第2話 お喋り
もう一人の同居人は、フロリカ・ポーペという名の上級生だった。
「よろしくねぇ」
彼女はにこにこしながらそれだけ言うと、返事を待たずにさっさと自分の机に引き上げて本を読み始めてしまった。
「あ、よろしくお願いしマス……」
私の声が届いていたのかどうかは定かではない。
戸惑う私を見て、ルイザはあっけらかんと笑った。
「気にしないでいいよ。フロリカはかなりの気分屋なんだ」
「はあ……」
「君と話したくなった時に、話してくれると思うよ」
そんなわけで、寮に越してから数日間、私の話し相手はルイザだけだった。
「イオナは、なんで軍人になりたいのかな?」
ある日、気軽に尋ねられて、私は内心ぎくっとした。
「ええと」
慌てて、あらかじめ用意しておいた嘘を思い出す。
「国の役に立ちたいと思って……。私は運動が得意なので」
「へぇ! それはいいね」
「あの、ルイザ先輩は、どうして士官学校に?」
「私? 私は手っ取り早くお金を稼ぎたくてね」
意外な答えが返ってきたので、私はきょとんとした。
「お金ですか?」
「うん。軍人は普通の労働者と違って賃金が良いじゃないか。そういう理由でここに来る生徒は多いと思うよ。私も家があまり裕福ではなくて」
「そうなんですか」
「ああ。四年前、『国民宮殿』の建設のために大通りが使われた時に、運悪く実家のパン屋が潰されてしまってね。今は一家で狭い賃貸に住んでいるんだ。両親と私と弟妹とで合計七人。ちょっと多いだろう?」
「そ、そうですね……」
私は複雑な気分になった。
兄弟がたくさんいるのは良いことである。それも、私のように物心つく前に路上に捨てられることもなく、全員ちゃんと家に匿われているというのは。
ロマニオでは、子どもをたくさん産むのは名誉なことだとされている。人口増加政策の一環として、離婚や堕胎が禁じられているほどだ。
だが、家がある子どもでも、飢えることはある。働き手が少ないのに物を食べる口が多くては苦労するというのは、私にも理解できる。
貧乏というのは、実に良くない。貧しい家庭があるというのは憂うべき事態だ。
(それもこれも、国家に反逆する裏切り者たちのせいだ)
ニコレスク様ほどの立派なお方が政治を担っていらっしゃるのに、ロマニオの状況が改善されないのは、反逆者たちがニコレスク様の邪魔をしようと暗躍しているからなのだ。反逆者には色々あって、不当に財産を所持している者や、共産党を侮辱する集会を開いている者がいる。もちろん、子どもを捨ててしまうような人々も反逆者だ。
私たちセキュレシティは、そんな反逆者たちを取り締まって、ニコレスク様のお役に立つこと、ひいてはロマニオを救うことを、使命としている。反逆者が国から一掃された暁には、ロマニオは世界一豊かで素晴らしい国になるに違いない。
「お互い、頑張りましょう」
私は言った。
「ロマニオをより良くするために」
「……ああ。そうだね」
突然、くすっ、と部屋の奥の方で笑い声がした。
くすくすくすくす。
「うん? どうした、フロリカ」
「ウフフフ」
フロリカは、読んでいた本から顔を上げ、こちらを見た。
「だって、イオナちゃんったら、頓珍漢なことを言うんだもの」
「えっ?」
「ロマニオを良くするため、ですって! ルイザは国のためだなんて一言も言っていないのに」
「こらこら」
ルイザは困ったようにたしなめた。
「私だってロマニオを思う心は持ち合わせているよ。ただ、目の前の生活で手一杯なだけでね」
「ウフフ、そうよね。ごめんなさい」
私は困惑して、二人を交互に見た。
「あの……」
「いいんだ、イオナ。一緒に一年間頑張ろう」
「は、はい」
私は畏まって敬礼した。ルイザは「綺麗な敬礼だね」と笑って返してくれたのだった。
ルイザが出払っていて暇な時は、私は校内を探検することにしていた。どこに何があるのかを頭に叩き込む。特に、前任者が残して行った盗聴器の隠し場所はきちんと覚え直し、新しく盗聴器をつけるとしたらどこが適切かを考える。
それから、こっそりカバンに詰めて持ってきた受信機を使って、ちゃんと盗聴ができるかどうかの調整もせねばならなかった。人のいなさそうな教室に隠れて、素早く小型のヘッドフォンを装着し、盗聴器の状態を確認する。異常があったら、新しい機器に取り換えに行く。
誰かに見つかりやしないかと、ひやひやしながらの作業だった。慎重に一つずつ仕事をこなしているうちに、時はあっという間に過ぎ去って、とうとうブクレシト短期士官学校は入学式の日を迎えた。
私たち新入生は、講堂に集められて、整然と並べられた椅子に腰掛けていた。
校長やら何やら偉い人たちがありがたいお言葉を述べている。私はあまり話を聞いていなかった。こんな大勢が居る場所で反政府的な発言をする愚か者はさすがにいないだろう。
式の最後には歌を歌うことになっていたから、この時は私は周囲に目を光らせた。ちゃんと歌わない者がいたら、そいつの背格好を覚えて後で追跡するためだ。
最初は、ロマニオ社会主義共和国の国歌である。
赤、黄、青の三色に加え、中央に徽章の描かれた国旗が、講堂内に高々と掲げられる。次いで、古めかしい再生機から前奏が流れ出した。
誇り高きロマニオの民は
働き、団結し、そして戦う!
