叛逆と偏愛のセキュレシティ

白里りこ

第一章 潜入

第1話 出会い


「イオナ・ルスレアヌ!」


 一仕事終わって帰った後のことだった。上官に名を呼ばれたので、私は手入れしていたナイフを鞘に収めて、彼のもとに走って行った。


「は、ここに」

「君、来週から今の仕事を外れなさい」


 私は、手入れ用の布を取り落とした。それを見た上官はにやっと笑った。


「何、君を処分する話じゃない。ただ、今後のことを考えて、一時的に配属を変えようという話が出た」

「はあ……配属、ですか」

「君は戦闘の技能はずば抜けて高い。将来は間違いなく戦闘要員として働いてもらうことになるだろう。……だが、それだけではセキュレシティとして心もとない」

「……存じております」

「そう。君には、諜報員としての能力がなさすぎる。そこだけ見れば、殺処分されてもおかしくないくらいだ。とにかく使い物にならない。論外だよ」


 私は項垂れた。

 セキュレシティとは、ロマニオ社会主義共和国を影で支える秘密警察のことだ。主な仕事内容は、国内に潜む反乱分子をあぶり出して、必要に応じて処分すること。

 孤児だったところを拾われて、セキュレシティになるべくして育てられてきた私は、そのつとめを立派に果たさなければならない。そして、一人前のセキュレシティたるもの、諜報活動が苦手というわけにはいかないのだ。

 処分だけなら、私にだってできるのだが。今日だって、護送されてきた反逆者を、一人このナイフで刺してきたばかりだというのに──。


「そこで」


 上官は続ける。


「君には次の九月から、首都にある士官学校に入学してもらうことになった。生徒としてきちんと『仕事』をして、経験を積んでくるように。一年後には別の適任者が行く予定だから、君はそれまでの一年間、身分を隠してうまくやってくれればいいよ」


 私はポカンとしていたが、慌てて敬礼をした。


「了解です」

「よろしい。後日、詳しい説明をする。今日は下がってよし」

「はっ。失礼します」


 私は覚束ない足取りで宿舎に戻り、自室の鏡の前に座り込んだ。

 鏡面には、短く切った栗色の髪に縁どられた、不安そうな白い顔が映っている。

 来月から、たった一人で、学校に潜入して、諜報活動を? 落ちこぼれの、この私が? できるだろうか、そんなこと。

 私は溜息をつきそうになって、慌ててギュッと顔をしかめた。

 弱音を吐くことは許されない。きっと任務を遂行してみせる。偉大なる統治者、カジミール・ニコレスク様のお役に立つために! 私はそのために生まれてきたのだ。


 ***


 出発の前日、荷造りのために倉庫に入ろうとすると、そこには偶然、同期のセキュレシティ仲間、ペトル・カロレスコがいた。


「お前、首都での仕事が入ったんだって?」


 顔を合わせるや否や、彼は唐突にこう言ってきた。

 

「……うん」

「はあ? 大丈夫かよ?」


 ペトルは疑わしそうな顔をした。


「お前、戦闘以外の技能は、いつも最底辺じゃないか!」

「分かってる」

「くれぐれも気をつけてくれよ。俺とは違って、お前はひどい欠陥品なんだから」


 私は唇を引き結んだ。

 欠陥品。上官からも仲間からも、さんざん言われてきた言葉だ。そして実際に私は出来損ないなので、何も言い返せない。

 ペトルのような優秀な人材には、私のことはさぞ疎ましく感じられることだろう。彼は私と同じ戦闘要員でありながら、首都ブクレシトでの諜報活動をも数多くこなしており、成績も良い。とても同じ十六歳とは思えない。


「……分かってる」


 私は小声で繰り返すと、必要な備品を取りに行くために、倉庫の奥へと早足で入っていった。


 ***


 ──翌朝、私の住むセキュレシティ養成施設『ソロモナリア』の入り口に、黒い覆面車が停まった。私は歩み寄って敬礼をしてから、後部座席に荷物を置いて、助手席に乗り込んだ。


「よろしくお願いします」


 運転役の上官は無言だった。

 ソロモナリアの所在地は限られた者にしか知らされていない。ロマニオの中央に位置する山間部のどこかにあるらしい、ということだけは私も知っていたが、それ以外のことは分からない。

