ハッピーエンドへ
きずナの家に着いた。玄関先で深呼吸を繰り返していると、ブオンと車のエンジン音が聞こえた。見ると、すぐ横に赤い車が止まっている。きずナ家の愛車だ。俺も何度か乗せてもらったことがあるけど、それはそれはいい香りがしたのを覚えている。きずナの母、美代子さんチョイスの芳香剤はいつも洒落ている。香りだけじゃない。美代子さんは都会的というか何と言うか、ここらに住む人たちとは違うオーラがあった。その印象は、久々に会っても変わらない。この人は歳をとっているんだろうか。いや、とっているんだろうけど。バカなことを考えている間に、美代子さんは俺の目の前まで来ていた。
「あらっ、こんなところに男前が」
「またまたご冗談を。お久しぶりです、美代子さん」
「久しぶりね、弦也くん。もしかして、きずナに会いに来てくれたの?」
コクンとうなずくと、彼女はニマニマと笑った。俺が何しに来たのか、この人は全部知っている。そんな気になって、もぞもぞと落ち着かない。
「きずナね、ちょっと出かけてるの」
「あ、そうですか。じゃあ、」
出直します。そう言う前に、腕をひかれた。
「ま、あの子の部屋で待っててよ。すぐに戻ってくるから」
「いやいや、部屋主の許可もなく入るのは」
「弦也くんなら許してもらえるわ。そう遠慮しないで」
そのセリフを吐いていいのは、それこそ部屋主だけだろう。とまあ、ツッコむわけにもいかず。俺はきずナ家に足を踏み入れた。
「ささ、2階へどうぞ。すぐに飲み物を用意するわ」
「あ、たらふく飲んできたので大丈夫です」
「そっか。ならケーキを」
「えっと、それもたらふく食べてきたので」
「そう、残念。今度来るときはたらふくじゃなくて、腹5分目くらいでよろしくね」
手を振る美代子さんに頭を下げて、きずナの部屋に入る。暗い部屋の中で、モニターの光だけが頼りだ。線を踏まないように気をつけながら、ごちゃごちゃと物が散乱したデスクに近寄る。開きっぱなしのノート。先が出たままのペン。ボタンが潰れかけたコントローラー。これら全てに、なわとびぃずチャンとして活動する彼女の努力が見える。ノートいっぱいに書かれた話のネタにザッと目を通す。聞いたことがあるものに混じって、未公開の内容がある。気になって目が勝手に文字を追う。が、途中でやめた。ダメダメ、こんなことしちゃダメよ。大人しく、部屋の隅に体育座りする。1分も待たずして、トントントンと階段をのぼる足音が聞こえてきた。きずナが帰ってきたようだ。
「ごめん、弦也。待たせちゃった。……って、何で電気つけてないの?」
「電気代が」
「そんなこと気にする?」
呆れたように笑って、きずナが電気をつける。
部屋の情報が一気に飛び込んできて、処理が追いつかない。前に来た時より、明らかに物が増えている。どうやら、ファンからの贈り物らしい。さすが、なわとびぃずチャンだ。
「それで……、どうしたの? ただ遊びに来たってわけじゃないよね?」
「おう、まあな。ちょっと話がしたくて。…………次のなわとびぃずチャンの配信について」
嘘だ。そんな話をする予定はない。だけど、彼女を意識すればするほど、言いたいことが遠ざかっていく。「告白してくれてありがとう。俺もお前が好きだ」。決して長くない言葉だ。それすら言えないなんてことがあっちゃいけない。ほら、言えよ、さっさと言え。無理、言えねえ!情けない話、勇気が出ない。喉がカラッカラに乾いて、声を発するのも大変だ。こんな気持ちを2人は味わっていたのか。やはりすごい。告白するって、体にかかる負担がデカすぎる。悶々とする俺を置いて、きずナはマイクやコントローラー、ヘッドフォンなどの商売道具の手入れを始める。
「今日も配信?」
「うん。最近流行っているゲームでもやってみようかなって」
「おお、いいじゃん。今回もたくさんの人が見てくれるといいな」
「ありがと。弦也も良かったら見てね」
違う。この話をしに来たんじゃない。なわとびぃずチャンの配信は気になるけど、今、俺が話をしたい相手はきずナだ。そこを間違えちゃいけない。なけなしの勇気を振り絞り……、よし行け!
「きずナ、話がある」
「いいね、いい目をしているよ。さすが、なわとびぃずチャンのファンだ」
「ごめん、配信の話じゃないんだ」
俺がそう口にした途端、稲妻のごとく緊張が走った。さっきまで鳴りを潜めていた心臓が、ここにきて暴れ出す。やばい。この空気、耐えられそうにない。早いところトドメをさしてくれ。違うな、俺が決めるんだ。ほら!
「きずナ」
「……はい」
「告白の件なんですが」
「……はい」
「お、俺もきずナが好きだ」
言えた。言えた!
妙にコーフンして、矢継ぎ早に理由を告げる。
俺がいいなと思ったのは、やっぱり配信でのトーク。好きな人について語るなわとびぃずチャンもといきずナ。好きな人と話ができるように、苦手なホラーゲームに挑戦してみた。今日は何回話せた。何回すれ違った。一緒に帰ろうと誘ってみた。こんなことがあった、あんなことがあった。どうしたらもっと近づけるか。どんな子になれば、好きになってもらえるか。リスナーに真剣に相談して、アドバイスを素直に聞き入れる姿はとても可愛らしかった。
なわとびぃずチャンの想い人は幸せだと、俺は何度も思ったのだ。その中身(というのはご法度だけど)がきずナと知った時。恋している相手が俺だと知った時。ドキドキしたのを覚えている。胸が高鳴って、頬が緩んで、きっとだらしない顔をしていたはずだ。
「もういい、もういい! 恥ずかしいから、そんなに前のめりに可愛いとか言わないで!」
耳まで真っ赤に染まったきずナが抗議する。今更ながら恥ずかしさが込み上げてきた。
「あーつまりだな、その」
ほんの少し手を伸ばす。きずナの手をつかみ、自分の胸元に引き寄せる。我ながら驚くほど大胆な行動に出てしまったけど、後悔はしていない。
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