共産主義の新時代の中で
永遠に輝く星とならん!
ワーッと、盛大な拍手。「偉大なる統治者、ニコレスク様、万歳!」の声。
続いては、労働者の国際的組織である「インテルナツィア」のための賛歌『インテルナツィア』だ。これは、ロマニオの良き友人たる北の大国、ソヴェティア社会主義共和国連邦の国歌でもあった。世界が西と東に分かれてから、ロマニオは東側諸国の一員となっているが、その東側諸国を率いているのがソヴェティアだ。尤も近年ロマニオとソヴェティアとの関係はすっかり冷え切ってしまっているのだが……この歌自体は全世界の労働者のための伝統的なものなので、今でも大切に歌い継がれていた。
立ち上がれ、飢えたる人々よ!
燃え上がりし正義の炎が、今解き放たれる!
目覚めよ、労働者たちよ! 支配者を滅する時だ!
小さな力も、寄り集まれば、大きな力となりうるのだ!
人々よ、これが最後の戦いだ!
人間の権利のために、戦え、「インテルナツィア」!
再び、盛大な拍手。
その後、新入生たちは、割り当てられた組ごとに、教室へと連れられて行った。教師からこれから学園生活を送るに当たって注意すべき点などを簡単に説明され、必要な書類や道具が配られる。
すぐに、社会主義の授業が始まった。
二年間で曲がりなりにも一丁前の軍人を育てようというのだから、勉強はどんどん詰め込まねば間に合わないのだ。
社会主義の歴史や理論については、どの学校でも最も熱心に教えられている。私もソロモナリアにてさんざん叩き込まれてきた。
「史上最も偉大にして天才的なロマニオ指導者は、言うまでもなく、カジミール・ニコレスク現ロマニオ大統領兼ロマニオ共産党書記長だ」
教師が生徒たちに向かって弁を振るい始める。
「同志ニコレスクの尽力によって、ロマニオは、インテルナツィアでの地位を保ちながらも、ソヴェティアとは異なる政治的路線を打ち出すことに成功している。このことが、ロマニオを『東側諸国の異端児』と言わしめる最大の要因であり、またロマニオを唯一無二の共産主義国家たらしめる至高の方策である。では、そんなロマニオが共産主義国として名を馳せ始めたのはいつか。皆、教科書の三ページを開きなさい。──『資本論』の著者であるマーカスは、現在の東ジェルマに当たる地域に生まれ……」
私は真剣に教師の言葉に耳を傾けて、懸命にノートを取った。時折、教師が何の話をしているのかよく分からなくなることがあったが、教師はお構いなしに話を進めてしまう。私にできることといえば、必死でメモを残しておくことくらいだ。このノートを後で読めば分かるだろう、多分。
午後は、運動着に着替えて、体力測定を行うとのことだった。
軽い食事を済ませた後、私は、ソロモナリアから持ってきた瓶入りの錠剤を取り出した。
セキュレシティ秘蔵の技術で作られた身体強化薬『ドラクラム』。この薬に適合した者は、一時的に常人離れした身体能力を手に入れられる。
他のあらゆる面において劣等生の烙印を押されている私だけれど、この薬への適合性だけは、他のどの仲間よりも群を抜いて高かった。一錠飲めばそこいらの男子には引けを取らなくなるばかりか、五錠も飲めば弾丸よりも速く動くことができるようになる。副作用もほとんど出ない。
私はドラクラムの力を借りて体力測定に臨む。後ろめたいとは思わない。自分の最大の強みを生かすだけなのだから。
私はきっとこの学校でも、勉強において良い成績を取ることができないだろう。その上身体能力も低くては、何故ここに入学できたのかと疑われてしまう。これはなるべく自然に学校に溶け込むための手段でもあるのだ。
