第3話 調査
監視対象:ルイザ・シャラル。ブクレシト短期士官学校に通う女生徒。十七歳、二年生。身長は百七十センチ程度、比較的痩身、髪の毛は短く金色である。
以下にルイザの主な行動様式を記す。
ルイザは朝の五時半前後に起床する。着替えて軽くジョギングをした後、自習をして私たちが目覚めるのを待つ。その後、私とフロリカが身支度を整えるのを待ってから、一緒に食堂に朝ご飯を食べに行く。ママリガ(トウモロコシ粉の粥)を添えた肉料理など、結構しっかり食べることが多い。
それからもう一度身支度を整えに寮に戻って、時間になったら私とフロリカと一緒に校舎に向かう。私とは学年が違うし、フロリカとは組が違うので、ルイザは一人で教室に入る。
教室ではルイザはみんなの人気者である。実に多くの生徒から「おはよう」と声をかけられる。それらにルイザも明るく返事をする。
ルイザの周りには常に人がいるようだ。授業が始まるまでの間、ルイザは級友たちと雑談をする。話題は専ら勉強や訓練のことだ。昨日の宿題が分からなかったから教えてくれという生徒も多い。
授業中もルイザの有能さは遺憾なく発揮されている。教師からの質問には完璧な答えで返答しているほか、他の生徒にも積極的に教えているようだ。
短い昼休みが訪れると、ルイザはフロリカと待ち合わせて中庭のベンチに座りに行くことが多い。ルイザは組では誰にでも分け隔てなく接するぶん、特別に親しい人物を作ろうとしない傾向にあるようだ。同室のフロリカとは親睦を深めることができているらしく、よく共に行動している。
昼には小さくて粗悪なパンを軽く口に詰め込む程度。あとは和やかにお喋りをして過ごす。最近は私もそこにご一緒させてもらっている。だがすぐに午後の授業が始まるので、楽しい時間は長続きしない。
体力育成の訓練では、ルイザはあまり良い成績を取れないでいるようだ。決して運動ができない方ではないのだが、男子の中ではどうしても劣ってしまう。よく教師の叱責を受けている様子が耳に入る。
放課後は自主勉強をする生徒がある程度いるのだが、ルイザは毎日必ず教室に残って予習と復習を行なっている。周りには必ず、ルイザに勉強を教えてもらおうという生徒たちがいて、一緒に勉学に励んでいる。
中でも毎日ルイザと自習を共にしている男子生徒がいる。名をラドゥ・エーダーという。身長は百八十センチメートルほど、がっしりした体格の持ち主で、暗い茶色の髪の毛を持つ。ラドゥは毎日ルイザと共に過ごすばかりか、積極的にルイザに話しかけようとしている様子が聞き取れた。ラドゥは勉強に関係ない雑談をすることがある。九月十五日午後四時三十分頃、「貧しいのは仕方がない。現政権がね……」という発言をしていた。ラドゥはルイザに近づいて反逆的な思想を吹き込もうとしている輩である可能性がある。
自主勉強が終わるとルイザは荷物をまとめて寮に帰る。フロリカや私と雑談をしたのち、再び共に夕食を摂りに食堂へ向かう。チョルバ(具の多いスープ)などの温かいものを好んで選ぶようだ。
寮に帰った後もルイザは一人で自習を続けるが、消灯時間よりも早い夜の九時半には就寝してしまう。意外と寝相が悪いので、私は気づいた時には毛布をかけ直すことにしている。
総じて、ルイザの生活態度は模範的で、規則正しく勤勉である。反逆的な思想に堕落する余地は見受けられない。たいへん喜ばしいことである。
しかし周囲の人間から良からぬ影響を受けることが考えられるため、今後も注意して見守る必要がある。
***
「……何だ、これは」
ペトルが思いっきり渋い顔をして言った。私は、肩を竦めてエヘヘと笑った。
「この一か月の活動報告書、かな」
ペトルがハアーッと盛大な溜息をついたので、私はビクッとした。
私は休日を利用して、短期士官学校への潜入任務の報告をしに、町のセキュレシティ御用達の喫茶店に入っていた。そこで、私のお目付け役を担当することになった同期のセキュレシティ隊員ペトル・カロレスコと、こうして話しているわけだ。
「一月もかけて、お前は、こんなことを調べていたのか?」
ペトルは呆れ顔で、レモンティーの入ったカップを持ち上げた。上品で爽やかな香りが漂った。
「こんなことって?」
私は首を傾げる。
「私の報告書、どこかおかしかった?」
「どこか、だって? 一から十まで全てだよ!」
ペトルは口調を荒くした。
「お前は、このルイザ・シャラルとかいう同居人のことしか、調べてこなかったのか? 一ヶ月もあったのに?」
