羽衣石 甘菜

のんびりとした優しい声に振り向くと、高校の後輩が立っていた。彼女の名前は羽衣石甘菜ういしかんな。料理が得意で、世話焼き。真面目でしっかり者。周りからはお母さんと呼ばれている子だ。


「甘菜、どうしてここに……」

「あら、あなたもサボり!?」


新たに現れたにお高生に、受付さんがヒステリックに声を荒げた。が、甘菜の表情は変わらない。普段通りの柔らかい微笑みを浮かべたままだ。


「いい?今日は平日で、学校の日。図書館に来てくれるのは嬉しいけど、ここはサボるための場所じゃありません!」


いい加減にしないと、追い出すわよ。そう続けた受付さんの目はガチだった。掃除用のたたきを片手に、俺たちを睨んでいる。かなり頭にきているな。下手なことをすれば、問答無用で出禁にされるかもしれない。

そういえば、クラスの一軍メンバーが言ってたっけ。受付の三浦嬢には気をつけろって。怒り狂う彼女の名札を見ると、やはりそうだ。三浦の文字。とことん運が悪い。どうしたものか。頭を抱えていると、俺を庇うように甘菜が前に出た。


「あのう、私たち、サボりで来ているわけではありませんよ?」

「言い訳なんか聞きたくありません!」


そっぽを向いて、まるで聞く耳をもたない三浦さん。これは長い戦いになるぞ。


「言い訳じゃありません!私たちは、授業で来てるんですっ!」


そんな嘘バレますって、甘菜さん。


「ダウト!」


ほらね。


「そこは、『嘘おっしゃい!』とかじゃないんですねっ」

「そ、そんなのどうでもいいでしょう!?」


俺を蚊帳の外に、ギャーギャーと大声で言い争う二人。ここがどこだかお分かりで?


「とにかく、嘘つきに貸す本はありません」

「いいですよ。本を借りに来たわけではありませんので!」

「じゃあ、どうして来たのよ」

「ここのスペースを借りに来たんです!」


あ、今、ドヤ顔してるんだろうな。それが分かるくらい、彼女は得意げだった。えっへんと胸をはり、両手を腰に当てている。対する三浦さんはというと、完全に戦意喪失している。小声で文句を言いながら、奥の部屋に姿を消した。


「ふふふ、やりました。三浦さんとは、一度お相手したいと思っていたんです。彼女、人の話を聞かないって有名だったもので」

「はあ、それは……」

「先輩も大変でしたね。でも、安心して下さい。これでしばらくは出てこないと思いますよ」


甘菜の言う通り、代わりに表に出て来たのは中村という男性だった。かなり高齢の方で、椅子に座るなりうつらうつらし始めた。ゆっくり調べ物できそうでいいのだが、なんだか三浦さんには同情してしまう。悪いのは明らか俺だからな。サボりには変わりないし。


「ところで、甘菜。俺が言うのもなんだけど、学校は?」

「早退しました。薬をもらいに病院に行かなきゃだったので」

「そうなんだ。風邪?」

「そんなところです」


彼女は恥ずかしそうに頬を赤らめ、それ以上の質問を避けるようにうつむいた。なんだ、その反応。


「なぁ、重い病気とかじゃないよな?」

「え、ええ。もちろんです。もちろん」

「本当か」

「はいっ、本当ですとも、はいっ」


じーっと穴が開くほど真剣に彼女の顔を見つめていると、一瞬目が泳いだ。やはり、嘘をついている。


「ダウト」


きっぱり言い切ると、甘菜は観念したのか、ゆっくりと口を開いた。


「実はその……、中耳炎なんですっ」

「あ、そうなんだ。あれ、痛いよな。俺も最近なったよ」


あれは先月のこと。喉に違和感からの熱。そして中耳炎に。子どもがかかるって話を聞いていたから、少し驚いたのを覚えている。


「先輩もなったんですね、良かった!あ、良かったって言うのはそういう意味じゃなくて……」

「うん、分かってる」

「弟に、中耳炎になるのはガキだけだって笑われて。それでちょっと、恥ずかしくなっちゃって」

「ああ、なるほど。俺も子どもがなるものだって聞いた記憶があったけど、なりにくいってだけで大人もなるらしいよ」


羽衣石淳喜ういしじゅんき。甘菜の弟。確か、中学2年生。生意気盛りだ。


「気にすることないと思うよ。次に何か言われたら、『学校の人、全員なってる』って答えれば」

「ふふっ、スマホを欲しがる子どもみたいですね。『クラスの人、みんな持ってるよ』って」

「そ。それで『みんなって全員?◯◯ちゃんも?◯◯くんも?』って聞かれる」

「それ、ダメじゃないですか!」


彼女の明るい笑い声が館内に響く。幸い、来館しているのは俺たちだけで、誰かに迷惑をかけることはなかったが、甘菜は慌てて口を押さえていた。

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