 外の景色を遮断されたまま、私は、ろくに舗装もされていない道を、ガタガタとひたすら揺られて行った。


「……あの」


 沈黙に耐えかねて、私はおずおずと口を開いた。


「ブクレシトって、どんなところですか」

「……都会だ」


 上官はぶっきらぼうだった。


「ええと……賑やか……なんでしょうか」

「……人は多い」

「暮らす上で、気をつけることとかは……」

「知らん。私はブクレシトに居住したことはない」

「あ、はい、……すみません」


 私は縮こまった。それからはお互いに一言も発することは無かった。四時間後、車はとある建物の前で停まった。


「着いたぞ」


 黒い柵に囲われた、飾り気のない施設。どうやらこれが、来月から通うことになる士官学校だ。

 私は苦労してカバンを車から引き摺り下ろし、道路に降り立った。


「ありがとうございました」


 上官はやはり無言だった。車はブーンと安っぽい音を立てて行ってしまった。後には排気ガスの匂いと、車酔いした私だけが残された。

 知らない町に放り出されて、一人ぼっち。心細さで、足が竦んだ。

 だが、いつまでもここに突っ立っているわけにはいかない。意を決して、構内に足を踏み入れる。


 門のそばに設置してあった地図を見て、女子寮の位置を確認する。どうやら敷地の片隅にある小さな建物がそれらしい。

 とりあえず、地図にあった通りに歩む。本校舎らしき建物の前を過ぎて、全く同じ見た目をした灰色の建物の脇を歩く。

 ……しばらくして、これはおかしいと思い始めた。行く手には、砂埃の舞うグラウンドが見え始めている。女子寮の近くにグラウンドは無かったはずだ。方角を間違えてしまったのだろうか。

 私は踵を返し、反対方向に歩き始めた。来た道を戻ればいいだけだと思ったのだ。ところが私は、自分がどうやってここまで来たのか思い出せなくなってしまっていた。それでもとにかく勘に頼って歩いているうちに、完全に迷ってしまった。


(どっ……どうしよう)


 見渡す限り灰色の建物が並んでいるだけで、右も左も分からない。

 着いて早々、迷子だなんて。私は何て駄目な人間なのだろう。


 周りには人がいないわけではない。だが話しかけるのにはいささか気後れがした。みな屈強な体格で、ビシリと制服を着こなしていて、威圧感があった。そんな中で一人、よれよれの私服を着ておどおどしている私は、ひどく場違いに感じられた。

 ……こんなことだから欠陥品だなんて言われる。

 満足に地図も読めず、他人と話すことすら上手くいかない、ちっぽけで頼りない無力な私。惨めになってきた。ああ、もう、ソロモナリアに帰りたい……鍛錬続きだった日々が早くも懐かしい。


「失礼。見学ですか?」


 背後から急に声をかけられて、私は飛び上がった。

 振り返ると、そこには背が高い女生徒が立っていた。私よりもうんと短い蜂蜜色の髪の毛をしていて、きりりとした目元とヘーゼル色の瞳が印象的だった。


「あっ、あの……」


 私はしどろもどろになったが、女生徒は辛抱強く私の発言を待っている。


「あのっ、私、来月からここに通うことになっていて……それで、女子寮を探しているんですけど……迷っちゃって……」


 だんだんと声が細くなっていく。そつなく振る舞うことができない自分が恥ずかしくて、今すぐ消え入りたい気分だった。

 ところが女生徒は、優しく私に笑いかけた。


「ああ! そうなんだね。入学おめでとう。ようこそ、ブクレシト短期士官学校へ。女子寮はこっちだ。私が案内してあげよう」

「え……?」

「おいで」


 女生徒が歩き出す。思いもかけず親切な言葉をもらった私は、ポカンとしてから、慌てて後を追った。


「自分の部屋番号は分かるかな?」

「あの、一◯七だと、伺ってます」

「へえ!」


 女生徒は少し驚いた様子だった。


「それなら私と同室だね!」

「ほえ?」

「申し遅れたね。私はルイザ・シャラル。来月からここの二年生になるんだよ。気軽にルイザと呼んでほしい。……君は?」

「あ、イオナ・ルスレアヌ、です」

「そうか。これからよろしく、イオナ」

「よろしくお願いします……」

「まあまあ、そんなに畏まらないで。おいで。カバンを持ってあげよう」

「あっ、いえ、結構です!」

「いいからいいから。随分と重いね、これは。持って歩くのは大変だったろう」


 ルイザは道々構内の説明をしながら、私を目的の場所まで連れて行ってくれた。建物に入り、清潔感あふれる廊下を抜けて、扉の前で立ち止まる。


「さあ、ここが今日から君の住居になる、一◯七号室だよ」


 ルイザは鍵を開けて私を部屋へと招いた。


「お邪魔します……」

「どうぞどうぞ。そっちは共同の区画で、こっちは君の場所。椅子と机はそこのを使ってね。それでこれが君のベッドだ。疲れているだろうから、ゆっくりしていてくれて構わない。後でお茶を淹れてあげよう。カバンはお返しするよ」

