第6話 追憶

 次の日、私はセキュレシティのブクレシト本部に急遽連絡を入れ、録音したものを証拠品として提出した。

 捕縛のための部隊はその日のうちに学校まで派遣された。身分が知られるのを避けるため、私は現場に居合わせなかったのだが、ラドゥ・エーダーは粛々と連れて行かれたと聞かされた。


 残りの休み期間を私は、エーダーが消えた嬉しさ半分、ルイザに会えない寂しさ半分で過ごした。やがて年が明け、待ちに待った日が訪れた──ルイザが一◯七号室に帰ってきたのだ。ついでに、フロリカも帰ってきた。

 私は二人に、はにかみながら、遠慮がちに、新年のご挨拶をした。


 それから、こっそりルイザの様子を観察し始めた。果たして翌日、級友と会話を交わしてきたルイザは、寮に戻った後、やや青い顔をしていた。


「どうかしたの、ルイザ? 顔色が悪いわねぇ」


 フロリカが例の如く直球で質問をぶつける。ルイザは力無く首を振った。


「……エーダー君が、セキュレシティに捕まったと聞いて」

「あら、まあ!」


 フロリカは声を上げた。私も驚いたふりをして「へえ」と言った。


「可哀想に! あの子、ルイザのこと好きだったでしょう?」


 余計なことを、と私は苦い顔をした。

 一方ルイザは虚をつかれた様子だった。


「……へ?」

「え? やだ、気がついていなかったの?」

「いや、嘘だろう」

「嘘じゃないわよ」

「第一、私はこの学校で恋愛をする気などさらさら……」

「あなたにその気がなくっても、相手がどう思うかは分からないじゃない」

「……そうか」

「そうよ」

「……」


 ルイザはまだポカンとしていた。それから悲しそうに目を伏せた。


「そうか。それは、申し訳ないことをしてしまったかな」


 よもや、ルイザのエーダーへの情がこの段階で芽生えることはないだろうが……私は注意深くルイザの顔色を見た。……ルイザは恐らく、単に友人が粛清されたという事実にショックを受けているだけだろう。私はそう判断した。


 ***


 それからの約二ヶ月間は、私はすっかり安心して過ごすことができた。もう何も心配はいらない。

 セキュレシティ本部からは、ラドゥ・エーダーを密告した件で多大なる評価を頂いている。それに、奴がルイザに近寄ることはもう金輪際ないのだと思うと、愉快で仕方がなかった。


 これぞ充実した学園生活というものだ。


 勉強も、ルイザに見てもらっているお陰で、何とか食らい付いていけている。訓練は言うまでもなく、ドラクラムの力を借りて好成績を残し続けている。

 私は絶好調であった。


「ルイザ先輩!」


 私は、期末試験の結果を大事に抱えて、二年生の教室まで走っていった。名を呼ぶと、何事かと周囲の視線を集めながら、ルイザが出てきた。


「どうした、イオナ」

「ルイザ先輩。お陰様で、私、歴史の試験で八十点を取れました!」


 私が誇らしげに広げて見せた答案用紙を見たルイザは、大きく破顔した。


「よくやったじゃないか。偉いぞ」


 ルイザは、訓練で荒れたその手で、私の頭をぽんぽんと叩いてくれた。

 私は嬉しさと恥ずかしさで顔が熱くなるのを感じた。体がその場からふわふわと浮き上がってしまいそうだった。


「ありがとうございます……っ」


 そんな風にして、秋学期は終了を迎えた。

 私は今度こそ、ソロモナリアに一時帰宅することになっていた。

 またしてもルイザと離れ離れになるということが耐えられなくて、私はちょっと駄々を捏ねた。


「先輩ともっと一緒にいたいのに」

「うん? それはもっと勉強を教えてほしいということかな?」

「ち、違いますっ。あ、いや、それもありますけれど……。ルイザ先輩とお喋りするの、私、大好きなんですよ。こんなに話していて楽しい人に会ったのは、生まれて初めてなんです」

