第7話 邪魔

 士官学校に帰る前に、一つ気がかりな情報を言い渡された。

 二月の頭に、東側諸国の一国であるパルラント人民共和国で、民主化のための会議が開かれたらしい。それは今もまだ開かれっ放しであり、日夜話し合いが行われているそうだ。

 間違いなくこれは、ソヴェティアの行なっている政治経済の改革「建て直し政策」の影響だった。最初はこの改革に半信半疑だった諸国だが、ついにパルラントが共鳴して動き出したのだ。

 ロマニオはというと、「建て直し政策」に反発して、ソヴェティアとは違う道を歩んでいる最中だ。

 故に、この情報はセキュレシティ内にとどめておく必要がある。決して一般の人々に漏らしてはならない。

 民主化だなんて、諸外国はとんでもないことをするものだ。恐ろしい。ロマニオではそんなことはとても考えられない。

 ニコレスク様の統治こそが、唯一にして絶対のものなのだから。


 ***



 春学期が始まって幾日かが経過した。


 私はいつものように中庭に行って、ルイザとフロリカの隣で昼の軽食を摂っていた。


 私は、黒パンを食べるルイザを眺めながら、少し髪が伸びているなあ、とか、初めて会った時より筋肉がついていて凄いなあ、とか、そろそろ生理が始まる頃だが平気だろうか、といったことを考えていた。


 ルイザとフロリカの今日の話題は、五月に予定されている合宿についてだった。

 近くの演習場まで鉄道で行って、戦車や大砲を扱うそうだ。


「将来そんな重機を使うことになるとは思わないけど、まあ、貴重な機会だろう」


 ルイザは言った。


「そうねえ。最近はソヴェティアのやる気が無いから、マスクヴァル条約機構の各国合同演習も全然無いし。かといってどこかの国が攻めてくるわけでもないでしょうし」


 私はフロリカの話に適当に頷きながら、邪魔だなあと考えていた。

 フロリカが邪魔だ。鬱陶しい。

 彼女がいなければ、朝も昼も夜も、ルイザと二人きりでいられるのに。今のままでは、朝も昼も夜も、ルイザのいるところにはフロリカがついて回る。

 秋学期はそれでも勉強を見てもらうことでルイザと二人きりになれた。だが春学期ともなると二年生の授業内容は訓練ばかりになっている。勉学以外のことで忙しくしているルイザに、無理矢理頼み込むのは気が引けた。だからしばらく勉強会はしていない。

 すると驚くほどに、二人でいられる時間がなくなった。


(消えて欲しい人は排除すればいいって学んだけれど。それが反逆者じゃない人だった場合はどうするかな……)


 証拠もないのに粛清してもらうのはやや困難だ。しかも相手が軍人の家系の御令嬢とあっては。

 私はパンの最後の一欠片を口に押し込んだ。フロリカは呑気な顔でルイザとの会話を楽しんでいる。


(他に可能な手段は、事故死に見せかけた暗殺かな)


 それは物理的には可能なことだ。だが心理的には……。

 私は真っ当な人間および見知った人間を殺したことがない。罪のない人を殺す気にはなれないし、知り合いを殺すのは恐ろしかった。仮にやれと言われても体が動かないだろう。昔、仲間たちを殺せなかったように。


(やっぱり相手が反逆者でないと何もできないなあ)


 反逆者でさえあれば、何をしたっていいのに。

 反逆者になってくれないかな。

 ニコレスク様に反抗する人が増えることを願っていいのか疑問だけれど、どうせ一人二人増えたところで変わりはしない。

 だから……。


「イオナ?」


 ルイザの声がして、私ははっと我に返った。


「どうしたんだ。ボーッとして」

「あっ、いえっ、何でもないです!」

「そうか? 体調が悪いなら……」

「わ、悪くないです。お気遣いありがとうございます!」

「気遣いという程のことじゃないよ。何もないなら良かった」


 ルイザが微笑んだので、私は頬が熱くなるのを感じた。

 ああ、この笑顔を早く独り占めしたいんだけどな……。


 ***


 フロリカを排除する手段を考案するのに、私はまるまる一週間は消費した。にもかかわらず、ろくな成果はなかった。

 あの人はまるで隙がない。普段は言いたい放題言うくせに、肝心なことは何も言わない。

 ただ一つだけ、以前、フロリカがこう言ったのを私は思い出した。


 ──ロマニオを良くするため、ですって! ルイザは国のためだなんて一言も言っていないのに!