「えっ?」
「チッ。こんなことだからお前はいつまでも欠陥品なんだ」
ペトルは小声で吐き捨ててから、険しい目つきで私のことを睨みつけた。
「他にも調べるべきことは山のようにあっただろうが。お前はまず、一年生の間で人脈を築いて、もっと広く浅く情報を収拾するべきだった。その方が反逆者を見つけるのには手っ取り早いだろうが。こんな簡単なことも分からなかったのか? 寝食を共にできるような生徒のことなんて、今から慌てて詳しく調べずともよかった。しかも反逆の容疑がある訳でもない二年生のことなんてな。……こんなことに一ヶ月も費やしてしまっては、一年生の間での人脈作りは決定的に出遅れてしまっているだろう」
「あ、あわわ……」
「いいか、せめて今からでも、一年生の情報を探るんだ」
「じゃ、じゃあ、このラドゥ・エーダーのことは……」
「それも同時進行で調べるに決まっているだろう! 愚図が。お前は本当に、俺がついていないと駄目な奴だな」
「ごめんなさい」
私は小さくなって詫びた。ペトルはフイと顔を逸らした。
「……まあ、前任者も見逃していた反逆の兆候を掴んできたことだけは、褒めてやってもいい。引き続き励めよ」
「う、うん!」
「……ここの会計は俺がやるから。お前は先に帰っていろ」
「ありがとう。ペトルも、お仕事気を付けてね」
「お前に言われるまでもないことだ」
「うん。じゃあね」
私は立ち上がった。ペトルはこちらを見ずに、不機嫌そうに手を振った。
***
店を出て、大通りに歩を進める。
建設途中の国民宮殿の威容ある姿が、目に飛び込んできた。遠くからでもよく見える。
大理石でできた白い壁は神々しく、厳かな雰囲気を湛えている。何よりその大きさが凄い。目の錯覚かと思うほどに、とにかく大きい。何でも、これが完成したら、世界で二番目に大きな建築物となるそうである。素晴らしいことだ。この宮殿に比べたら、車などは豆粒以下。人間などは定めし微生物といったところか。とにかく、圧倒される。
ニコレスク様はこれほどにも偉大なのかと、改めて感じ入ってしまう私だった。こんな素敵なものを、白黒の画面越しではなく実際に間近で見ることができるなんて、ブクレシトに出てこられて良かったと思う。
そういえば、ブクレシトに来てから、まともに町の中を散策などしてこなかった。ちょうどいい機会だから、少し寄り道をしてみようか。
大通りの両脇の建物群は、どれもきっちりと同じ色、同じ大きさ、同じ形に統一されていて、整然と並んでいる。ニコレスク様の作る都市は実に綺麗に統制されたものなのだ。ここに住まう者はさぞ幸福であろう。
(そういえば、ルイザ先輩は昔はこの辺りに住んでいたんだっけ)
四年前に家が潰されてしまったと言っていた。運の悪いことだ。だがそれも、この素晴らしい都市計画のための必要な犠牲だということだ。むしろ誇らしいことだといえよう。
私は適当な所でふらっと横道に入った。大通り以外の場所はどんな様子だろうかと、ほんの少し気になったのだ。
そして、ふらふらと歩いてたどり着いた路地裏の風景に、私は失望した。おぼろげな記憶にあるもの──捨てられて路上で辛うじて命を繋いでいた頃と、ほとんど変わりがない。否、より小汚くさえ感じられた。
薄暗い路上に力無く寝そべっている、手足の異様に細い子どもたち。ボロをまとって、埃と泥にまみれている。下水道にも出入りしているのだろう、ひどい匂いがした。──大人はいない。彼らの多くは大人にはなれない。凍え死ぬか、飢えて死ぬか、病気で死ぬかり
子どもたちは、突然ねぐらに身なりの良い人間が現れたのを見て、虚な瞳に爛々と光を灯らせた。施しを期待しているのか、それとも何か盗もうとしているのか。
私は財布から何枚かのお札を出すと、子どもたちの前に置いた。
どうせ使い道のない給料だ。くれてやった方がいくらか国の役に立つ。
「喧嘩しないで、仲良く分け合うこと」
私の言葉が聞こえていたのかいないのか、ヒョロッとした大将格らしき子どもが大急ぎでお金に飛びついた。私は踵を返して、路地裏を後にした。
──あの浮浪児たちは私だった。本当なら私もああして、飢えに苦しみながら、近づいてくる死を待つばかりの生き方をしていたはずだった。
許し難し、反逆者共。いたいけな子どもをあんな目に遭わせるなんて。人の心を持ち合わせていないのか。
奴らは私がこの手で抹消する。絶対に!