「ありがとうございます」


 礼を言いながらも、私は混乱の極地だった。何だ、この怒濤の気遣いは。未だかつて経験したことの無い待遇。この親切は本当に私に向けられたものなのか? これまで、施設でも仕事でも、見下され、嘲られてきた、欠陥品のこの私に?


「どうした? 具合でも悪いのか?」


 ルイザがこちらを気遣わしげに見つめてくる。私は急いで首を横に振った。


「なら良かった。ひとまずそこらへんに荷物を置いて、くつろいでいてくれ。私は台所に行ってくるから」


 ルイザは部屋を出て行った。私は、恐る恐る二段ベッドの下段に腰を掛けてから、心の中で叫んだ。


(うわあああああ!)


 こんなに優しくしてもらっていいのだろうか! 申し訳ないと思い恐縮してしまう反面、嬉しくて心がフワフワするのを止められない。


(ルイザ先輩。何て素敵な人なんだろう)


 今から一年間あの人と同室で暮らせるのか。良かった。不安でいっぱいだったこれからの生活に、一筋の光明が差したかのようだ。

 寮は三人部屋だという。残りの一人はどんな人だろう。


 私は共有区画に置かれた机に歩み寄り、小さな椅子に腰掛けた。ソロモナリアの宿舎のものよりもこじんまりとしている。


 やがてルイザが、ハーブティーの茶碗とおやつのヒマワリのタネを持って入ってきた。


「はいこれ、どうぞ」

「ありがとうございます」

「いえいえ。ほら食べて食べて」


 促されるまま、私は小皿に盛られたタネの殻を剥いて一粒口に含んだ。ぽりぽりぽり。……品質がすこぶる悪い。だが文句は言うまい。


「イオナはどこ出身なの?」


 ルイザもタネに手を伸ばしながら訊いてきた。


「ええと、田舎です。中央地方の山奥……」

「なるほど。私は生まれも育ちもブクレシトだから、田舎の風景には憧れがあるよ。こことは違って空気が綺麗なんだろうな」

「そうかもしれません。でも、他には何も無いですよ」


 私は目を逸らした。


「ずっと田舎にいた私が、都会で生きていけるのでしょうか……」


 暗澹たる気持ちでこぼした言葉は、ルイザの明朗な声によって即座に否定された。


「大丈夫、大丈夫」

「え」

「困ったことがあったら、いつでも私を頼ってくれていいからね。授業のことでも生活のことでも、聞きたいことは何でも聞いてくれ。できる限り支援させてもらうから、安心するといい」

「……!」


 私は目を丸くしてルイザを見上げた。


「ほ、本当ですか」

「え? 本当だとも。後輩を助けるのは先輩のつとめだろう? 遠慮しないでいいぞ」


 大らかに笑うルイザの顔が、私にはとても眩しく輝いて見えた。何だかドキッとしてしまった。よくよく見るとこの人はくっきりした顔つきで美人だし、性格もこの通り明るくて優しくて、──大変、好感が持てる。


「ありがとうございます……! よろしくお願いします!」

「ああ、どういたしまして。一年間よろしくな」


 ルイザは更に笑みを深くしたのだった。私はぎこちなく微笑み返してから、ふと我に返った。


 私は今からこの人を監視して、必要とあらば密告せねばならない。


「……」


 こんな善良そうな人が、ニコレスク様に背くような思想を持っているとは考えにくいけれど、反逆者はどこにでも潜んでいるものだ。気を抜いてはいけない。少しの油断が、国家転覆に繋がりかねない。


 私がヒマワリのタネを剥く手を止めてぼうっとしているのを見て、ルイザは怪訝そうにこちらを見てきた。私は慌てて愛想笑いをして、タネを再び口に運んだ。


 ――いたしかたあるまい。私は仕事でここに来ているのだ。この人が反逆者である可能性も考慮した上で、気を引き締めて活動していこう。

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