 攻めるとしたらここしかない。もたもたしている時間が惜しいから、もう覚悟を決めてしまおう。


 フロリカと二人きりの時間を作るのはそう難しいことではなかった。ルイザが自主訓練をしていて寮にいない時、よくフロリカは読書に勤しんでいたから。


 だから、決戦の時はすぐに訪れた。

 例の如く机に向かっているフロリカを見て、私は密かにポケットに入れていた録音機のスイッチを入れた。それから、深呼吸をして、声をかけた。


「あのう……フロリカ先輩」

 返事は無かった。私は声を張り上げた。

「あのっ。フロリカ先輩!」


 フロリカはおもむろに顔を上げた。


「何かしら」

「聞きたいことがあって。フロリカ先輩は、どうして軍人になりたいんでしたっけ」

「あら。改まってなあに?」


 フロリカは本を閉じた。表紙にはエリアードと書いてあった。作者名だろうか。

 フロリカはこちらに向き直ると、可笑しそうに口角を上げた。


「前にも言ったでしょう。うちは代々軍人の家系なの」

「それは、聞きましたけど。だからって、軍人にならなくてもよくないですか?」


 フロリカは面倒くさそうに溜息をついて、本を閉じた。


「親のコネを使いたいのよ。一応、後継ぎだし」

「えっ。後継ぎ?」

「あら、驚くようなこと?」

「でも、お兄様がいると聞いたので」

「ああ。兄様は生まれつき目があまり見えないから、軍人には向いていないわねぇ」

「ええっ」

「だから私が稼ぎ頭にならなくちゃいけない。でないと家が没落して、家族が路頭に迷っちゃうわ」

「……」


 そうか、そんな理由だったのか。私は納得が行った。

 ──それならば。

 私は鼓動が早まるのを感じながら、慎重に問いかけた。


「やっぱりフロリカ先輩も、お国のためというわけではないのですね」


 フロリカはあっさりと頷いた。


「そりゃあそうよ。自分を大事にするので精一杯」

「……国に尽くすのは嫌ですか」

「……んー」


 フロリカは私から目を離して、顔を正面に向けた。


「フロリカ先輩?」

「私、嘘がつけないのよね」

「え? 知ってます」

「だからこのお話はここまでよ。真面目でお馬鹿なイオナちゃん」


 静かな、しかし有無を言わせぬ口調だった。

 そして、その日の私たちの会話は、それっきりだった。


 ***


 その月の報告会、いつもの喫茶店にて、私は録音したものをペトルに提示した。


「……これ、証拠になる?」


 ペトルは緊迫した様子で、見せてみろ、とヘッドホンを装着した。

 聞き進めるにつれて、その顔がだんだんと、珍妙なものでも見ているかのように歪んでいった。最後に彼はうーんと唸った。


「国に尽くすのが嫌かという質問の答えを濁しているところが怪しいといえば怪しいが……この程度では……。というか」


 ペトルはヘッドホンを丸テーブルに置いた。


「こいつはお前の同居人じゃないのか?」

「うん、そう」

「なのに見つかった証拠がこれだけか?」


 呆れ返ったように言われて、私は縮こまった。


「……うん」

「はぁ。本当にこいつは反逆者なのか」

「……さあ」

「珍しいな。もしや、こいつに何か意地悪でもされたか」


 軽い口調で問われた。私は俯いた。


「……まあ、そんなとこ」

「……驚いた」


 ペトルは私の顔をまじまじと見つめて言った。


「お前が本当にそんなことを言うとは」

「……そうかな」

「ああ。何かあったのか」

「……ちょっと、言いづらい……」

「ふむ」


 ペトルは考え込む様子を見せた。


「そういうことなら、お前がただ普通に密告すればいいだけの話だ。ま、大きな声じゃ言えないが……たまにあるだろう、誤報による冤罪が。痴情のもつれやら何やらで嫌いな人間をわざと密告するやつ」

「う、うん」

「そういう場合、真実はどうあれ、セキュレシティの判断が法的根拠となるからな。お前が判断したことにして、証拠は後から吐かせればいいだろう。吐かなかったとしても、何ヶ月か拘束するくらいはできる」

「そっか。そうだよね」


 私は気持ちが明るくなるのを感じた。

 問題は思ったよりもずっと簡単だった。

 捕まえて拷問して自白でもなんでもしてもらえばいいだけの話だったんだ。

 自白してしまえばもうこっちのもの。彼女は反逆者で決まりということ。

 これで全て解決する!


