運が持ち上がっている。


 セキュレシティがこんなにも頑張っているのに、国民がちっとも言うことを聞かなくなっている。殺しても殺しても、反逆者は湧いて出る。

 どうしてこんなことに。


 抑え切れるだろうか。


 ニコレスク様は、その座にありつづけることが、できるだろうか。


 偉大なるニコレスク様。尊敬すべき天才的指導者。ロマニオの救世主。

 どうか、どうか、どうか──。


 部屋に飾られている、若かりし頃のニコレスク様の肖像画を見上げて、私は祈った。


(やっぱり、私は忠誠心をちゃんと持っている。ルイザ先輩のことは……うん、世界一好きだけど、それとこれとは別なんだ)


 私は私のすべき仕事をこなすだけ。この、恵まれた体質を活かして、ニコレスク様のお役に立つだけ。


 ***

 

 十二月になった。


 一日、東ジェルマ民主共和国は、同国社会主義労働者党の国家における指導性を放棄した──即ち、独裁が終わった。


 二日、南の国マルティアにおいて、アメリーコ合衆国の大統領と、ソヴェティア社会主義共和国連邦の最高指導者が、歴史的な会談をした。この様子は、テレビでも報道された。

 三日、会談の結論が出た。

 冷戦は終結とする。


 アメリーコとソヴェティアは対立をやめる。つまり、共産主義圏である東側諸国と、資本主義圏である西側諸国が、対立をやめる。


 ロマニオはひとりぼっちだった。

 仲間たちはみんな離反してゆき、頼る相手も無くし、憎む相手すらも無くしてしまった。


 あとは、確固たる信念のもと、独自の道を貫くしか方法が無い。


 大丈夫だ。

 ロマニオ社会主義共和国は、以前からソヴェティアと仲違いをし、チャイニオや西側諸国に近づくなどといった、独自の道を歩んできた。「東側諸国の異端児」として脚光を浴びていたのだ。

 それもこれもニコレスク様のおかげ。

 今こそその底力を示す時だ。


 ロマニオでは、ニコレスク様の権力は不滅なのだ。


 セキュレシティは、そのようにして、悲壮な決意を固めていた。


 しかし、そんな日々も、やはり長くは続かなかった。


 十二月十六日。

 全てが凍りつく季節。

 山岳部の町ティショラにて、反乱の狼煙が上がる。


 それは、ロマニオを守らんとするセキュレシティと、ロマニオに住む国民たちとの、正面衝突の始まりだった。


 この後ロマニオでは、血の惨劇が繰り広げられることになる。後世の歴史でも長く語り継がれることになる、大きな大きな争いが。

 東側諸国の中でも屈指の苛烈さを見せたこの戦いの行方を、全てのロマニオ国民が、固唾を呑んで見守っていた。


 私は、その当事者として、戦い、守り、殺し、そして──。


 本当に不滅なものが何なのかを、思い出したのだった。

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