「ははは。イオナは大袈裟だなあ」

「いえ、本当のことですから……ね?」


 そうは言っても、冬季休みは待ったなしで訪れる。

 先輩たちは再び各々の実家に帰ってゆき、私は覆面の車に乗せられてソロモナリアへ向かったのだった。


 ***


 見慣れた門の前で降ろされる。私は荷物をガチャガチャ言わせながら、久しぶりに宿舎に帰ってきた。

 ──懐かしのソロモナリア。小さい頃から何も変わらない。私を最底辺の生活から救い出してくれた恩人であるセキュレシティの、総本山。


 荷物を置いた私は、ドサッとベッドに倒れ込んだ。掃除を長らくしていなかったのか、埃っぽかった。

 ここが、私の家であり、故郷なのだ。


 ──拾われる以前のことは、よく覚えていない。年上の浮浪児たちの助けを借りつつ、財布をスッたり、泥水を啜ったりして、何とか命を繋いでいた気がする。そんな日々の中で、偶然、通りかかったセキュレシティに拾われて、私はソロモナリアに来たのだ。当時、推定五歳だったという。ちょうど今日のような寒い日のことで、少しでも遅れていれば、私は路上で凍死していた可能性があったらしい。


 ソロモナリアはいいところだった。食事が出るし、寝床もある。毎日勉強を詰め込まれるのには辟易したけれど、たくさん運動をさせられるのはさほど嫌ではない。ソロモナリアにいる間は敷地内から出ることは禁じられていたが、特に不自由も無かった。


 十歳の頃、私は初めて身体強化薬ドラクラムを摂取した。その時に薬に適合しなかった者は、普通の孤児院に払い下げられるか、里子に出されるか。反対に、ドラクラムへの高い適合率を示した者たちは、特別な研鑽を積むことになっていた。私たちはそこで、暗殺や諜報に必要な技術を叩き込まれた。

 私は諜報の座学や実践の成績がとても悪く、いつも最下位だった。反対に、ドラクラムを用いた戦闘訓練では、ずば抜けて良い成績を残していた。


 そして十二歳の時、みんなで戦闘の試験を受けることとなる。


 ナイフ一本を持たされただけで、何も知らされず部屋に通された私たちの前に、かつての仲間たちが現れた。ドラクラムに適合しなかった仲間たち──精神状態を著しく損なうという副作用が出てしまった子どもたち。彼らがソロモナリアから里子に出されたというのは大嘘だったのだ。彼らはドラクラムを試すための人体実験の材料として使われ、そして今日──


「彼らにはあらかじめ、君達と同様にドラクラムを与えてある。体が適合していないから、効果は不完全だがな。……この者たちを処分すること。それが、セキュレシティになるための試験だ。説明は以上。試験開始だ」

 試験官は、淡々と言ったかと思うと、さっさと部屋を出て行った。

「そんな……」

 しかし、ショックを受けているのは私一人だけだった。

 一緒に試験を受けに来た仲間たちは、みな、迷わずナイフを構えた。

「ニコレスク様、万歳!」

 彼らは口々に叫んで、かつての仲間だった子どもたちの元に突っ込んでいった。


 戦いは凄惨なものだった。とても見ていられないものだった。両陣営が薬の力を借りて猛攻を繰り広げていた。誰も彼もが必死でナイフを振るうから、そこらじゅうに血と肉が飛び散っていた。その様子を私は呆然と見守ることしかできなかった。──全てが終わるまで。