「じゃあ、この録音を提出します。後を頼んでもいい?」

「仕方ないな……」


 ペトルはやれやれといった様子で首を振った。


「じゃあ、何か適当な紙……これでいいか」


 鞄の中から出された用紙とペンを、目の前に置かれる。


「ここに必要事項とサインを書いてくれ。それで正式な密告となるはずだ」

「分かった」


 そう頷いた私の顔は、さぞ晴れやかだったことだろう。ペトルがやや複雑な表情で私のことを見ていた。


 ***


 フロリカの検挙は私とルイザのいる前で、白昼堂々と行われた。


「セキュレシティの者だ。フロリカ・ポーペ! 同行してもらう!」

「まあ」


 フロリカは目を丸くした。


「私が何か?」

「質問は禁ずる」

「あらまあ……」

「待ってください!」


 ルイザが動揺した声音で、セキュレシティに話しかけた。


「これは何かの間違いです。彼女はあなた方に連れて行かれるような人じゃない! 同居人であり友人であるこの私が保証します!」


 だが、セキュレシティは何も聞こえていないかのようにフロリカに手錠をかけてしまう。


「フロリカ!」


 ルイザの声は悲痛なものへと変わっていった。


「フロリカ先輩……」


 私は呆然とした風を装って言っておいた。


 当のフロリカは、私たちを安心させるかのように、呑気な笑みを浮かべた。


「大丈夫よぉ。大したことにはならないわ」

「しかし」

「心配しないで。それと、あまり落ち込まないで頂戴ね」

「フロリカ……!!」


 フロリカは一瞬、冷たい眼差しを、私に向けた。


(……!)


 だが彼女はまたすぐ、あの笑みを見せた。

 そしてそれを最後に私たちに背を向け、セキュレシティに連れられて、一〇七号室を出て行ってしまった。


「フロリカぁ!」


 ルイザが叫ぶ。フロリカのことを追いかけようとしたが、残っていたセキュレシティがルイザのことを押しとどめた。

 廊下には騒ぎを聞きつけた女子生徒たちが詰めかけていた。


「死なないで。無事で帰って来てくれ……!」


 ルイザはフロリカの背中が見えなくなるまで見つめていた。それから、へたっと床に座り込んでしまった。


「……そんな」


 その呟きはあまりにも小さく、弱々しかった。落胆している彼女の姿は、今にも脆く崩れ去ってしまいそうなほど儚く見えた。


 私は胸が痛むのを感じた。ルイザの悲しむ姿を見るのはつらい。


 そして、これほどまでにルイザの心の支えとなっていたフロリカに、嫉妬の気持ちが燃え上がる。

 許せない。私の方がルイザのことが好きなのに。


 だが、フロリカはもうここへは帰ってこない。今となっては私だけが、ルイザに寄り添える存在だ。今度は私がルイザの心の支えになれる。


 甘美な喜びが、胸にひたひたと押し寄せてきた。


 これで、二人きり。

 ルイザは私のものだ。


 私の。私だけの。

 朝も昼も夜もルイザと、ずっとずっとずっと。

 この一〇七号室が私たちの愛を育む秘密基地。


 まずは優しく慰めてあげよう。友人を失って悲しむルイザの心の傷を癒やしてあげよう。そうしたらルイザは私に頼ってくれるだろうか。私のことを優しい人だと思ってくれるだろうか。私に少しでも心を寄せてくれるだろうか。私を特別な人だと思ってくれるだろうか。

 ああ、ああ! 楽しみだ。楽しみで仕方がない。これからの生活に、障害物は何もないのだ。憂うようなことはもう何もない。何一つ。

 何と素敵な事だろうか。

 叫び出してしまいたいほどに幸福で、間違いなく最高の気分だ。嬉しくて嬉しくて、体が内側から爆発してしまいそう。

 きっと私はうまくやってみせよう。ルイザが私の唯一であるように、私もルイザの唯一になるのだ。


 ウフッ。

 ウフフフフフフフフフ。

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