そうしたらニコレスク様は、必ずやこの哀れな人々を救ってくださるはずなのだ。
決意を胸に、てくてく歩いていた私は、ふと立ち止まった。
「あれ? ここどこ?」
どうやら道を間違えてしまったらしい。
***
「ただいま戻りました」
私が苦労して、どうにかこうにか女子寮一◯七号室に帰ると、ルイザとフロリカは、珍しく二人で同じ本を覗き込んでいた。
いいな、と私は思った。私も混ざりたい。いや、できればルイザと二人が良いのだけれど。
「おお、お帰り」
ルイザは顔を上げて笑った。
「長い散歩だったね」
私は愛想笑いをした。
「好きなんです、歩くの。ブクレシトの町は初めて見るものばかりで、楽しかったですよ」
「そうか。良かったな」
「先輩方は一体何を?」
「ああこれ、フロリカのおすすめの本だよ。近代の詩人エミノヴィチの詩集」
エミノヴィチ。聞いたことだけはある。
正直、詩集などというものには一ミリも興味が湧かなかったが、私だけ仲間外れになるのは嫌だった。
「私も見ていいですか?」
「おいでおいで」
ルイザが手招きをしてくれたので、私は密かに胸を躍らせながらルイザの隣に座った。開かれたページに目をやると、そこにはごく短い詩が綴られていた。
「星」
星は遥か彼方より
この天穹に昇るなり
幾千年の時をかけ
光は我らに届きけり
さだめし遠き昔日に
蒼天の中に燃え尽きて
ただ残されし光のみ
我らが眼に至るめり
滅びし星の残光が
聖なる空へ昇りゆく
かつての姿は絶へ入りて
煌めきのみそ留まれる
たとへ我らが憧憬が
夜の闇へと消え去れど
さながら星影のごとくに
我らが愛は光るらむ
「……これは、どういう詩でしょうか」
「さあねえ。一言で説明できるものではないだろうさ。私は、フロリカの解説が聞きたいよ」
話を振られたフロリカは、しばしの間目を閉じて、考え込む素振りを見せた。
「……あくまで私の解釈だけれど。単純に、素直に、この詩を読むとしたら……」
「うんうん。何かな?」
「これは、たとえ死して離れ離れになろうとも、愛というものは不滅だ、ってことを、星の光に例えたものね」
「ふむふむ。そんな感じは私もするよ」
ルイザは言った。私はちんぷんかんぷんだったけれど、とりあえず「へえ……」とそれらしく頷いておいた。
「それから、次に載っている詩だけれど、これは、高校によっては生徒が丸暗記させられるくらい有名なもので……」
「ああ、知ってる。『宵の星の物語』。めちゃくちゃ長いんじゃなかったか?」
「ええ。あなたなら暗記できるかもしれないわね。これは詩でありながら神話風の物語になっていて……」
引き続き、話の内容はよく分からなかった。そこで私は、適当に頷きながら、もっぱらルイザの横顔を眺めて過ごした。
美人だなあと思った。
気の強そうな眉。長い睫毛。きらきらと光る瞳。すっと通った鼻筋。訓練で日焼けしてやや赤くなった頬。潤いを保った血色の良い唇。
それから、何故か不意に、ラドゥ・エーダーのことを思い出した。
私の神聖なるルイザに近付いて、悪事を働こうとする不貞の輩。
彼がルイザを惑わそうとしていることには、どうしようもなく腹が立つ。同時に、焦りも感じる。
(早いところ証拠を掴んで、排除しなくては)
そうして、この美しい人を、美しい国を、守るのだ。
**********
参考文献
Mihai Eminescu, “For the Star”
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