 かつての仲間は全員、あっけなく殺されてしまった。


 私がただただ体を硬直させていると、返り血にまみれたペトル・カロレスコが、憤怒の表情で詰め寄ってきた。

「何考えてんだ、イオナ!」

 彼は私の胸ぐらを掴んで怒鳴った。

「二人で一緒にセキュレシティになろうって、約束したじゃないか! どうして奴らを殺さなかった! どういうつもりだッ!」

「だって……」

「だってもくそもあるか。信じられない。このままじゃお前は……」

「静かに」

 試験官が入室してきた。私たちはぴたりと動きを止めた。

「……はっ」

「イオナ・ルスレアヌ。君は不合格だ。──後日、内部粛清班による殺処分が行われ……」


 まあ待て、と部屋に割って入った者がある。ドラクラムの研究開発を担当しているセキュレシティ隊員、マリサ・フィエラルだ。彼女は白衣をはためかせて私に近づいてきた。


「彼女ほどの戦略を切り捨てるのは惜しいとは思わんかね」

「……それは……しかし、これは明らかに欠陥品だ!」

「否。見たところ、彼女はドラクラムへの耐性が強すぎて、一部の効果が出にくいというだけのようだ。そうだね、私なら一年ほどで彼女に合うドラクラムを開発できるだろう」

「な、何を仰っているのか……」

「分からんかね? 彼女の実験がうまくいったら、一年後に、彼女のことを合格にして欲しいと言っているんだ」

「……!」


 この申し出は一旦保留となったが、最終的には採用された。よって私は、フィエラルの実験に付き合うこととなった。


「君の場合、ドラクラムにあるはずの『行動の際の心理的な縛りを外す』という、いわば洗脳のような効果が、いまいちよく出ていなかったようだ。この効果があってこそ、セキュレシティは共産圏の中でも最強の戦力を誇る秘密警察組織を名乗っているわけなのだが……」


 フィエラルは研究室で忙しく立ち回りながら話した。


「君が試験で彼らを殺さなかったのは、彼らがかつての仲間だったからだろう?」

「はい」

「そこにまだ心理的な縛りが存在していたというわけさ。ニコレスク様のことを思えば、同族殺しなど容易いはずだが……よっと」


 フィエラルは何か重そうな荷物を棚から下ろした。


「あの、私、手伝いましょうか」

「結構だ。ともかく、君は、初めての殺人に失敗した。だがまあ、内部粛清班に配属されるのでなければ、身内を殺せないのは大した問題ではない。『反逆者であれば問題なく殺せるようになる』これをこの一年間の目標としようではないか。洗脳作用を強めるよう、成分を調節していくよ。これで君のニコレスク様への忠誠心は、ひとまず完璧なものになる。そうだろう?」

「分かりました」

 私は素直に頷いた。

「立派な戦闘員になるためなら、頑張ります」

「よい心意気だ」

 フィエラルは口角を吊り上げて笑った。


 薬物投与の実験が始まった。そして、フィエラルの天才的な調合により、半年のうちに私に会う薬が開発されたのだった。


 私は、ペトルたちよりも半年遅れで、セキュレシティの仲間入りを果たした。それから私は、暗殺業務を主に担えるまでに成長したのだ。

 立派な戦闘員になる日は近い。

 だが、他の技能は、からっきし駄目。更に、身内を殺すことができない。

 それ故に私には、何かと「欠陥品」という言葉がついて回るようになったのだった。


 ***


「どうだ、久々のソロモナリアは」


 休暇中とはいえ、トレーニングは必須である。走り込みの合間に中庭で休憩をしていると、ペトルが歩み寄ってきた。


「うん」


 私は適当に返事をした。正直なところ、ルイザと会えないだけで発狂しそうだったが、そんなことを言うのは恥ずかしかった。


「士官学校では成果を上げたそうじゃないか。お前でも、やれる時があるんだな」

「うん」

「まあ、俺が見てやったお陰だろうがな」

「うん……ありがとう」

「ふん」


 ペトルは話し終わっても、私のそばを去ろうとはしなかった。

 澄み渡った冷たい風が吹き付けて、訓練後の体に心地いい。

 私はまた、ルイザ先輩のことを考えていた。


「お前が士官学校で任務をするのも、あと半年の辛抱だ」


 おもむろに、ペトルが言った。


「その後は、戦闘員として働けるようになる。俺との共同任務も増えるだろうな」

「……」

「お前一人での任務があと半年も続くと思うと肝が冷えるが、まあ、それさえ乗り切ればあとは大丈夫だ」

「……」

「? イオナ?」

「……ああ」


 私はペトルを見上げてふにゃりと笑んだ。


「私はこれからの半年を、充実したものにしてみせるよ」

「え? ああ、うん……」

「軍人との人脈はきっと今後の役に立つ。気は抜かずに任務に励むから」

「そ、そうか。せいぜい頑張れ」

「うん」


 私は立ち上がった。


「じゃあ、あともう一っ走りしてこようかな……」

「……俺も。次こそ勝つ」

「そんなこと言って、勝てたことなんて数えるほどしかないでしょう」

「うるさいぞ、欠陥品。やってみなければ分からないだろう」

「……うん。じゃあ、行こうか」


 整備された広大な訓練場に出て、私とペトルは走り出した。

 必死になって私の速さについてこようとするペトルを横目に、やはり私はルイザ先輩のことばかり考えていた。


 ルイザ先輩。早くお会いしたい。先輩、先輩先輩先輩。

 あなたとの時間は、あと半年しか残されてはいないのだ。

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