さて、私たちⅠ-Aの生徒は、ぞろぞろとグラウンドに出て行った。教官の命令通りにぴしりと整列する。最初に行うのは、百メートル走の記録測定だ。
ほどなくして私の番が回ってきた。
(目立ち過ぎず……なおかつ好成績で)
私が位置につくと、教師が鋭くホイッスルを鳴らした。
地を蹴る。
筋肉が躍動する。血が巡る。体が思い通りに動かせる。力が際限なく溢れてくる。
難なく百メートルを走り抜けた。
「──十二秒〇七。素晴らしい」
「ありがとうございます」
私は頷いた。全力を出し過ぎず、手を抜き過ぎず、妥当な計測結果を出せたと思う。
その後も、長距離走や障害物競走や簡単な筋トレなどで、私はかなり優秀な結果を叩き出した。女子の中でぶっちぎりなのはもちろんのこと、男子と比べてもかなりの上位に入る。
私の記録用紙を見た生徒たちは、こぞって騒ぎ立てた。
「逸材じゃないか!」
「女の子なのにすごいわね!」
褒められ慣れていない私は、えへへと照れ笑いをした。それから、(もしかしてこれは、逆に目立ってしまっている?)と思って、ちょっぴり後悔した。
つくづく、私には考えが足りない。こんなことではいずれ、セキュレシティであることが知れ渡ってしまうかも……。とはいえ、一度結果を出してしまった以上、今後とも運動ができる人物を演じていかなければなるまい。
なお、記録用紙を寮に持って帰ったところ、それを見たルイザも私のことをたいそう褒めてくれた。
「運動が得意と言っていたけれど、ここまでとは思わなかったよ。感心だ」
「えへへ、ありがとうございます」
「優秀な後輩が入ってきてくれて、頼もしい限りだよ」
「そんな。……ルイザ先輩は、今日はどんなことを?」
「新学期始まって早々、筆記試験だった。なかなか大変だったよ。なあ、フロリカ」
相変わらず自分の机に向かって本を読んでいたフロリカは、「そうねぇ」と気のない返事をした。
「ルイザがそんなことを言っても、説得力が無いわ……。あなたどうせまた学年一位でしょう」
「まさか。まだ分からないよ。去年は運が良かっただけさ」
「でも、解けない問題は無かったのよね?」
「まあ、それはそうだが」
「すごい」
私は憧憬の眼差しでルイザを見上げた。
「頭が良いんですね。尊敬します」
「いや……」
「私は勉強が苦手なんです」
「イオナちゃんは如何にもそんな感じよねぇ」
フロリカにあっさりと指摘されてしまい、私は「ふぇ」と情けない声を出した。そんなに目に見えて頭が悪そうなのだろうか、私は。
ルイザはまたフロリカに「こら」と怒ってみせた。
「あまり失礼なことを言ってはいけないよ」
「はぁい」
「イオナも気に病まないでやってくれ。フロリカにも悪気は無いんだ。そんなことよりイオナは、その運動の成績を誇って良いと思うぞ」
「……はい」
まあ、見下されるのは慣れっこであるからして、フロリカの態度はさほど気にならない。そんなことよりも、ルイザが私を気遣ってくれるのが、嬉しくてたまらなかった。つい先日まで殺処分だとか欠陥品だとかいう言葉を甘んじて受け取っていた私に、このように当たり前にお喋りをしてくれる相手ができるとは思ってもみなかった。尊重されているという感じがする。ふわふわとした奇妙な心地。もっとこの人と話していたい。この人のことをもっと知りたい。そう思った。
それから、密かに、この人が反逆者でないことを祈った。
──きっと、大丈夫だ。セキュレシティも軍人も、立場の似た者同士だから。
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